29.希少種
「希少種って……あの、ルナやハクみたいな珍しい個体の獣のことか?」
「そう。その子がこの村の近くに出てきたみたいで、ここから離れさせないと駄目なの」
「なるほど」
『希少種』。
それは、目撃例が極端に少ない、あるいは個体数が減少しているなどの理由から、国が指定した特定の獣たちのことだ。
その多くは、過去に乱獲されたり、生息環境を失ったりしたことで数を減らしている。
そのため、絶滅を防ぐべく、希少種の保護は国を挙げて徹底されていた。
「ちなみに、どんな子なんだ?」
「希少種――『鉱角鹿』」
「鉱角鹿か……」
それはまた、かなりの希少種だ。
鉱角鹿の最大の特徴は、その名のとおり角に鉱石が形成されることだ。山岳地帯を主な生息域としており、成長した角には様々な鉱石が生じる。
かつては、その角を目当てに乱獲された時期があり、生息数が大きく減少した。
その結果、国から希少種に指定され、現在では厳重に保護されている。
「鉱角鹿は人への警戒心が強い獣だ。そんな獣が、わざわざ人里に近い森まで下りてくるとは……」
俺は少し考える。
「何か厄介事が絡んでいそうだな」
「私もそう思う。近くの山岳地帯を調べてから、探してみよう」
「分かった」
俺たちは村で必要な準備を整え、正午を過ぎた頃に山岳地帯へ向かった。
* * *
鉱角鹿が目撃された森へ向かう途中、俺たちは山岳地帯へと足を踏み入れた。
今回のメンバーは、俺とキャリメラ、そしてグラスの三人だ。
ノクスとルナには村へ残ってもらい、盗賊たちの見張りを頼んでいる。
カルタノとクレインも、村で休んでもらっていた。
今回はグラスを先頭に、俺たちは森の中を進んでいく。
そして、森へ入って一時間も経たないうちに――グラスが足を止めた。
その視線の先に何かを見つけ、俺はその場にしゃがみ込む。
「キャリメラ、これってもしかして……」
「うん。間違いないよ」
キャリメラも地面を確認し、頷いた。
「鉱角鹿の足跡」
「こんな近くまで下りてきているのか……」
足跡は一つではない。
いくつも重なっており、周囲には複数の個体が通った痕跡が残されていた。
「しかも、数頭はいるな」
俺は立ち上がる。
「早く様子を見に行こう。下手をすれば、村にまで下りてきて被害が出るかもしれない」
「うん」
キャリメラも頷いた。
俺たちは足跡を追いながら、山岳地帯へと急いだ。
そして――
俺たちは、予想外の存在を目の当たりにすることになる。
「……でかい」
茂みの隙間から、俺たちはその姿を覗き見る。
「山羊……なのか?」
そこにいたのは、二メートルを超えていると思われる巨大な山羊だった。
その巨体を見た瞬間、俺は反射的に剣の柄へ手を伸ばす。
「こいつが鉱角鹿を山から追い出した原因なら、討伐すべきか?」
だが――
俺の手に、キャリメラの手がそっと重なった。
「駄目だよ」
「……っ」
俺はキャリメラを見る。
「どういうことだ?」
キャリメラは巨大な山羊から視線を逸らさず、静かに口を開いた。
「グラトニーゴートだよ」
「グラトニーゴート?」
「うん」
そして、キャリメラの表情が次第に明るくなっていく。
「すごい……。本当に会えるなんて……奇跡だよ」
「そんなに珍しいのか?」
「うん。グラトニーゴートも鉱角鹿と同じ、希少種なの」
キャリメラは興奮を抑えるようにしながら、説明を続ける。
「昔は『悪食』って呼ばれてたんだよ。石や木の皮まで食べる姿を見て、『このままじゃ森を食い尽くされる』って考えられてたの」
「それで、狩られていたのか」
「そう。昔の人たちはグラトニーゴートを危険な獣だと思って、狩って倒そうとした。でも……」
キャリメラは首を横に振る。
「実際は、普通の山羊と大して変わらない食欲だったの」
「……なるほど」
「それに気づいた頃には、もう数がかなり減っていた。それで国から希少種に指定されたんだよ」
キャリメラは、改めてグラトニーゴートを見る。
「今では険しい山々に生息していて、滅多に姿を見せない。だから――こんな場所で会えるなんて、本当に奇跡だよ」
そう語るキャリメラの顔は、完全に獣導師のそれだった。
「じゃあ、何でも食べるっていうのは?」
「肉以外なら、石とか固い木の皮とかも食べるよ」
「……なるほど」
俺はグラトニーゴートを見ながら考える。
見た目こそ巨大で、今まで知らなければ危険な獣だと思ってしまうだろう。
だが、過去の人々も同じように考えた結果、グラトニーゴートの数を減らしてしまったというわけか。
しかし――今は別の問題がある。
「となると、こいつがこの辺りまで下りてきた理由は……餌か?」
「たぶんね」
「そして、グラトニーゴートと餌場が重なったことで、鉱角鹿が山を下りた……そういうことか?」
「うん。私もそう考えてる」
状況は見えてきた。
グラトニーゴートを傷つけるわけにはいかない。
もちろん、鉱角鹿も希少種だ。
ならば、どちらも傷つけずに済む方法を考える必要がある。
「どうする、キャリメラ?」
俺が尋ねると――
キャリメラは、にっこりと笑った。
「大丈夫。方法はあるよ」
「どんな?」
「とにかく、一旦ここを離れよう」
「……確かに」
俺は頷く。
「ここで下手に刺激すれば、グラトニーゴートが興奮するかもしれない。分かった、離れよう」
俺たちは一度、森の中へ戻った。
その間、グラスは周囲を警戒しながら俺たちについてくる。
グラトニーゴートから十分に距離を取ったところで、キャリメラは地図を広げた。
「さて、改めて聞かせてくれ。どんな方法で行くんだ?」
「まず、ここを見て」
キャリメラが地図を指差す。
「今、鉱角鹿は村の近くの森にいる」
「ああ」
「本来なら、山岳地帯に戻すか、森のもっと奥へ案内したいところなんだけど……」
キャリメラは森の奥を指差した。
「ここから先は、毒草がたくさん生えてるの」
「毒草……」
「そう。人間や普通の獣が入るのは危険」
「それじゃあ、どうするんだ?」
俺が尋ねると、キャリメラは指を一つ立てた。
「グラトニーゴートを、森の奥へ移動させるの」
「……は?」
思わず聞き返してしまった。
「いやいや、毒草が生えているところに、なんでグラトニーゴートを呼ぶんだ?」
「ふふっ」
キャリメラは笑う。
「グラトニーゴートは何でも食べるって言ったでしょ?」
「そうだけど……」
「毒草も食べるの」
「……毒草も?」
「うん」
キャリメラは当然のことのように頷いた。
「グラトニーゴートは毒に対しても強いの。食べても平気だし、経皮毒みたいなものにも耐性がある」
「そんな特性が……」
「だから、グラトニーゴートを森の奥へ誘導するの」
キャリメラは地図を指でなぞる。
「森の奥にある毒草を食べてもらえば、そこを餌場にできる。グラトニーゴートには安全に暮らせる場所を確保できるし、鉱角鹿の餌場も取り戻せる」
「なるほど……」
俺は地図を見つめた。
「そして鉱角鹿を山岳地帯へ呼び戻せば、村の近くまで下りてくる理由もなくなる」
「そういうこと」
理屈は通っている。
希少種同士を争わせるのではなく、それぞれの生態を利用して住み分けさせる。
まさに獣導師だからこそ考えられる方法だ。
「作戦は分かった」
だが、俺には一つ気になることがあった。
「それで、どうやって誘導する?」
「……」
「俺が驚かせて、その森に向かわせるか?」
俺がそう言うと、キャリメラは苦笑した。
「翔也、それじゃ駄目だよ」
「駄目なのか?」
「うん。驚かせたら、どこに逃げるか分からないでしょ?」
「……確かに」
「それに、希少種を相手にするんだから、できるだけ怖がらせたくない」
そう言って、キャリメラは立ち上がった。
「ここは私に任せて」
「キャリメラ……」
彼女は振り返り、いつもの柔らかな笑みを浮かべる。
「私、獣導師だから」
その言葉には、確かな自信があった。
そしてキャリメラは、グラトニーゴートのいる方向へ向かって歩き出した。その背中を見つめながら、俺は思う。
心配なんて必要ない。今の彼女なら、きっと大丈夫だ。
俺はそう信じて、静かにその背中を見送った。




