2.人生に咲いた花
彼女が再び口を開く。
「私は女神です」
「……え?」
思考が止まった。
──女神?
──目の前の女性が?
たった一言に俺は驚愕した。
「え、あ、あなたが女神様ですか。あ、あのとんだ失礼を⋯」
あまりの事態に体がつい土下座をしてしまった。
彼女はただ優しく声をかける。
「いえ、お気になさらず」
その一言だけで、不思議と心が温かくなった。そして、僅かながら冷静になり正気に戻る。
「つまり、ここは⋯天国、なるものでしょうか?」
俺はつい声を曇らせてしまう。
女神様は一度瞼を閉じ、ゆっくり開くと、静かに口を開いた。
「結論からですと、そうです。あなたは寿命で現世を去りました」
「⋯⋯」
いや確かに、先程女神様は『魂』って言った。つまり、そういうことなんだ。口は開けど、言葉を出せなかった。これは現実だと、認めるしかなかった。そして、出てきた言葉はただ一言。
「そう、ですか」
その言葉は弱々しく、自然と顔は俯く。
ああ、本当に終わったのだ。やり残したこと。伝えられなかった想い。そのすべてが、胸に押し寄せてきた。
その姿を前にした女神様は、微かに息を吸い、
「今はあなたの葬儀の途中です」
その言葉に、胸が締め付けられる。
「ご覧になられますか?」
俺は静かに顔を上げ、女神様の顔を見上げた。女神様の表情には優しさだけではない、どこか切なさのようなものが宿っていた。
「見たくないなら構いません。ですが、私はあなたに見てほしい」
その女神様の声に優しさと強い覇気を感じた。
俺は女神様の言葉に覚悟を決めた。俺の人生、最期まで見届けるその覚悟を。俺は強く頷き、女神様を真っ直ぐ見つめた。
「女神様。ぜひ、お願いします」
その答えに、女神様はわずかに口元を和らげた。
女神様が腕を静かに横へ広げる──。
すると、辺り一面の花々が淡い光を放ち始めた。
花びらから無数の光の粒子が舞い上がり、女神様がそっと手を前に差し出すと、その粒子は吸い寄せられるように手のひらへ集まっていく。
目の前で何が起きているのか理解できない。
それでも一つだけ、確信できることがあった。
俺が今見ているのは、人の手では決して成し得ない──神が起こす奇跡だった。
花々は輝きを失ったのではない。
まるで女神様に応えるように、その光を自ら差し出しているようだった。
やがて花々の輝きは静かに収まり、光はすべて女神様の手のひらへと集まった。
手のひらには、小さな光の球が浮かんでいる。
女神様がそれをそっと俺たちの横へ飛ばす。光の球は音もなく広がり、一枚の光の幕となった。
やがて中央から景色が滲むように映し出される。
そこに広がっていたのは──。
そこには、俺の遺影が静かに飾られていた。
周囲には花々と、好きだった菓子が供えられている。木魚の音と僧侶の読経だけが、静かな式場に響いていた。
まさか、自分自身の葬儀を見ることになるなんて。死んだのだという現実を、改めて突きつけられ、俺は再び俯いた。
「顔を上げて、見てください」
それはさっきと同じ優しさと覇気ある声だった。その言葉に俺は顔を上げる。そこに映っていたのは──。
「うわあぁぁぁ、おじさん」
姪っ子は声を上げて泣いていた。
「翔也⋯、くそ」
兄は涙を拭いながら唇を噛み締める。
「先輩」
部下は鼻を啜りながら俯いた。
「神代くん」
上司は静かに目を閉じ、肩を震わせていた。
姪っ子、兄、部下、上司、そして高校の同級生や先生たちまでが涙し、それぞれが涙を拭いながら、俺を──俺の名を呟く。
誰も泣かない人生だと思っていた。
だけど、違った。
俺の知らないところで、こんなにも泣いてくれる人がいた。その光景を前に俺は涙が溢れる。
「失礼しました。お見苦しいところを⋯」
女神様は微笑みながら言う。
「いえ、そのようなことはございません。むしろ、お見せできて良かったと思っております。」
その答えに俺は少し驚き、不思議に思った。女神様は言葉を続ける。
「ご覧になってもらったら分かるでしょう──」
女神様の手は光の天幕を差し、映像を見て語る。
「あなたは周囲の方々のために、ときには自分を犠牲にしながらも、優しさを忘れずに接してこられました」
「だからこそ、今ここで涙を流し、あなたを見送る方がいるのです」
そして、女神様がこちらを見て、一歩ずつ俺に近づきながら言葉を続ける。
「『素晴らしい人生』などと、私が軽々しく申し上げるべきではないのかもしれません」
女神様は俺の前まで歩み寄るとゆっくりしゃがみ込み、そっと俺の肩へ手を添えた。そして、真っ直ぐで綺麗な瞳は俺の顔から目を逸らそうとせず強く語る。
「誇ってください。あなたの人生は胸を張って誇っていいのです。」
その言葉に応えるように、花々が一斉に揺れた。
舞い上がった花びらはまるで二人を祝福するかのように静かに振り注ぐ。
「うっ、ひゅっ……はぁ……」
俺は慌てて涙を隠すように手で顔を覆った。
「ふふ」
鈴が転がるような、小さく優しい笑い声が耳に届く。
その声の方へ顔を上げると、女神様が口元にそっと手を添え、穏やかに微笑んでいた。
花びらがゆっくりと舞い落ち、やがて静寂が戻る。女神様は肩に添えていた手をそっと離し、静かに立ち上がった。
俺も涙を拭いながら深く息を吐く。
女神様はそんな俺を優しく見つめ、小さく頷いた。
「とはいえ、あなたのような人がこのまま報われないのは惜しく思います。何か願いはございますか。何でもは難しいですが、願いをかなえられればと思います」
女神様のその言葉に俺は正気に帰った。俺の⋯⋯望み。
少し考えた。俺はこのひと時で、何を感じ、何を抱いた。
無理かもしれない。 それでも、この想いだけは、自分自身のために正直に伝えよう。
片膝を立て手を胸に添えて頭を下げる。姿勢を正し、俺の精一杯を伝える、
「女神様。俺の願いをお聞きください」
女神様は小さく息を吸い口にする。
「お聞かせください」
優しく真っ直ぐな声で俺に問う。
「⋯願わくば」
言葉が喉につかえる。
それでも、逃げたくはなかった。
俺は真っ直ぐ女神様を見つめた。
「私と⋯恋人になってください」




