第16話: 噂は風に乗る
知らない手のひらがメリルの手の上に、乾いた木の実をひと粒そっと置いた。
あかぎれだらけの、年寄りの手だった。
メリルはその手の冷たさを先に量った。骨の節が太く、爪の根が薄く割れている。坂を上ってくるだけで息が乱れる年の手だった。
「これは……」
「胡桃だ。今年の、最後の」
しわがれた声が、戸口の冷えの中で言った。
その朝、白鳩の家の戸を叩いたのは、見たことのない老女だった。
ハーロウの本通りの顔ではない。隣の谷の村から、半日かけて雪を渡ってきたのだという。
「孫が、咳をしてな」
老女は背の籠を下ろした。
「峠の向こうの先生が、咳の子を治すと聞いた。本通りのマーサに、道を教わって」
「では、お孫さんも、一緒に」
「いや」
老女は首を横に振った。
「孫は、もう熱が引いた。あんたの草で、と聞いたから、礼を持ってきただけだ」
メリルは、言葉に詰まった。
自分の草で治った、と老女は言う。けれど、その孫を診た覚えはなかった。
「あの……わたし、お孫さんを診ては」
「マーサの草さ」
老女が、籠の口を結び直した。
「マーサが本通りの草を、谷の村にも回した。あんたが乾かし直した草を、ひと束。それが、孫に効いた」
「マーサさんが」
「町の草を、町の子に使う。あんたが、その草を増やしたんだろう」
胡桃のひと粒が、メリルの手のひらでわずかに冷えていた。
「いただいて、よろしいのですか」
「軒の下に置いたものは、お受けするのが作法だ」
老女は、北辺の言い回しでそう言った。
「あんたも、もう知っているだろう」
「……ええ。知っています」
メリルは、胡桃を両手で包んだ。
軒の下に置かれたものは受ける。卵のときもそう教わった。手のひらの中で、贈り物はいつも少し冷たい。けれどその冷たさには、坂を上ってきた誰かの息が混じっている。
「ありがとうございます。大切に、いただきます」
老女が坂を下りていく。
その背を見送って、メリルは戸を閉めた。
竈の前で、ニーナが目を丸くしていた。
「メリルさま。いまの方、お隣の谷の村から?」
「ええ。半日、雪を渡って」
「半日も。それも、お孫さんは治ったあとで、お礼だけに?」
「そうなの」
メリルは、胡桃を薬棚の隅へそっと置いた。
「不思議ね。わたし、その子を診てもいないのに」
「マーサさんのお草が、谷の村まで」
ニーナが、灰起こしの手を止めた。
「お草が、歩いていったみたいですね」
「歩いて」
メリルは、その言い方にふっと笑った。
「そうね。歩いていったのね。本通りから、谷の村へ」
乾かし直した草が誰かの手から手へ渡って、見たこともない子の咳を引かせた。自分の手が触れていない場所で、自分の草が働いている。それは奇妙な手応えだった。
「ニーナ。お草は、足りていて?」
「上段に、まだひと束半。町の蔵から、明日また回ってくると」
「そう。なら、いいわ」
その日から、坂を上ってくる足音が、ひとつずつ増えていった。
本通りの咳の子。谷の村の年寄り。さらにその向こうの、名も知らない集落の母と子。
半町ほどの坂は、辺境のあちこちから人が辿りつく道になった。
メリルはその一人ひとりの額に手のひらを当てた。首筋で脈を数え、胸に耳を寄せた。手のひらは来る者の数だけ熱を量った。
夕暮れには、指の腹がいつもより乾いていた。
三日も経つと、軒の下の贈り物が、目に見えて増えた。
胡桃。干した芋。毛糸ひと巻き。皮を縫った冬手袋。鶏の卵。
どれも、お代を出せない者たちの、精一杯の現物だった。
「メリルさま」
ニーナが、軒の下のものを抱えて入ってきた。
「また、卵が三つ。それから、これ……お手紙でしょうか」
差し出されたのは、卵ではなかった。
薄い樺の皮を、麻紐で結んだ束だった。
樺の皮を開くと、炭で書いた拙い文字が並んでいた。
文字というより、線に近かった。けれど、読めた。
「ありがとう。むすこが、いきをした」
それだけだった。
メリルは、その短い言葉を指でそっとなぞった。
息をした。たったそれだけのことが、誰かには炭をつかんで樺の皮に刻むほどのことだったのだ。
「ニーナ」
「はい」
「これ、薬棚の上段に。和紙の隅へ」
「お薬と、一緒に?」
「ええ。いちばん、効くお薬だから」
その夕、マーサが坂を上ってきた。
麻袋を担ぎ、息を白くしながら、戸口で雪を払う。
「先生。町の蔵の草、ひと束足しといたよ」
「マーサさん。いつも、ありがとうございます」
「礼はいいさ。それより」
マーサは、竈の前にどっかと腰を下ろした。
「本通りの話が、すっかり変わったよ」
「話、ですか」
「峠の上に、本物の癒し手がいる。そういう話さ」
「いまじゃ谷の村も、その向こうの集落も、咳の子は白鳩の家へ運べと言ってる」
マーサは、灰の桶を脚で寄せた。
「あんたの噂が、風に乗って広がってる。雪の上を、思いのほか速くね」
「噂が、風に……」
メリルは、その言葉を胸の中で繰り返した。
風に乗る、という言い方が北辺らしいと思った。屋敷では、噂はいつも閉じた部屋の中を這うものだった。誰かの口から誰かの耳へ、湿った床を伝うように。
けれど、ここでは噂が風に乗る。雪の上を、開けた空の下を、渡っていく。
「でもね、マーサさん」
メリルは、薬棚の乏しい草へ目を移した。
「人が増えれば、草も、手も、足りなくなります」
「そうさ」
マーサは、あっさりうなずいた。
「噂は飯にならない。草にもならない。あんたの言う通りだ」
「ええ」
「だがね、先生」
マーサの灰色の目が、ふとメリルを見た。
「噂が広がるってことは、頼れる手がここにあるって、みんなが知ったってことさ。それは、悪いことじゃない」
「頼れる手」
「ああ」
マーサは、節くれ立った指で、自分の膝を一度叩いた。
「あたしらは長いこと、頼れる手のない冬を越してきた。咳の子が出ても、ただ看るしかできない冬をね。それが、変わった。あんたが来て」
マーサは、そこで言葉を切った。
竈の火が、ぱちりとひとつ爆ぜた。
「だから、みんな坂を上ってくる。礼を持ってね。あんたの手を、当てにしていいんだと知ったからさ」
メリルは、その言葉を胸に落とした。
当てにしていい手。屋敷では、誰の当てにもならない手だった。
マーサが、麻袋から何かを取り出した。
乾いた草の束ではなかった。古びた、布の包みだった。
「これは?」
「谷の村の婆さんからの言伝さ。さっき本通りで会った」
マーサは、包みをメリルの膝へ置いた。
「あんたに、これを渡してくれと。北辺路の、もっと奥の草だとさ」
布を開くと、見たことのない草が出てきた。
葉が分厚く、縁が白く粉を吹いている。指でこすると、雪の草より深い、苦い匂いが立った。
「奥の、草……」
「あたしも知らない草さ」
マーサが、肩をすくめた。
「谷のもっと先、北辺路を三日も奥へ入った集落の草だと。あすこは、本通りより冬がきつい」
「三日も、奥へ」
メリルは、その分厚い葉を、指の腹でそっとなぞった。
粉を吹いた葉の表面が、指に細かくざらついた。乾き切っている。けれど芯には、まだ青い力が残っていた。よく効く草の手応えだった。
「これは……強い草ですね。雪の草より、ずっと」
「だろうね」
マーサの声が、ふと低くなった。
「奥の集落じゃ、強い草が要るのさ。本通りの草じゃ、追いつかない冬だから」
追いつかない冬、という言葉が、メリルの耳に引っかかった。
「マーサさん。それは、どういう」
「……婆さんが、こう言ってた」
マーサは、灰を見つめたまま言った。
「奥の集落の、今年の冬籠りの熱は、重い。本通りより、ずっと重いとさ」
「重い」
「本通りの咳の子は、あんたの草で峠を越せてる。だが奥は、違うらしい」
マーサは、ひと度雪のやんだ戸の外を見た。
「熱が下がらない。胸の水が、引かない。看取りが、ふだんより多いと」
メリルは、息を呑んだ。
看取りが、多い。
ハモンドの夜が、胸の奥でうずいた。すり減った肺。戻せなかった命。両手のひらが、いまもその重さを覚えている。
「奥の集落には、癒し手は」
「いやしないさ」
マーサは、首を横に振った。
「この北辺で癒しの手なんざ、あんた一人さ。奥の集落も、ただ看るしかできない。婆さんが、強い草をあんたに託したのは、そういうことさ」
「わたしに……」
「峠の上の先生なら、この草を活かせるかもしれない。そう思ったんだろう」
メリルは、分厚い草を両手で包んだ。
託された、という重さが、手のひらにずしりと乗った。
会ったこともない、北辺路を三日も奥へ入った集落の人々。その人々の、今年いちばん重い冬。それを、見たこともない婆さんがこの手へ託した。
「……マーサさん」
「なんだい」
「奥の集落まで、わたしの手は、届くのでしょうか」
メリルの声が、細くなった。
手のひらは、触れたものしか量れない。三日も奥の熱は、量れない。
「届かせるんじゃないよ」
マーサが、ぴしゃりと言った。
「あんた一人で、北辺じゅうの熱を背負おうなんて思うんじゃない」
「でも」
「奥のことは、奥でやれることがある。あんたは、ここを守りな」
マーサは、自分の膝をもう一度叩いた。
「ここの坂を上ってくる子を、一人でも多く春へ渡す。それが、あんたの今年の冬だ。奥の草は、その足しにすればいい」
「……ここを、守る」
「そうさ。手の届くところからだ。ひとりで、抱えるんじゃないよ」
ひとりで抱えるな。
その言葉を、メリルはもう何度も聞いた。マーサから。ガレスから。
けれど何度聞いても、手のひらは目の前の熱しか量れない。三日も奥の集落の看取りの多い冬を思うと、胸の奥がきりりと締まった。
「ニーナ」
「はい」
メリルは、託された草を薬棚の上段へ運んだ。
「この草、いちばん奥の段へ。雪の草の、隣に」
「いちばん、効くお草ですね」
「ええ。いちばん、重いお草よ」
その夜。
マーサが帰ったあと、白鳩の家にまた竈の音だけが残った。
メリルは、薬棚の前に立って、三つの草の束を並べて見た。
本通りの雪の草。北辺路の雪の草。そして、三日も奥の、分厚い草。
草の束が、ひと束ずつ北辺の奥へ向かって遠ざかっていくように見えた。手前の草は、もう知っている熱の草。いちばん奥の草は、まだ会ったこともない熱の草だった。
「メリルさま。お疲れでしょう。お湯を、温めましょうか」
「ありがとう、ニーナ。でも、もう少しだけ」
メリルは、和紙の隅の樺の皮へ目を落とした。
「むすこが、いきをした」と、炭の線が言っている。
息をした子が、ここにいる。その向こうに、息ができずにいる子が、いる。
手の届く坂の上と、手の届かない奥の集落。同じ冬が、両方を覆っている。
メリルは、両の手のひらを見下ろした。
削れていく手だ。けれど、いまはまだ、量れる熱がある。坂を上ってくる子の、量れる熱が。
戸の隙間から、軒の白い鳩の背が見えた。
藍に沈んだ雪の中で、鳩だけが別の白だった。
「お客さま。今日は、たくさんの方が坂を上っていらしたわ」
メリルが小さく声をかけると、鳩はちらと丸い目を上げた。
「谷の村からも。その向こうの集落からも。噂が、風に乗ったのですって」
鳩は、もうひと度胸の羽をふくらませた。
「ええ。嬉しいの。……でもね」
メリルは、声を落とした。
「いちばん奥の集落には、わたしの手は、まだ届かないの」
翌朝、坂の下から、馬蹄がひとつ上ってきた。
ガレスだった。
毛皮の外套に薄く雪を乗せ、戸口で足を止める。
「メリル殿」
「ガレス領主さま。朝早くから」
「奥の集落の話を、聞いたか」
ガレスの声は、いつも通り無駄がなかった。
けれど、その目の奥に、ひと粒、重いものが沈んでいた。
「……ええ。マーサさんから。今年の冬籠りの熱が、奥では重いと」
「マーサが、もう伝えたか」
ガレスは、小さくうなずいた。
「奥の集落の世話役から、雪を渡って便りが来た。看取りが、例年の倍だと」
「倍」
メリルは、息を詰めた。
「奥には、癒しの手がない。草も、もう底をついている」
ガレスは、戸口の脇に立ったまま言った。
「私の権で動かせるのは、ハーロウの蔵までだ。奥の集落までは、雪が深すぎて人も物も回せん。この冬は、特にな」
「では、奥の集落は」
「自分たちの手で、越すしかない」
ガレスの声が、ひと度沈んだ。
「いつもの冬なら、それで越せる。だが今年は、重い。私の算盤でも、奥の数は、まだ読めん」
メリルは、その言葉を胸に落とした。
読めない数。看取りの、倍の数。それが手の届かない雪の奥で、静かに増えている。
「ガレス領主さま。わたしに、できることは」
「いまは、ない」
ガレスは、はっきりと言った。
「あんたは、ハーロウを守れ」
ガレスは、メリルをまっすぐに見た。
「奥のことまで背負えば、あんたが先に倒れる。倒れれば、ハーロウの子も救えん。それは、いちばん高い駒を、いちばん安く使い潰すことだ」
「……はい」
「だが」
ガレスは、そこで言葉を切った。
雪のやんだ戸の外を、その灰色の目が見た。
「もし奥の熱が、本通りまで下りてくるなら——そのときは、あんたの手が要る。覚悟だけは、しておけ」
「下りて、くる」
「冬は、流れるものだ」
ガレスは、外套の前を合わせ直した。
「奥で重い熱は、雪解けまで奥に留まるとは限らん。風が運ぶ。人が運ぶ。あんたの噂が風に乗るように、熱も風に乗る」
メリルは、両の手のひらを握りしめた。
噂も、熱も、同じ風に乗る。
いま坂を上ってくる評判の風が、いつか奥の重い熱を連れてくるかもしれない。同じ風が、恵みと災いを両方運んでくる。
「……覚悟、しておきます」
「それでいい」
ガレスが坂を下りていく。
雪を踏む重い足音と一頭の馬蹄が、坂の下へ遠ざかった。
メリルは、その背を戸口から見送った。
守ってくれる人ではない。けれど、来るべきものを、隠さずに告げてくれる人だった。
いちばん重いものは、これから来る。あの夜に握りしめた予感が、いまは輪郭を帯びていた。
奥の集落の、看取りの倍の冬。それが、いつか風に乗って、この坂を上ってくるかもしれない。
その昼、坂の下から、見慣れぬ橇がひとつ上ってきた。
病者ではなかった。
毛皮を厚く着込んだ行商の男だった。北辺路を渡り歩いて、町々へ塩や布を運ぶ者だという。
「峠の上の先生かい」
男は、橇を止めて声をかけた。
「本通りで、塩を売った。あんたの噂を、たんと聞いたよ。咳の子を治す、よそ者の先生だと」
「……ありがとうございます」
「礼にもならんが、塩をひと握り置いていく。傷を洗うのに、要るだろう」
メリルは、軒の作法で塩を受けた。
男は、橇の縄を結び直しながら、ふと顔を上げた。
「あんた、公爵領のほうから来たんだってな」
「ええ。そうです」
「なら、王都の話は、耳に入ってるかい」
「王都の?」
メリルは、ふと手を止めた。
王都。リンドル。社交界。ソフィアお義姉さま。リオネル殿下。
追放されてから、ひと度も聞かなかった名前が、行商の男の口からふいに転がり出た。
「王都の治療院で、妙な熱が出てるそうだ」
男は、橇の縄を引きながら言った。
「公爵領を通ったとき、宿で聞いた。リンドルの治療院で、寝台が足りなくなってるとか」
「寝台が、足りない」
「ああ。ひと冬にふた人の熱が、ひと月でふた台、み台と寝台が増えてるとさ。名のない熱だと、医者も首をひねってるらしい」
名のない熱。
その言い方が、メリルの胸の隅に小さく引っかかった。
「冬の熱は、北辺だけじゃないってことさ」
男は、肩をすくめた。
「もっとも、王都の熱と、北辺の冬籠りの熱は、別もんだろうがね。あっちは、毎年の流行りとは違うらしい」
「別もの……」
「さあね。おれは塩屋だ。熱のことは、わからん」
男は、橇の縄を肩にかけた。
「ただ、噂は風に乗る。北辺の冬籠りの熱も、王都の名のない熱も、おんなじ風が運んでくる。妙な冬さ、今年は」
行商の男はそう言い残して、橇を雪の坂の下へ滑らせていった。
メリルは、塩のひと握りを手のひらに包んだままその背を見送った。
王都の、名のない熱。
それは北辺の冬籠りの熱とは別ものだと、男は言った。けれど、なぜだろう。胸の奥が、薄く冷えた。
手のひらの塩が、つめたく粒立っていた。
ハモンドの夜に量った、戻せない命の重さ。奥の集落の、看取りの倍の冬。そして王都の、名のない熱。
三つの冷えが、別々の場所で同じ冬を覆っている。
「メリルさま」
ニーナが、戸口から呼んだ。
「お塩、いただいたんですか」
「ええ。傷を洗うのに、と」
「よかったです。お塩も、なくなりかけて」
メリルはニーナを見て、ふっと口元をほどいた。
「ニーナ。今日は、いろんな風が、坂を上ってきたわね」
「お風、ですか?」
「ええ。お礼の風も。お草の風も。……それから、遠い王都の風も」
その夜、メリルは藁に横になって天井の闇を見上げた。
隣でニーナが、毛糸のさやを両手にはめたまま寝息を立てている。
メリルは、今日一日に坂を上ってきたものを、ひとつずつ数えてみた。
胡桃。樺の皮の言伝。谷の村の草。三日も奥の、分厚い草。塩屋の橇。そして——王都の、名のない熱の噂。
恵みも、危機も、同じ坂を上ってきた。同じ風に乗って。
メリルは、両の手のひらを胸の上で合わせた。
手のひらは触れたものしか量れない。坂を上ってくる子の熱は量れる。けれど三日も奥の集落の熱は量れない。まして、八日も離れた王都の熱は。
量れないものが、闇の向こうで、静かに増えている。それが、いつか風に乗って、この手のところまで来るのだろうか。
ガレスの言葉が、闇の中で耳に残っていた。熱も、風に乗る。
眠りに落ちる手前で、メリルはふと、薬棚の和紙の隅を思った。
「むすこが、いきをした」と、炭の線が言っている。
息をした子が、ここにいる。
息ができずにいる子が、奥にいる。
そして、名のない熱に倒れる人が、遠い王都にいるのかもしれない。
風だった。便りだった。噂だった。
その三つを、メリルは闇の中で握りしめた。
握りしめた手のひらが、ほんのわずかに、汗ばんでいた。




