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十八年前の赤子の取り違え——婚約破棄された「養女」が、公爵家のただ一人の正統な令嬢だと判明した日  作者: 歩人


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第14話: 辺境の友

 指の腹に、湿った草の繊維がぬるりと滑った。


 乾かし直すはずの草が、芯まで雪を吸っていた。


 メリルは束をひと度ほどいて思わず声を上げそうになった。


「……あらあら」


 梁から下ろした雪の下の草が夜のうちに軒の隙間から入った雪気を吸って、ぐったりと頭を垂れていた。




 雪はもう三日やまなかった。


 戸を細く引くだけで、北の冷えが膝まで切り込んでくる。


 その冷えが軒の隙間から薬棚の上段まで忍び込んでいたのだ。


「メリルさま。お草、どうかなさいましたか」


 ニーナが竈の灰を起こしながら振り返った。


「困ったわ。せっかくの草が、しっとり湿ってしまったの」


「えっ。雪を、吸ったんですか」


「ええ。すっかり、お風邪を召したみたいな顔をしているわ」


 メリルは草の束を目の高さに掲げてわざと顔をしかめてみせた。


「ほら。元気がないでしょう」


 ニーナがその束をのぞき込んでふっと吹き出した。


「ほんとう。葉っぱが、しょんぼりしてます」




 メリルは竈の脇に小さな板を据えて、その上に草を一枚ずつ並べた。


 火から遠すぎれば乾かない。近すぎれば焦げて効きが死ぬ。


 その境目をメリルは手のひらの温度で測った。


「このあたりね。手をかざして、ほんのり温いところ」


「手をかざして、ほんのり温い」


 ニーナがメリルの隣に膝をついて同じように手をかざした。


「……あ。ここ、ちょうどいいです」


「そうでしょう。ここなら、ゆっくり水が抜けるの」


 メリルは葉を裏返した。裏返した葉の縁の鋸歯に灯りの橙がひと粒乗った。


「焦がしたら、おしまいよ。雪の下の草は、気が短いから」


「気が、短い」


「ええ。すぐ拗ねるの。だから、なだめながら乾かすのよ」


 ニーナがその言い方に、また肩を揺らした。




 草を並べ終えると、メリルは膝を伸ばして立った。


 立った腰がひと度こきりと鳴った。


「あら、いけない。お婆さんみたいな音」


「メリルさま、まだ十八でいらっしゃいます」


「十八でも、雪国の床は冷えるのよ。ねえ、ニーナ」


「ええ。床から、しんしん上ってまいります」


 二人は顔を見合わせて、どちらからともなく笑った。


 笑った息が薄い白になって竈の橙に溶けた。


 屋敷の十八年で、こんな笑いを誰かと交わしたことはなかった。あちらでは笑うことそのものが分を超えた振る舞いだった。


 ここでは、湿った草ひとつで笑える。




 戸が、外から軽く叩かれた。


 拳ではなく、子供の手のひらのぽふぽふという柔らかい音だった。


「はあい」


 メリルが戸を引くと、白い息の塊の向こうに見知った小さな顔があった。


「コリン」


「せんせい」


 厚い毛織りにくるまれたコリンが鼻先を真っ赤にして立っていた。


「むね、もうちくちくしません」


「あら、それは何より。よく治ったわね」


「うん。それで、おかあさんが」


 コリンが手に提げた布包みを両手で差し出した。


「これ、おれいだって」




 布を開くと、まだ温かい焼きたての黒パンがふたつ入っていた。


 雪の道を抱えてきたのに、芯がほんのり温い。胸に抱いて運んできたのだ。


「まあ。あったかい」


 メリルはそのパンを両の手のひらで包んだ。


 包んだ手のひらに、ベスの家の竈の温度が移ってきた。


「コリン。お母さまに、ありがとうとお伝えして。とても、とても嬉しいって」


「とても、とても?」


「ええ。二回、嬉しいの」


 メリルがそう言うと、コリンが不思議そうに首をかしげた。


「せんせい、お屋敷のひと?」


「どうして」


「しゃべりかた、町のひととちがう」


 メリルはひと度言葉に詰まった。


 詰まった胸の奥がふいに柔らかくなった。




「そうね。少し、違うかもしれないわね」


「でも」


 コリンが赤い鼻をすすった。


「いまの、わらったかお。町のひとみたい」


 メリルは自分の頬にひと度手を当てた。


 当てた手のひらがふだんよりひと指ぶん温かかった。


「……そう。町のひとみたい?」


「うん。せんせい、わらうと町のひと」


 コリンはそれだけ言うと、満足したように坂を駆け下りていった。


 駆け下りる小さな背を、メリルは戸口から見送った。


 見送る隣で、ニーナがそっとつぶやいた。


「コリンも、わかるんですね」


「なにが?」


「メリルさまが、ここでお町のひとになっていくの」




 パンを半分に割って、三人で分けて食べた。


 いや、三人ではない。軒の下の白い鳩にもひとかけら。


 鳩は梁の端から降りてきて、雪の上のかけらをひと粒ずつついばんだ。


「お客さま、今朝はパンですよ」


 メリルがしゃがんで声をかけると、鳩はちらと丸い目を上げた。


「あら。お気に召さない?」


 鳩はもうひと粒ついばんでから満足げに胸の羽をふくらませた。


「気に入ったみたい。よかったわ」


「メリルさま」


 ニーナが戸口で口元を押さえていた。


「お鳩と、お話ししておられます」


「だって、お客さまだもの。お返事くらい、聞いてあげないと」


 メリルがすました顔でそう言うと、ニーナがとうとう声を上げて笑った。




 昼を過ぎて、本通りの奥からマーサが上ってきた。


 今日は背に薪ではなく、肩に大きな麻袋を担いでいた。


「マーサさん。重そうな」


「町の者からの寄りさ。卵に、干した芋。あんたとこの嬢ちゃんに、毛糸もひと巻き」


 マーサは麻袋を戸口の中へどさりと下ろした。


 下ろした拍子に床がひと度きしんだ。


「コリンの熱を引かせてからこっち、本通りの話がすっかり変わった。よそ者の先生は、本物だ、ってね」


「……そんな」


「照れることはないさ。腕は、腕だ」


 マーサは麻袋の口を開けて、毛糸の玉をひとつニーナへ放った。


「嬢ちゃん。手が、あかぎれてるね」


「あ。はい。少し」


「毛糸で、指のさやを編みな。指先だけ出るやつさ。手が冷えると、看護の手が鈍る」




「マーサさんは、編み物も?」


 メリルが目をみはると、マーサがふんと鼻を鳴らした。


「北辺の女は、たいてい編むさ。冬は長い。手を遊ばせとくと、ろくなことを考えない」


「ろくなこと」


「死んだ亭主のこととかね」


 マーサはぶっきらぼうにそう言った。


 言ってから、ひと度だけ口の端をゆがめた。それは笑みに近いけれど、笑みではない形だった。


「だから、編む。手を動かしてりゃ、冬は越える」


 メリルはその言葉を胸に落とした。


 手を動かしてりゃ、冬は越える。


 それは、メリルが屋敷の十八年でずっとしてきたこととどこか似ていた。




「マーサさん。わたしにも、編み方を教えていただけますか」


「あんたが?」


「ええ。手は、よく動くほうなんです」


 メリルが両手を前へ広げてみせると、マーサがその手のひらをちらと見た。


「ああ。よく動く手だ。それは、前に検めた」


「では」


「いいだろう。だが、こっちは世辞は言わないよ。下手なら下手と言う」


「望むところです」


 メリルがそう言うと、マーサがひと度眉を上げた。


「ほう。屋敷の養女にしちゃ、ずいぶん強気だね」


「ここでは、屋敷の養女ではありませんから」


 言ってから、メリルは自分の言葉にひと度はっとした。


 屋敷では、口が裂けても言えなかった言葉だった。




 マーサは竈の前の床几に腰を下ろして、毛糸と二本の細い木の針を取り出した。


「まず、糸を指にかける。こう。きつすぎず、ゆるすぎず」


「きつすぎず、ゆるすぎず」


「そうさ。脈をとるのと同じだろ。きつく握りゃ、脈は逃げる。ゆるけりゃ、拾えない」


 メリルはその喩えにひと度目をみはった。


「……ほんとう。脈と、同じ」


「だろう。手仕事はみんな、どこかで似てるのさ」


 マーサの大きな指が針の上で糸を巻いた。


 巻いた指の動きは、見た目のごつさに似合わず驚くほど滑らかだった。


「ほら。ひと目。ふた目」


「ひと目。ふた目」


 メリルが真似ると、糸はすぐにこんがらがった。




「あらら」


 メリルの手の中で、毛糸が小さな鳥の巣のようになっていた。


「ぜんぜん、違いますね」


「ぜんぜんさ」


 マーサがばっさり言った。


「ぜんぜん、違うね」


「……手厳しい」


「言ったろ。世辞は言わないって」


 メリルは絡まった糸をほどきながらふっと笑ってしまった。


 屋敷では、何をしても「お見事です」と返された。その「お見事です」の冷たさを、メリルはよく知っていた。


 ここの「ぜんぜん、違うね」のほうが、よほど温かかった。


「マーサさん」


「なんだい」


「下手だと言ってくださって、ありがとうございます」


「……変わった先生だね、あんた」




 ニーナがその横で、もう毛糸のさやを半分まで編み上げていた。


「ニーナ。早いわ」


「わたし、治療院で繕いものをたくさんしておりましたから」


「あら。わたしより、お上手」


「メリルさまは、お草のほうがお上手です」


 ニーナがすまし顔でそう返すと、マーサが低く笑った。


「嬢ちゃん、言うじゃないか」


「だって、ほんとうですもの」


 メリルは絡まった糸を膝に置いて、二人をひと度見た。


 竈の橙の中に、年嵩のマーサと幼いニーナと自分。


 ばらばらの三つの手が、同じ毛糸の周りに集まっていた。


 その光景が、なぜだか胸の奥を温めた。




 日が傾くと、薪が心もとなくなった。


 奥の右壁に積まれたひと冬ぶんの薪も、三日の雪で目に見えて減っていた。


「割らないと、足りないわね」


 メリルが、戸口の脇の薪割り台に丸太をひとつ運んだ。


「メリルさま。それは、わたしが」


「いいの、いいの。やってみたいの」


「でも、斧は重うございます」


「だからこそ、よ。一度振ってみたかったの」


 メリルは斧の柄を両手で握った。


 握った手のひらに、樫の柄のざらりとした手応えが返ってきた。


「屋敷では、絶対にさせてもらえなかったのよ。令嬢でも養女でも、斧なんて」


 メリルは、いたずらっぽく目を細めた。


「だから、こっそり一度、やってみたいの」




「……マーサさん。止めなくて、いいんでしょうか」


 ニーナが戸口のマーサを見上げた。


「いいさ」


 マーサは床几から立たなかった。


「やりたいことを、やらせときな。北辺じゃ、女も斧を振る」


「でも、お怪我を」


「怪我もまた、覚えるうちさ」


 マーサは毛糸を編む手を止めずにちらとメリルを見た。


「だが先生。腰で振るんじゃない。膝で落とすのさ。斧の重さに、仕事をさせな」


「膝で、落とす」


「ああ。あんたの力じゃない。斧の重さだ」


 メリルはその言葉をひと度胸に置いた。


 わたしの力ではなく、斧の重さに任せる。




 メリルは斧を頭の上まで上げて息をひとつ吐いた。


 吐いた息の白が、薄れきる前に。


 膝の力を、すとんと抜いた。


 斧が、自分の重さで落ちた。


 ぱきりと乾いた音がした。


 丸太がまっぷたつに割れて、雪の上に転がった。


「……割れた」


 メリルは自分の手の中の斧をひと度見た。


「割れたわ。ニーナ、見て。割れた」


 その声がひと粒、高くはずんでいた。


「メリルさま。すごい。一度で」


「ええ。一度で。膝で落としたの。マーサさんの言うとおりに」


 メリルは雪の上の二つの薪を子供のように見下ろした。




「ほう。筋がいいね」


 マーサが戸口からそう言った。


「初めてで膝が使えるやつは、めったにいない」


「ほんとうですか」


「ああ。世辞は言わないって、言ったろ」


 メリルはその言葉にぱっと顔を上げた。


「では、これはお世辞ではなく」


「ほんとうのことさ」


 メリルはもう一本、丸太を割り台に乗せた。


 乗せた手が、ひと度はずんでいた。


「もう一本、よろしいですか」


「好きにしな」


 メリルは斧を上げて、また膝で落とした。


 また、ぱきりと割れた。


 割れるたびに、胸の中で何かがひとつずつ軽くなっていった。




 薪を割り終える頃には、北の空がすっかり藍色に沈んでいた。


 メリルは割った薪を腕に抱えて戸口の中へ運んだ。


 抱えた腕がほどよく疲れていた。


 その疲れが屋敷の疲れとは違う種類のものだった。


「いい働きだった」


 マーサが編み上げた毛糸のさやをニーナの手に握らせながら言った。


「あんた、屋敷でずっと、こうやって働きたかったんだろう」


 メリルは薪を竈の脇に下ろした。


 下ろした手がひと度止まった。


「……どうして、それが」


「割るたびに、顔が明るくなってったからさ」


 マーサの灰色の目がふっとやわらいだ。


「人ってのは、したいことをしてるとき、いちばんいい顔をする。あんたの今日の顔は、いい顔だったよ」




 メリルは自分の頬にひと度手を当てた。


 いい顔。


 屋敷では、誰もメリルの顔を見なかった。見ても、それを「いい顔」と言ってくれる者はいなかった。


「マーサさん」


「なんだい」


「わたし、ここへ来て、よかったです」


 言ってから、メリルは自分でも驚いた。


 追放されてきた地のはずだった。日陰の手が、さらに深い日陰へ押しやられた地のはずだった。


 なのに、その口から「来てよかった」が、するりとこぼれた。


「追放だなんて、思っていたのに」


「追放さ。れっきとした追放だよ」


 マーサはぶっきらぼうにそう言った。


「だがね、追われた先で、何を拾うかは、あんた次第さ」




「何を、拾うか」


「ああ。あたしも、追われてここへ来た口さ」


 マーサが麻袋の口を結び直した。


「若い頃、町でしくじってね。亭主の里のこの北辺へ、逃げるように来た。来たときは、世界の果てに捨てられた気がしたよ」


「マーサさんが」


「ああ。今じゃ、ここがあたしの世界さ。本通りも、軒の鳩も、しょんぼりした嬢ちゃんの草もね」


 マーサは立ち上がって背を伸ばした。


「捨てられた場所が、いつのまにかいちばん帰りたい場所になる。北辺ってのは、そういう土地さ」


 メリルはその言葉を胸に落とした。


 落ちた言葉が、白鳩の家という名とどこかで重なった。


 誰かが、帰ってこられる家。




「さて」


 マーサが戸口へ向かった。


「日が暮れる。あたしも、帰るよ」


「マーサさん。お夕飯を、召し上がっていきませんか」


「いいや。本通りに、咳の子がもうふた人いる。様子を見て回らなきゃ」


 マーサは、戸の閂に手をかけた。


「あんたの草が乾いたら、ひと束、本通りへ回しとくれ。お代はいらない」


「町の草を、町の子に」


「飲み込みが早いね、先生」


 マーサはひと度だけ振り返った。


「明日も、雪らしい。重いのが来る。気を抜くんじゃないよ」


「はい。気をつけます」


 マーサは戸を引いて、藍色の雪の中へ消えていった。




 戸が閉まると、院の中に竈の音だけが残った。


 ぱちり、と薪が爆ぜた。


 その音が、狭い院の中にひと粒落ちた。


「メリルさま」


「なあに」


「マーサさん、お優しいですね」


「ええ。とても」


 メリルは乾かしかけの草をひと度裏返した。


 裏返した葉が、もう半分ほどぴんと張りを取り戻していた。


「下手だと言ってくださるのも。膝で落とせと教えてくださるのも。ぜんぶ、優しさなのよ」


「ぜんぶ、優しさ」


「ええ。屋敷の『お見事です』より、ずっと」


 メリルは編みかけの絡まったままの毛糸を膝に乗せた。


 乗せた毛糸を、もう一度ひと目から編み直し始めた。




「ニーナ」


「はい」


「明日も、雪ですって」


「ええ。マーサさんが、重いのが来ると」


「咳の子が、増えるわね」


「ええ。きっと」


 メリルは編む手をひと度止めて、戸口のほうを見た。


 戸の隙間から、軒の白い鳩の背が薄く見えた。


 藍色に沈んだ雪の中で、鳩だけが別の白だった。


「忙しくなるわ。でも」


 メリルは、ふっと口元をほどいた。


「ひとりじゃないもの。ニーナがいて、マーサさんがいて。それから、お客さまの白鳩も」


「白鳩は、お手伝いはなさいませんけど」


「あら。励ましてくれるわ。あそこにいるだけで」


 ニーナがその言い方に、また小さく笑った。




 夜が更けると、メリルは薬棚の前に立った。


 乾かし直した草を、ひと束ずつまた上段へ戻していく。


 戻す手の下で、和紙の角の凹みが指の腹に触れた。


 この凹みを残した人も、こうして草を乾かし直しただろうか。


 雪を吸った草に「しょんぼりした顔ね」と話しかけただろうか。


 メリルは、ふとそんなことを思った。


 思ってから、その問いをいつものように胸の隅に置いた。


 答えはなかった。けれど今夜は、その問いが昨日より少しだけ親しいものに感じられた。




 藁に横になると、竈の橙が背中にひと筋当たった。


 その隣でニーナが毛糸のさやを両手にはめたまま、すうすうと寝息を立てていた。


 あかぎれの指の先だけが、さやから出ていた。


 メリルはその小さな手をひと度見た。


 明日も雪だという。咳の子が増えるという。草は乏しく、人手も足りない。


 それでも、不思議と胸は重くなかった。


 膝で落とした薪の手応えが、まだ手のひらに残っていた。


 マーサの「いい顔だったよ」が、まだ耳の奥に残っていた。


 メリルは目を閉じた。


 閉じた目の裏で、絡まった毛糸が少しずつほどけていく気がした。




 戸の外で、白い鳩がひと度羽をふるわせた。


 ふるわせた音は雪に紛れて、すぐに消えた。


 メリルはその音を闇の中で聞いた。


 聞いた手のひらに、今日一日の温度がまだ薄く残っていた。


 パンの温度。斧の手応え。毛糸の絡まり。子供の赤い鼻。


 屋敷の十八年には、ひとつもなかった温度だった。


 メリルはその温度を両の手のひらに抱いて、眠りについた。


 眠りの底で、明日の雪がまだ静かに降り出す前の夜を、深く更けていった。



最後まで読んでいただきありがとうございました。


第十四話「辺境の友」をお届けしました。前話までの看取りと命名の、少し張りつめた夜が続いたあとで、今話は、ひと息つける日常の回にしたいと思って書きました。


雪を吸ってしょんぼりした草。胸に抱いて運ばれてきた温かいパン。初めて握った斧。絡まった毛糸。——どれも小さなことですが、その小さなことのひとつひとつで、メリルが少しずつ笑うようになっていきます。


屋敷では、メリルは「はい」とだけ返す養女でした。本当は元気で、好奇心が強くて、口数も多い子なのに、十八年のあいだ、その蓋を自分で閉めて生きてきました。その蓋が、ニーナとマーサという信頼できる人たちの前で、ふっとほどけていく——そんな回です。


マーサの「世辞は言わない」という不器用な優しさが、屋敷の「お見事です」より、ずっと温かい。そのことに、メリル自身が気づきます。そして、追われてきた地が、いつのまにか帰りたい場所になっていく——それは、白鳩の家という名の願いそのものでもあります。


次話では、いよいよこの辺境を治める領主が現れます。日常のあとに、また少し、物語が動きます。


毎日19時更新予定です。☆評価・ブクマ・感想をいただけると、何より次話の励みになります。

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