52-6 最終話
頼朝の遺言を聞いた義経は、家康に語りかける。
「……兄は、穏やかな男であったが、まさに鬼じゃな……」
頼朝の願い、頼朝の罪、頼朝の道筋――
すべてが、遺された者たちに渡されてゆく。
篠は、頼朝の言を書き記した書を手に、義経と家康の前に座した。
篠の隣には、秀長と牛一が控えている。
篠は、静かに口を開いた。
惣無事令発布までの道筋――。
帝と二条晴良との約定として、まずは日ノ本の半分の領国の支配。
それは、義経が万難を排して実現させる。
そして惣無事令発布の後――
頼朝軍は、帝の命によって日ノ本の静謐を守る軍団となる。
帝・関白の宣旨に基づき軍を動かすため、太政大臣、もしくは征夷大将軍を拝命する。
義経は、帝の軍としての形を整えた後、軍を家康、もしくはふさわしき者に引き継ぐ。
ここで、義経は家康に顔を向けた。
家康は深く平伏する。
家康「頼朝殿に、直接わが決意をお伝えできず、慚愧の念に堪えませぬ。
しかし、謹んで、頼朝殿のご意志を承り申した」
篠は書から目を上げ、家康に言葉をかけた。
篠「……良くぞご決断くださいました、家康様。
御礼申し上げまする」
深く家康に一礼した後、篠は再び書に目を戻した。
篠「頼朝様の厳命はここまででございます。
ただし、本当に大変なのはこの先とも申されておりました……
この先は、頼朝様の思いとしてお伝えするように、承っております。
”正しい”統治など存在しない、それでも最善を尽くす努力は怠らぬように。
……その判断は、軍団を引き継ぐ者に委ねる。
それが――この書を書き記す際の、最後の頼朝様のお言葉でした……」
篠は続けた。
帝・関白の治世を支え、朝廷による政が民の安寧をもたらすことを、頼朝は強く望んでいた。
ただし、もし朝廷が民を顧みぬ政を行うようなことがあれば――
あるいは、朝廷内の争いに武家が巻き込まれ、世が乱れるようなことがあれば――
後継の者は朝廷に介入し、関白となるか、幕府を開き、自らが政を行う。
それが、頼朝の遺した最後の道筋であった。
篠「頼朝様からのお言葉は、以上でございます……」
篠は書を丁寧に巻き、義経に手渡した。
義経と家康は、篠に深々と頭を下げ、部屋を出る。
義経は、戸が閉まるわずかな隙間から、崩れる篠が、父の羽柴秀長に抱き留められるところを目にした。
傍らの家康も、眉間にしわが寄ったまま遠くを眺めていた。
義経「……兄は、穏やかな男であったが、まさに鬼じゃな……」
義経は苦笑いを浮かべながら、家康に語りかけた。
家康「頼朝殿は、義経殿に詫びておられた――
鎌倉の時も、そして今も……」
義経「そうではない、家康殿。
拙者よりも、そなたへ残した思いこそ、鬼の言葉と思うたのじゃ」
家康は、義経に目を向けて、口の端を上げた。
家康「某への言葉は、”最善を尽くす”ことでござるよ……
そこだけはお約束いたす」
義経は、家康の手を取った。
家康も、その手を強く握り返した。
家康「精いっぱい、義経殿をお支え申し上げる。
某も、ともに血を流す覚悟は出来申した……」
部屋の中からは、篠の嗚咽らしき声が聞こえてきた。
義経は、少し部屋の戸を振り返ったが、直ぐに前を見て歩を進める。
桜は散り、新緑の緑が二条城を優しく彩っていた。
***
天正十七年(1589年)八月。
源桜を総大将とした頼朝軍は、信貴山城の織田軍を開城させ、最後まで織田信長に従った多くの家臣を捕虜とした。
二条城から駆けつけた義経、総大将の源桜と、参軍の北条早雲は、牢に足を運んだ。
両手を縄で縛られた信長が、目を向ける。
縄を打たれてなお、信長の眼光は鋭かった。
笑みを浮かべながらも、その場を動かない。
義経「……信長殿であるな」
義経は傍らの守衛に牢の戸を開けるように伝える。
信長は笑みを浮かべたまま、その場を動かなかった。
信長「……追い詰められ、最後に救われるとは……
憎らしき事よ」
笑みを浮かべたまま、鋭い目を義経に向ける。
信長「是非も無し。
今更ではあるが、一度は頼朝殿と話をしてみたかったものよ……」
義経は静かに頷き、信長の前を去った。
数日後、織田家の武装解除を見届けた頼朝軍は、大和から退却を始める。
退却の途上、信長から義経のもとに、一通の書面が届いた。
『しばしの猶予を頂戴したく候』
***
数ヶ月後――
葉が色づき始めた秋の御所。
正親町天皇は軒先まで足を運び、京の山々に視線を向けていた。
帝「内大臣が逝かれてもなお、その志は変わらぬようじゃな……」
晴良「はい、徳川も織田を支配しながら、信長も家康も健在……」
帝はどこまでも高い、秋の夕暮れの空に目を移した。
そして、ふっと微笑む。
帝「まさか、そなたが武家の肩を持つとは。
ところで関白よ、内大臣を、そのまま弟・義経の官位とせよ。
我らとの約定は、鬼を継いだ弟が守ってくれるであろう」
晴良「ありがたき、お心遣いと存じます。
ところで、帝は内大臣を鬼と……」
帝は、二条晴良に顔を向ける。
帝「関白よ……内大臣は去ったのちにも、われら年寄りに難問を残した。
やすらかな余生を許さぬ、鬼じゃ……」
帝は晴良の肩をそっと叩き、清涼殿の奥へと戻っていった。
季節が、また一つ進んでいた。
かつて桃色に染まった清涼殿の庭には、葉を落とした枝が、夕日をその身に浴びて静かにたたずんでいた。
──そこに今、かつての「鬼」ではなく、一つの願いが静かに生きていた。
お読みいただきありがとうございました。
頼朝の思いを受け継ぐもの達――
その言葉は、正室の篠によって義経と家康に伝えられ、
その願いは、信長に届き、
その志は、帝に受け止められました。
かつて「鬼」と自らを呼んだ男が遺したもの――
それは、一つの願いとなって、静かに生き続けます。
次回、エピローグへ。
最後までお付き合いいただけたら幸いです。




