52-5 桜散る
昏睡から目覚めた頼朝の枕元に――
出雲阿国の姿があった。
その傍らに、二人の若者。
阿国が、静かに口を開く。
「あなた様は、罪人などではございませんでした……」
関ヶ原を駆け抜ける三騎の馬が、京を目指して土煙を上げていた。
先頭を走るのは、出雲阿国であった。
その後ろには、若武者が二人。
必死に出雲阿国の後を追っている。
阿国「急がなくては……!」
阿国も力いっぱい馬に鞭打ちながら、山城の方面を見据えていた。
***
筒井城へ急送された頼朝は、翌朝、意識を取り戻した。
しかし、目の焦点は定まらず、かすかな声も出せぬままだった。
太田牛一、羽柴篠は医師と相談する。
頼朝の危険な病状自体は峠を越えたと判断し、凄惨な筒井家内の争いの痕跡が残る筒井城を発ち、二条城に帰還する事を決断した。
帰還の列に軍旗は無く、槍先も布で覆われていた。
沈黙が京へ入り、そして二条城へ吸い込まれた。
その夜、頼朝は再び昏睡に落ちた。噂は翌朝には軍団の隅々まで走った。
***
遠くから、出雲阿国が静かに微笑みかける姿を目にした。
頼朝「阿国殿、巫女としての力を取り戻されたか……」
しかし、出雲阿国は微笑むだけで、言葉は無かった。
やがて出雲阿国の姿が遠のいてゆく。
頼朝「会いたかったのじゃ、阿国殿……」
しかし阿国は更に遠のいて、頼朝の視界から消えて行く。
阿国が消えると、遠くから騎馬に乗った義経が、猛然と駆けてきた。
頼朝「義経……そなたには苦労をかける……」
義経が近づくにつれ、京の街は業火に包まれ、鬼神のごとき目で頼朝を睨みつけていた。
間もなく京の街は一面の炎となり、影のごとき黒鬼と化した義経が駆け抜け、赤炎を裂いて頼朝に迫ってくる。
頼朝「義経よ、すまぬ……わしの命如きでは、とても償えぬの……」
真っ黒な鬼が振り上げた剣は、頼朝に向かって閃光を放っていた。
そこに二人の少年が頼朝の盾となるべく走り出た。
鬼の剣は、容赦なく二人の少年を切り捨てた。
頼朝「……!」
骸となった少年の顔は、鎌倉の時の息子たち、頼家と実朝であった。
頼朝「おお……神よ!
罰を与えるべきは、このわしぞ!
息子達に罪はない!
義経……このわしを……!」
業火は、鬼となった義経をも焼き付くし、頼朝は全てを焼き尽くした炎の中に、一人立ち尽くしていた。
***
チリン、と鈴の音。
闇が弾け、視界に緑衣の巫女が現れた。
頼朝の目が開いた。
篠「頼朝様……!」
篠の声が聞こえて来る。
頼朝の目は、彷徨っていた。
篠を探しているが、その姿を捉えることができない。
篠は、頼朝の手をそっと握った。
篠「頼朝様、大丈夫です、大丈夫ですよ、篠は傍におります……」
しかし、篠は頼朝の手をそっと離し、頼朝の寝床の横の間を開けた。
緑の着物を着た女性と、若い武将二人が頼朝のもとに近寄って来た。
阿国「頼朝様……」
阿国が、そっと頼朝の手を握り締めた。
頼朝は阿国の声に反応し、唇を震わせた。
しかし、唸り声の様な声しか出せず、言葉は出ない。
阿国は目に涙を溜めながらも、務めて笑顔を頼朝に向けた。
阿国「……頼朝様。
あなた様は、罪人などではございませんでした……
罪びとして罰するなどと、神は考えておりませんでした。
……その、証でございます……」
阿国は静かに身を引き、若者たちに枕元を譲った。
頼家「父上……」
呼吸が突如乱れ、焦点が彷徨いながらも、頼朝は目を見開こうとした。
二人の若者は、頼朝の手をしっかりと握りしめた。
頼家「頼家で……ございます。
実朝も、一緒でございます……」
実朝「……父上」
実朝は、初めて目にする父に、それだけを呟いた。
頼朝は、その言葉を耳にして、ゆっくりと目を閉じた。
しかし、頼家と実朝を握る手に、更なる力が入っていた。
阿国は、ゆっくりと続けた。
阿国「神は、再び私に力を与えました。
頼家様と実朝様を、この時代にお連れする、お救いするための力です。
頼朝様が罪びとであるならばーー再びわたくしなどに、この様な力をお与えにはなりませぬ……
頼朝様は……祝福されていたのです……」
阿国は、ここまで言葉を出すのがやっとであった。
頼朝は再び目を見開いた。
言葉は出ない。
阿国は頼朝の耳元に唇を寄せ、何かをささやいた。
周りの誰にも聞こえないほどの、静かな声だった。
頼朝は一瞬大きく目を見開く。
そして、それまでの荒波が静まったかの如く、静かに目が閉じられた。
閉じられた目からは、一筋の涙が溢れていた。
その日以来、頼朝は目を開ける事は無く、数日後静かに息を引き取った。
雨後のようにすべての桜が散り、風に混じるのは誰のための願いだったのか――
かつて桃色に染まった光景も、今は、心の中で残響のように揺れるのみであった。
***
頼朝が息を引き取って間もなく。
篠のもとを、家康と義経が訪れていた。
家康と義経の横には、羽柴秀長と大田牛一が控えていた。
鎮痛な面持ちの二人の前で、篠は毅然と立ち上がる。
篠「これより、頼朝様のお言葉を伝えまする」
篠は、頼朝の言葉を書き取った書面を手に持ち、読み上げる。
篠の目には、涙は無かった。
お読みいただきありがとうございました。
頼朝殿を、罪びととして逝かせたくない――
早雲の願い、阿国の祈りは届きました。
雨後のように、桜が散ります。
次回、最終回。
最後までおつきあいいただけたら幸いです。




