52-4 桜吹雪
病を押して、頼朝は最後の出陣を決めた。
信長の最後の居城・信貴山を目指して――
美しき桜吹雪の中、軍を進める源桜が父に声をかける。
「戦中とは申せ、何と綺麗な桜吹雪でしょう」
しかし――輿の中から、頼朝の声は無かった……
天正十七年(1589年)四月中旬。
槇島城下、周辺の街道を埋め尽くすほどの兵たちが集結した。
頼朝は輿に横たわりながら軍議に臨んでいた。
一通りの陣立てを太田牛一が諸将に話し終えた後、頼朝は娘の桜と、北条早雲を近くに呼び寄せた。
頼朝「此度の総大将は、桜、そなたじゃ……
参軍は、早雲殿にお願いをしたい」
桜は、起き上がれない父を目にして、何かを言いかけた。
しかしすぐに跪き、頭を下げる。
桜「は!ありがたき幸せ!」
頼朝はしばらく、桜に目を向けていた。
そして、早雲に顔を向け、早雲の手を探るように手を伸ばした。
早雲は頼朝の手を握り、頷くように頼朝に声をかけた。
早雲「頼朝殿、何もご心配なさらず……
桜殿のご活躍を、その目にやきつけられよ!」
早雲の手を握る力が一段と強まった。
頼朝「……早雲殿、急ぐのじゃ。
じゃが、わしに何かあったとしても、決して軍を退くでない……
何があろうとも、信長を守る……良いな」
一言を発した後、頼朝はせき込む。
副将として同行している篠が背中をさすった。
口を押さえた白い絹に、鮮血が染みていた。
その姿に、軍議の諸将が息を呑む。
早雲「頼朝殿、ご安心くだされ。
信長の首に縄を掛けてでも――必ずお連れ申す!」
早雲の手を握る頼朝の手に、力が込められた。
頼朝の明らかな衰弱を見た桜の目から、一筋だけ涙が頬を伝った。
しかし、すぐにその眼差しの奥に、父の志を映すかのような、確かな光を宿す。
場内の空気が静まり返り、兵士たちが武器に手をかける音だけが響く。
桜が立ち上がり、諸将に身体を向けた。
桜「皆さま、筒井城に進みます……!
先鋒の里見伏様に続き、手筈通りの出撃を!」
一同「はっ!」
頼朝軍諸将は桜の力強い言葉に押されるように、言葉なく、陣所を出た。
足早に自らの部隊に戻る里見伏を、副将の毛野と道節が出迎えた。
伏「時がありません。
出撃できますか?」
毛野「直ぐにでも」
伏が、静かに毛野に微笑みかけた。
伏「後続の部隊と歩調を合わせず、我らはすぐに出ます」
散った桜の花びらが、白き法衣をまとう里見伏の肩を、静かに彩った。
***
織田軍高屋城の戦況の報告が、頼朝軍に届いていた。
石山本願寺に万を超える僧兵を温存する中、鈴木軍の高屋城への攻撃は苛烈を極めた。
城郭を容赦なく撃ち倒し、城、城下にも火をかけた。
織田の息のかかる、人も、物も、全て燃やし尽くすがごとく攻めかかっていた。
僅かな兵で立て篭もる織田兵は、織田最後の拠点・信貴山の体制を立て直す時間を少しでも稼ぐべく、頑強に抵抗を続けていた。
それでも、高屋城の落城は時間の問題であった。
***
一方、頼朝軍が進む、筒井城。
残存する兵を集め、頼朝軍を苦しめてきた島左近隊が、千五百余りの兵で筒井城下に布陣していた。
頼朝軍の先鋒が狙撃隊だと見るや、決死の覚悟で突撃を仕掛けてきた。
先鋒の里見伏は、戦闘態勢のまま筒井城へ進軍していた。
突進してくる島左近隊を見ながら、伏は静かに呟いた。
伏「もう、勝負はついています。
くだらぬ”意地”で、命を粗末にするのですね、男という生き物は……」
里見伏は鋭い眼で島左近隊を見据え、まったく動じる気配はない。
伏「宝様の策を用います。
足許を狙って敵を足止めしてください。
命中は不要、怯ませるだけで十分」
間もなく、島左近隊が、里見伏隊に肉薄する。
その気迫は、里見伏隊の兵にも伝わってきた。
伏「頃合いです。撃ってください!
敵が逃げ出すまで何度でも隊列を入れ替え、撃ち続けてください」
伏の狙撃隊は隊列を入れ替えながら、絶え間なく苛烈な斉射を浴びせていた。
その銃撃は、島左近隊の多くの騎馬や歩兵の脚を打ち砕いた。
地に跳ね返って勢いの弱まった弾は、命は取らずとも、兵達の動きを止め、恐怖に慄いた兵は逃亡を図っていた。
間も無く、里見伏隊は筒井城を包囲する。
***
筒井城内では城を枕に、討ち死に覚悟の籠城を主張する武人もいた。
しかし、頼朝軍は降伏した将兵の命を奪わない――すでに広く知れ渡っていた。
命を繋ぐ道に傾く将兵が多く、討ち死にの覚悟を示すものは一握りであった。
続々と集結する頼朝軍は総勢十万を超え、筒井軍が目にした事もない絶望的な規模の部隊に、城は取り囲まれていた。
筒井城内の意見対立は、熱を帯びる。
潔い討ち死にを主張する将が、開城を望む将兵を斬った事で、城内の惨劇の幕開けとなった。
間もなく筒井城内から白旗が上がった。
***
頼朝軍が筒井城を開城させたとほぼ同時に、鈴木軍も織田軍の高屋城を占領した。
この時点で筒井家に残る城は十一城、織田家に残る城は信貴山城。
総大将源桜の号令の下、頼朝軍は十市城への進軍を急いだ。
桜「進軍を止めずに、筒井軍十市城を囲みます!」
***
桜は軍を二手に分けた。
頼朝は桜の部隊と、長岳寺・山辺の道古墳群・石上神社を経由し、桜吹雪の中を十市城に向け進軍していた。
桜は、あまりにも美しい桜吹雪に、父に声をかけた。
少しでも、父を元気づけようと……。
桜「父上、御覧くださいませ。
戦中とは申せ、何と綺麗な桜吹雪でしょう」
しかし輿の中の頼朝から、返事は無かった。
桜「父上……?」
再度声をかけたが、同じであった。
桜はおそるおそる、頼朝の輿の戸を開けた。
桜「ち……父上!!!」
輿の中の寝具には、おびただしい鮮血がみられ、頼朝の意識は無かった。
桜「輿を降ろしてください!医師を!!!」
桜の尋常ならざる声を聞き、篠、太田牛一、北条早雲も急ぎ駆けつけてきた。
頼朝を診た医師は顔が青ざめていた。
医師「至急、筒井城へお戻りを!」
篠は正室としての意地のみで、自らの足で立っていた。
牛一が、冷静な声で指示を出す。
牛一「篠様、急ぎ頼朝様と筒井城に戻りましょう。
早雲殿、一部の二条城の軍勢を退かせますが、残りの部隊は指揮をお任せしたい」
早雲は神妙な面持ちで頷いた。
早雲「頼朝殿の強いご意志じゃ……このまま進軍を止めぬ!」
冷静に歯を食いしばっていた早雲であった。
問題は桜であった。
大きく成長し、どこまでも冷静な将となった桜。
しかし、今の桜の眼差しは涙に閉ざされていた。
桜「私も筒井城に参ります!!」
次の瞬間、涙に濡れる桜の横っ面は、早雲の拳に打たれる。
桜は、桜の花びらが積もる道に倒れこんだ。
そのまま体を丸め、起き上る事なく慟哭していた。
桜「……総大将でいる意味など、もう……ございません……
お願いです、私も父上とともに……!」
桜はなりふり構わず、早雲に土下座をして、泣きじゃくっていた。
しかし、早雲は容赦しなかった。
早雲「この親不孝者が!!
頼朝殿がどのような思いで、そなたを総大将に命じたか、考えてもみよ!
それが分からぬおぬしでもあるまい……!」
地を震わす様な老将の声。
桜は初めて耳にした。
殴った拳が、震えていた。
それでも、桜は額を花に埋もれた地につけたまま、身体を大きく震わせていた。
早雲は空を見上げた。
美しい桜吹雪は、今の早雲の目には入らなかった……
しばらく、桜が散っていた。
早雲も将兵達も、誰も動けなかった。
やがて、桜は地に膝を立てる。
握りしめた刀を、力任せに地に突き立てた。
桜「うわぁぁぁ!!」
──咲き乱れる桜の中、唯一、少女の声だけが空を裂く。
桜は刀を支えに、立ち上がる。
そのまま自らの馬にまたがった。
涙を止める術を知らず、うつむいたまま、鎧と鞍を濡らしていた。
そして――前を向く。
桜「全軍、前へ!」
早雲も、自らも馬の手綱を絞り、馬を進めた。
将兵も静かに進む。
地面に敷き詰められた桜の花びらは、鎧や武具の音を柔らかく受け止めた。
桜吹雪は、前に進む頼朝軍を彩りながら、静かに包み込んでいた。
お読みいただきありがとうございました。
頼朝が長く避けてきた信長との対面――叶うことはありませんでした。
その頃――
関ヶ原を駆け抜ける、三騎の馬影がありました。
京を目指して、土煙を上げて――
先頭を駆けるのは、出雲阿国。
このまま、頼朝は罪を背負って逝くのか――
それとも。
最後までお付き合いいただけたら幸いです。




