エピローグ
時は鎌倉の世。
頼朝は鷹狩を終え、夕暮れの空を仰いでいた。
あの長き旅は、夢であったのか――。
時は鎌倉の世。
頼朝は鷹狩を終え、愛馬の背で夕映えを浴びていた。
目の前に広がる景色は、かつて空の異変を感じた、あの“始まりの場所”だった。
(……長き夢をみていたか)
(夢か幻か――それでも、心を尽くした日々が、確かにあった)
信頼し、愛した者たちと、もう一度会いたかった。
(阿国殿……再び、そなたに会うことは叶わぬか。
あの時代へ、もう一度……)
頼朝は期待を込めて、空を眺める。
しかし、美しい夕暮れの空に、天高き雲が静かに流れているだけであった。
一騎の馬が頼朝にめがけて駆け寄って来た。
北条義時であった。
義時「藤原泰衡より急使。
義経様を討ち果たした旨、沙汰がございました」
頼朝「首級は届いたか」
義時「遺骸は見つからず、と」
頼朝はひそかに胸を撫でおろす。
夢ではなかった――義経は“あちら”で生きている。
しかし声は毅然としていた。
頼朝「泰衡が自ら、義経を討ち果たしたと伝えてきた。
それで良い。
泰衡は弟を討った仇、奥州仕置きの支度、怠るな」
義時「かしこまりました!」
義時は一礼して馬に鞭を打ち、来た道を急いで引き返して行った。
その義時の後姿を、頼朝はいつまでも眺めていた。
***
戦国の世にて、吾妻鏡を複雑な思いで繙いていた。
鎌倉での頼朝の日々は、吾妻鏡の記述通り進み、頼朝は征夷大将軍として君臨した。
(歴史を乱せば未来で出会った家臣たちが生まれぬやもしれぬ)
ただ一つだけ頼朝が吾妻鏡と異なる行動を起こした。
自らの娘を、入内させなかった。
(入内は……大姫の心を深く痛め、命を縮める。
失策で、歴史の流れは何も変わらぬ)
心に傷を負っていた大姫を鎌倉に留めおき、大切にした。
***
正治元年(1199年)一月。
吾妻鏡に記された〈相模川橋供養での落馬死〉は訪れず、頼朝は大倉御所の庭を歩いていた。
(己自身も、誠に元気では無いか……もしくは、義時がわしを殺害するのであろうか……)
その時――一人の女性が、どこからともなく頼朝に近寄って来た。
長く、再会を待っていた女性であった。
頼朝「遅いでは無いか……」
女性は、その頼朝の言葉に不思議そうな表情を見せながら、その場で跪いた。
女性「初めてお目にかかります。
私の名はミク──どうかお耳をお貸しください」
ミクは、緊張した面持ちで頼朝の前に跪いていた。
頼朝は笑顔を見せながら、その女性の話を遮った。
頼朝「ひとつだけ、聞きたい。
そなたの名は、ミクというのか。
トモミクでは……無いのじゃな……?」
ミク「はあ、私はミクと申しますが……」
ミクは唐突な質問に少し戸惑っていた。
(トモミクじゃ……しかし、ともに過ごしたトモミクでは無い……)
トモミクは、”先代の頼朝”が秀長に殺されてから、そのように名乗ったと聞いていた。
(つまり、今のわしが”先代の頼朝”というわけか……)
頼朝「ミクと申したな、以降よろしく頼む」
ミク「はい!何卒、よろしくお願い申し上げます!」
***
ミクに、離れの一室を案内された。
その中には静かに微笑む出雲阿国の姿があった。
ミクは、自らの出自を明らかにした。
未来のため、戦国の世において、古の者たちとともに軍団を設立したい――
熱意をもって、頼朝に説明をする。
出雲阿国は、この時代ではなく、戦国時代のお茶の点て方で、頼朝に茶を出した。
久々に口にする、阿国の茶であった。
目の前にいる阿国も、心から愛した阿国であり、同時にその阿国では無かった。
頼朝「阿国殿、一つよろしいか」
阿国は、微笑みながら、頼朝に顔を向ける。
この全てを見通したような阿国の柔らかい眼差し、頼朝の心に灯を照らすようであった。
阿国「……何でございましょう」
頼朝「機会があれば、三崎にある”椿の御所”を訪ねてはくれまいか。
仏師に願い、心を尽くして彫らせた十一面観音がある。
戦国の世においても、観音が美しいままで残っているか、目にしていただきたい」
阿国「それでは……戦国の世にて、ご一緒に参りましょう」
阿国は微笑みを絶やさず、言葉を返してきた。
ミクが、静かに問うた。
ミク「いずれの方から、お声をおかけいたしましょう」
頼朝は迷い無く返答した。
頼朝「義経じゃ」
***
四百年の時が流れた。
慶長四年(1599年)二月、三浦の岬――。
頼朝が鎌倉の世にて存命中に築いた”椿の御所”は、彼の死後、禅寺大椿寺と改められていた。
鎌倉の世にて、頼朝の側室、源桜の生みの母であった妙子は出家し、法名妙悟尼として頼朝の菩提を弔い続けた。
阿国は、天正十七年(1589年)に頼朝が戦国の世から去ってから――
”先代の頼朝”が、かつて語っていた話を思い出した。
そして、”椿の御所”まで旅立った。
頼朝軍団に戻ることはなく、そのまま大椿寺に静かに暮らしていた。
そこに、義経が訪ねてきた。
義経が山門をくぐると、石畳の先で阿国が一礼した。
軒端に椿が咲き、十一面観音は四百年を経てなお艶やかな光を湛えている。
義経「こちらにいらっしゃいましたか。
……早雲殿がお亡くなりになる前に、伺いました」
阿国「突然姿を消す事となり、ご無礼の段は、どうぞお許しくださいませ」
義経に、丁寧に頭を下げた。
そして、ため息をついた。
阿国「早雲様も、去られましたか……」
阿国は寺の境内へ、義経を案内した。
阿国「義経様も、家康様も、力を尽くされ、私の様な一介の民は、安寧を享受しております」
義経「天下はおおむね鎮まったが、各地に火種は残る。
家康殿も苦労が絶えぬが、兄上が見込まれたことだけはござる」
そこに元気な女の子が、寺の廊下を駆けてきた。
女の子「母上、見てください!
今年もきれいな椿が、たっくさん咲いております!」
義経の目が、その女の子に止まった。
義経「兄上……?」
兄、頼朝の面影が、その女の子から見て取れた。
阿国はその女の子に微笑み、義経に口を開く。
阿国「名はトヨと申します」
阿国は女の子の頭をそっと撫でて、立ち上がった。
十一面観音に向かう。
観音の台座の裏から、古めかしい手紙を大事そうに持ちだした。
阿国「鎌倉の時分に、頼朝様が私に残していただいた、”恋文”でございます」
兄頼朝の最期に、阿国が何やら耳元でささやいた――
その時、頼家もそばに居た。
義経「お子が出来た事を、兄上にお話しされてましたか……!」
阿国は寂し気に微笑む。
阿国「この”恋文”は、”先代”の頼朝様も、後の頼朝様も同じお方であったと示す、何よりの証でございます。
子が出来た事を最後に聞いた頼朝様は、鎌倉に戻られたのです……
”椿の御所”を造られる際に、頼朝様は十一面観音の中に、この”恋文”を密かにしたためておられました……」
阿国は、寺の外に咲き誇る椿を目にしながら、言葉を続けた。
阿国「十年前、二条城にて亡くなられた頼朝様は、鎌倉に戻られ、そして”先代の頼朝様”として、再び戻られたのです。
この大椿寺に来るように言われたのは――
鎌倉の世で初めてお会いした、”先代の頼朝様”だったのです……」
義経は、阿国の横にいるトヨを抱き上げた。
トヨは義経の頬に手をあて、嬉しそうにけらけら笑っている。
義経「阿国殿……兄上を、愛されておられたのですね」
阿国は俯きながら、静かに頷く。
阿国「……はい。
神を捨て、ひとりの男を愛しました。
生涯でただ一人、心から愛した方。
それが……頼朝様でございました。
この四百年前の頼朝様からの文、そして私たちの娘トヨ……
この時代を生きる、一人の女となった私にとって──何よりの宝でございます」
そこに、阿国の侍女をしているような女性の声が聞こえてきた。
侍女「阿国様、夕餉の支度が整いましたよ」
その声は、義経の胸の奥に刻まれていたものだった。
義経「…間違いない、トモミク……!」
ここまでの長い道のりを、ご一緒いただきありがとうございました。
邪馬台国にはじまり、鎌倉、戦国――そして、遥か未来へ。
時を越えた卑弥呼と頼朝の願いと恋を、IF戦記として書いてみました。
少しでも楽しんでいただけたなら、本当に嬉しく思います。
この後は、義経編として戦国時代の続編を進めていく予定です。
また、裏ストーリーの外伝も、少しずつ上げていきたいと思っております。
頼朝編は、ここで一度幕を下ろします。
引き続きお付き合いいただけたら幸いです。




