52-2 桜咲く
本願寺顕如、鈴木重秀の軍が、迫る。
高屋城下にて、織田・筒井の連合軍は手痛い敗戦に見舞われた。
病に蝕まれゆく頼朝が、自ら出陣の意を示す。
その頃——
源宝の父・一色義道の居城建部山城を、二人の客人が訪れていた。
天正十七年(1589年)三月末。
二条城の大田牛一のもとに、本願寺家と織田家の戦況の報告が続々と入っていた。
牛一は、優先事項のみ報告、相談することを心掛けていた。
牛一「頼朝様……
高屋城下にて、織田・筒井連合軍は、本願寺・鈴木連合軍に完膚なきまで叩きのめされた模様です」
頼朝の目が開いた。
牛一「高屋城は間もなく落ちるでしょう。
信貴山城のみとなれば、もはや……」
頼朝は目を閉じ、ゆっくり口を開いた。
頼朝「潮時か……」
牛一「はい。
……我が軍も出陣をせねばならぬと存じます。
準備は整っております」
篠が手を添え、頼朝は身体を起こした。
頼朝「出陣せよ。
街道を塞ぐ筒井家を軍門に降し、顕如殿より早く、信貴山城を抑える」
日に日に衰弱していた頼朝の声に、力強さが戻っていた。
牛一はそれを、確かに耳にした。
頼朝「……此度は、わしも出陣する」
牛一と篠は耳を疑った。
牛一「しかし、殿……」
頼朝「いつまでも信長を悪者にできまい。
信長とも腹を割って、話してみても良かろう……」
太田牛一は、決めかねていた。
頼朝の言に従うべきか、止めるべきか……
そこで篠が、牛一に言葉を投げかけた。
篠「牛一様……
この篠からも、伏してお願い申し上げます」
牛一「篠様……」
篠の言葉を聞き、牛一は平伏した。
頼朝「大垣から京に戻る際に用意してくれた大きな輿。
あれは快適であった……
用意してもらえぬか」
頼朝は義経が引き受ける”罪”を少しでも軽くしたいのであろう……
静かに語る頼朝の言葉に、牛一は強い決意を感じていた。
牛一も、覚悟を決めた。
牛一「かしこまりました……
安土城の北条早雲隊、音羽城の里見伏隊、伊賀上野城の世良田元信隊。
出撃の準備は整っております。
槇島城下にて全軍集結次第、筒井城に攻めかかります」
頼朝は軽く笑みを浮かべ、牛一に頷いていた。
牛一「では、拙者は支度を急ぎます」
牛一は頼朝の寝所を出た。
その眼差しは――ただ、前を見据えていた。
同じ頃——
京の北西、若狭との国境近く。
建部山城の一色義道は、予想外の来客を受けていた。
建部山城の山裾に連なる桜並木は、珍客を歓迎するかのように淡い桃色の桜が満開であった。
石垣の隙間には、紫に揺れるスミレやタネツケバナが春の訪れを告げ、遠景の山肌には満開の桜が淡い霞をまとっていた。
客人も、しばし城下の麗らかな春景色に目を奪われていた。
桃色に霞む山々が見える、建部山城の城郭の一室に通された。
一色義道が静かに客人を迎えた。
義道「はるばる、良く参られた」
義道は目を細めながら、徳川家康とお市の方に会釈をする。
家康「徳川家康でござる。
突然のお願いにも関わらず、ご寛容にもお時間を賜り、恐縮至極に存じます」
お市「市でございます」
義道は、名が通った二人の訪問を素直に喜んでいた。
義道「一色義道と申す。
こちらこそ恐縮でございます」
城の背後に広がる雑木林から、柔らかな若葉が芽吹き始め、樹々の間に小鳥のさえずりが絶えず聞こえていた。
建部山城には安らかな空気が流れている。
頼朝軍が若狭、丹波まで進出した事で、丹後を直接脅かす敵は存在しない。
義道「御覧の様に、丹後の民は、安寧を享受しております。
お運びいただいたからには、ゆるりとされるが良かろう」
家康は、微笑みを絶やさずに義道に言葉を返した。
家康「この家康は、三河武士の意地で頼朝軍と戦いましたがの……
我が軍の惨敗でござった」
義道は、かける言葉に窮していた。
しかし、当の家康は、穏やかな表情を変えずにいた。
家康「頼朝軍には、神の力が宿っている、智謀に長けた参謀がおりましてな」
家康は不敵な笑いをうかべ、一色義道の表情を覗き込んでいた。
義道「義経様が三河、遠江に出陣されたのは伺っておりました。
ちょうどその頃、我らも織田に再度攻められておりましてな。
自力ではどうにもならず、頼朝様にお助けいただいておりました……」
家康「それは、初耳でござる。
頼朝軍は、あれだけの軍を我が領に差し向けながら、義道殿をもお助けしていたとは」
義道「徳川殿にかける言葉が見つかりませぬが……
片田舎の小さな武家としては、この様にお話できるご縁にあずかれたことは、ありがたく。
大変失礼ながら、感謝している次第でございます」
そこで、家康の横で微笑んでいたお市の方が口を開いた。
お市「家康様は、義道様のご息女・宝様に、手も足も出なかった様でございますよ」
義道は言葉を選びながら対応をしていたが、予想外の言葉に驚きと困惑の表情を隠せずにいた。
義道「さようでございましたか……いやはや、何と申して良いやら……」
家康は笑みを崩さぬままに、話を続けた。
家康「最後まで頼朝殿に臣下の礼をとるつもりはございませんでした。
しかし、戦に負けたのみならず、宝殿に凝り固まった己自身を、崩されました」
家康は苦笑いを浮かべながらも、愉快そうであった。
家康「頼朝殿と話をする決心がついたのは、義道殿のご息女のお陰でござる」
数羽の小禽が枝を飛び交い、かすかな風に乗って山桜の花びらが舞った。
家康「策をめぐらせながら、震える手を隠せなかったと申しておりました。
それが――わが軍の士気を奪ったのです……」
義道は、静かに家康に頭を下げた。
再び、静かに口を開いた。
義道「あの子の手の震えまで、お聞きになられましたか……」
義道は、自らにも振る舞われた茶を口にした。
義道「昔から、あの子は誰よりも泣き虫でござった。
しかし、一度読んだ書は忘れず、変わった感想を述べておりました。
娘なりに一度信じた事は、大泣きをしながらも曲げない。
……不思議な娘でございました」
義道は遠くの山々に目を向けながら、静かに語っていた。
義道「それでも、呑み込みが良いため、多くの書を与え、娘でありながら最良の話し相手でございました。
親としては、あのような娘が戦乱の世を生きられるか、心配はつきませんでしたが……」
義道はあらためて家康に目を向けた。
義道「変わった娘を――頼朝様は養女としてお引き受けくだされた。
それだけで、誠にありがたく。
まさか、義経様の参謀として、徳川殿と対峙をしていたとは……」
家康「宝殿のお話を、お父上より伺いたかった。
同時に尊敬する大軍師様の武勇を、お父上にもお伝えしたく、此度お邪魔いたしました。
敗軍の将が語るとは、複雑な立場ではございますがな、はっはっは!」
義道「……嬉しき限りです」
義道は家康とお市の方に深く頭を下げた。
義道「ところで家康殿は、頼朝様に従われるのですかな」
家康は、一呼吸はさむ。
家康「頼朝殿の臣下とはなりましょう。
しかし惣無事令の後、軍団を引き受ける――難題を頂戴しましてな……」
家康は頭をかきながら、義道にあらためて向き直った。
家康「頼朝殿は、覚悟を決めておられた。
もうお命は長くは無いでしょう……
それでも、拙者の覚悟が定まらぬのです」
家康の表情が曇った。
義道「頼朝様のお身体は、悪いのですか……」
家康「もっと早くにお会いできてたら、と後悔しております……」
義道「頼朝様は、一色家の恩人……おいたわしい事よ……」
桜の花びらが、一片、卓に落ちた。
義道は祈るように目を閉じた。
改めて家康に、微笑みかける。
義道「いずれにせよ、丹後にてゆるりと過ごされよ。
この義道でお役に立てることがあれば、いつでも話し相手となりましょう」
家康「かたじけない。
誠にありがたく存ずる」
城門や櫓の脇に立てた幟が、春風に揺れていた。
影が、石畳の桜の花弁の上に、静かに落ちていた。
お読みいただきありがとうございました。
頼朝が、最後の出陣を決めました。
覚悟を抱いて、信長のもとへ——
その頃、丹後では桜が満開を迎えていました。
家康とお市の方の上に、花びらが静かに舞います。
この後の展開も、是非お付き合いくださいませ。




