51-5 覇者の城
頼朝が居城とする巨大な二条城。
お市の方は家康を、その天守へと連れて行く。
天守から見渡す京の街並み——
家康は、頼朝の心の一端を、静かに覗いていた。
家康はお市の方に連れられ、二条城の中を巡っていた。
何層にも建てられた天守で、天井は高く、柱も太く、壁面も明らかに厚い。
それでいて、装飾に余念もなく、柱一つ一つ、部屋の戸に至るまで職人の手が入っていた。
家康「かつて信長公が将軍義昭公のために建てられた二条御所も拝見した。
しかし、短期間で良くもこれほどに……」
お市「このお城は、戦うためのお城ではございません。
天下を望まぬ頼朝様が、天下を治めるための“見せ物”でございます……」
家康は改めて城内を見渡す。
わずかに口の端を上げて、お市の方につぶやく。
家康「お市殿は申されていたなーー側からみると言動が一致しない、だからこそ頼朝殿は苦しまれる、と。
この城は、その象徴のようじゃ。
覇権を望まぬ頼朝殿の城は、まさに覇者の城」
お市の方は、言葉を返さずに家康を天守に案内した。
京の街が一望でき、御所も手に取るように見下ろせた。
街の発展、賑わいが一目で見てとれた。
新しい御所も、かつてくすんで崩れかけていた壁が、白く整っていた。
家康「いや、お市殿……。
これこそが、頼朝殿が望む世の形なのかも知れぬな。
威圧する城が、御所や街を見下ろす。
誰も逆らう気持ちを持てぬ。
それでいて、城の中は、戦うための城では無い。
公家や大名たちをもてなすための、装飾ばかりじゃ。
ーー豊かな民を守る象徴となり、本当に山城の民を豊かにしておるではないか」
お市の方は、悲し気な眼差しを、京の街並みに向けていた。
お市「京にお入りになる際には、大きな雷を鳴らされました。
万を超える鉄砲を空に放ち、京の街を恐怖に怯えさせたのです。
その後、兵たちは鎧を脱ぎ、街や御所の修繕に走りました。
頼朝様が忌み嫌う俗な公家たちにも、莫大な寄進もいたしました。
頼朝様はお好きではありませんでしたが、家臣たちはこれを“雷と雨”と呼んでおりました」
家康「ご自身が覇者となることを拒んでおられる。
それでも、天下静謐のためには、“覇者の道”を歩まねばならぬ。
それを、頼朝様は“罪を重ねる道“、そのように位置付けているのであろう……」
お市の方は、静かに頷いた。
家康「しかし、我が領にも、すさまじき稲妻を落とされた……」
苦笑いをしながら、京都の空を見上げていた。
お市「新しい茶室にご案内いたします。
宝様がお茶をご用意されているはずでございます」
家康「それは、楽しみじゃ。
ご案内いただこう」
家康は、もう一度天守から京の街並みを目にした。
二条城こそが、頼朝の心をさらに理解する手掛かりなのかも知れない。
そう思いながら、天守を後にした。
茶室に入ると、源宝が茶道具を慣れた手つきで並べていた。
家康とお市の方に気がつくと、宝は慌てて両手をつき、頭を深く下げた。
宝「お、お待ちしておりました」
家康「茶にも通じていらっしゃるのか、宝殿は」
宝が茶器を並べる所作が、家康の視線を捉えていた。
宝「とんでもございませぬ……!
丹後の田舎で教わっただけでございますので、お口に合えば幸いです……」
お市は、宝を笑顔で見守っていた。
家康「某ごときに、宝殿自らが茶を点てていただくと伺った。
まことに恐縮でござる」
宝は改めて家康に頭を下げ、茶道具を整えた。
茶を点て始めると、宝の背筋は伸び、呼吸も整い、目線は茶器の一点を見据えるようになった。
慣れた手つきで、茶筅を動かす心地の良い音を、茶室に充していた。
しかし、茶を振る舞う段になると、目を合わせず、うつむいたまま茶器を家康の前に運んだ。
宝「……どうぞ、家康様」
家康は宝の点てた茶を口に運ぶ。
家康「なんとも深みのある味わいである事よ、いや大変結構!」
宝「お、恐れ入ります!!」
それまでの落ち着きが嘘のように、いつもの宝が戻り平伏する。
お市はくすくすと笑っていた。
家康はお市に神妙な面持ちで話しかけた。
家康「宝殿には、雷を落とされ、京に向けて蒲原より押し出された。
そして宝殿の茶に心を奪われた……。
お市殿ーー
わしは信長公を最も恐れていたが、今は宝殿が恐ろしい」
肩をすくめながら、お市の方を見た。
一方の宝は、顔を赤ながら、対応に困り、落ち着きなく平伏していた。
お市「まことに。
こうやって家康様が二条城にいらっしゃるのは、全て宝様のおかげでございますね」
お市の方は宝の肩にそっと手を添える。
お市「私もいただいてもよろしいですか、宝様」
宝「申し訳ございません。
ただいま……!」
さらに顔を赤める宝。
お市の方と家康は宝に優しく微笑みかけていた。
家康は、宝がお市に茶を振る舞う姿を優しく眺めていた。
そして、表情を少し翳らせて、お市の方に向き直った。
家康「もう少し頼朝殿にはご存命であって欲しいものじゃ。
もう少しお話を伺いたかったが……」
家康は、チラリと宝に目を向けた。
家康「先ほどの話は、戯言ではない……
覚悟が決まらぬうちに、宝殿が京までの道筋を開いた」
そして、うつむきながら低い声で呟く。
家康「今は頼朝殿の覚悟に心を動かされた。
しかし……
そこまでの覚悟も無ければ、何をしたらよいかもわからぬ」
家康はうつむき、口は閉じられたままだった。
お市「家康様。
私も頼朝様のお気持ちに触れる事が増え、少しだけ理解ができるようになった気がいたします。
しかし、頼朝様の深き想いやお覚悟までは、私ごときが知る由もございませぬ……」
お市の方は、あらためて家康を見据えた。
お市「それでも——頼朝様を間近で見てきた私には、分かることがございます。
この役割を担える御仁は、家康様だけと存じますよ」
家康は顔を上げた。
家康「お市殿は、昔から某には甘い言葉をかけ、おだてられてばかりじゃ」
お市「いいえ、私は嘘を申し上げたことなど一度もございませぬ」
家康は笑みを浮かべた。
すぐに、意地悪そうな表情を見せ、お市の方に言葉を返した。
家康「では幼き頃、将来某の妻になると申した話も、誠であったのか?」
お市は微笑みを浮かべながら、口を開いた。
お市「そればかりは内緒でございます。ふふ」
家康とお市のやり取りを聞きながら、源宝は困り果てていた。
それを見た家康が笑いながら、宝に声をかけた。
家康「年寄りの昔話じゃ!すまぬ、宝殿!」
お市「まあ、年寄りなんて!
わたくしはまだ麗しき女性でございます!」
家康は自らの頭に手を置いた。
家康「これはかなわぬ……!
しかし、今でもお市殿は天下で最も麗しき女子じゃ!」
益々宝は顔を赤らめていた。
その茶室での平穏な雰囲気を揺るすがごとく、城内が騒がしくなった。
お市「いったいどうした事でしょう……
少し様子をうかがって参ります」
お市はふすまを開け、小走りに城内に茶室を後にした。
しばらくしてお市が血相を変えて茶室に戻って来た。
源宝「何かございましたか……」
お市「我らの友軍、本願寺顕如様、鈴木重秀様……
いよいよ力が弱まった我が兄を攻めるべく出陣したとのこと……」
茶室に、沈黙が落ちた。
お読みいただきありがとうございました。
信長を守ってきたと、お市の方が家康に伝えた、その矢先——
本願寺顕如、鈴木重秀が軍を起こしました。
武田の南進に続き、今度は本願寺と鈴木家。
頼朝の”滅ぼさぬ”誓いが、試される時が来ます。
この後の展開も、お付き合いくださいませ。




