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51-2 冷たさと温かさと

出雲阿国は巫女としての力を取り戻そうと、真冬の伊吹山山中で滝に打たれていた。


修行を重ねてきた出雲阿国ーー卑弥呼であっても、心も身体も限界を迎えていた。


同じ頃ーー


頼朝との謁見を決意した家康。

京への歩みを進めるごとに、己を「負け犬」と呼んだ言葉が、胸の奥で重くなっていた……。

■巫女の祈り


真冬の伊吹山山中。

一人の巫女が、何日も滝に打たれながら、何かを念じ続けていた。


「なぜお聞き届けいただけぬのですか……」


雪と氷の中で、巫女を打ち付ける滝。

身体を切り刻む刃物のような、鋭利な痛みを与えていた。


それでも――

巫女はそこから動かなかった。


「卑小なるものの裏切りによって、民を思い、人を思い、人の痛みに思いをはせる者を罰するおつもりですか……!」


長きにわたり滝に打たれていた。

静かな祈りは、いつしか怒りと悲しみに打ち震える叫びとなっていた。


それでも、出雲阿国はただただ願い続けていた。


挿絵(By みてみん)


修行を重ね、荒行も経験している。

しかし、何日も真冬の滝に打たれるのはまれだった。


「……お見捨てに、なられましたか……」


身体の感覚は消え失せ、意識も遠のいてくる。


「……早雲様、お許しを」


とうとう、身体を支えられなくなり、両手を突く。


「……頼朝様……」


頼朝の名前を呼んだとたん――

身体の底から、何かが込み上げてくる。


(……これは)


阿国は震える手を、そっと自らの腹に当てた。

阿国は、その感覚が何かを知った。


「感謝いたします……」


涙が、頬を伝った。


挿絵(By みてみん)


そして、冷たい滝が、温もり帯びたものとなった。


山の中を立ち込めていた霧は晴れ、阿国の冷え切った身体と心を、光が照らし始める。


阿国は光の方向に向かい、深く頭を下げた。



数日後、出雲阿国――いや、卑弥呼は儀式の装束を整え、祈りの言葉を捧げた。


「女となりし私の、最後の願いでございます……わが身をもって、ご意志のままに……」


両手を合わせ、目を閉じる。

山間に鈴の音が微かに響いた。


挿絵(By みてみん)




■家康、二条城へ


天正十七年(1589年)二月。


家康はトモミクに護衛されながら、岐阜城に向かっていた。


家康「そなたも一軍の将であるのか……」


若い女性というだけでなく、見慣れない風貌にも驚く家康であった。


トモミク「はい、トモミクと申します。

狙撃隊を率いております」


家康「……頼朝殿の腹心には、優れた女子の多い事よ」


家康は、トモミクが率いる部隊の隊列や武装をじっと眺めていた。

そして、フッと息を吐き、誰に聞かせるでも無く呟いた。


家康「先にこの隊列を目にしておれば……。

意地を見せる気力も起きなかったやも知れぬ」


そんな家康を、トモミクは馬上から眺めていた。

笑顔は無かった。


トモミク「家康様。お市様と、宝様が岐阜にてお待ちしております。

私はそこまでお守りいたします」


家康「お手数をおかけいたす」


家康は頭を下げ、今度はトモミクに目を向けた。


家康「トモミク殿は、この時代の女子……ではあるまい」


トモミク「私は、先の世から参りました。

九州・大友家の家臣の末裔の家のものでございます」


蒲原の夜、お市の方より話を聞いていた。

太田牛一というものも、少し先の世から来た織田家の家臣。

その世では、家康自らが日ノ本を治め、幕府を開いたということも。


今の家康には、別の世の話など、どうでも良かった。

ただ、敗者としての陰鬱な思いが、日々重くのしかかっていた。


家康「……何か不思議なお力をお持ちに見える」


トモミクは家康から目を外して、前に目を向けた。


トモミク「いえ……私は、ただ、頼朝様をお守りするだけのものです……」


家康は、トモミクの眼差しの中にも、深い影のようなものを感じ取った。


家康「頼朝殿は……それほどまでに、お加減が悪いのか」


トモミクは、その言葉にはっと我に返る。

日々、頼朝の病状ばかり気にかけていた。


トモミク「どうか、早くに頼朝様とお話いただきますよう……」


それだけを家康に伝えた。


挿絵(By みてみん)




■長年の夢


お市「遠路、お疲れ様でございました」


岐阜城にて、お市の方が出迎えていた。


お市「今日はこの岐阜にてお休みくださいませ。

明朝、また、出立いたしまする」


お市の方の横には、源宝が申し訳なさそうに立っていた。

家康と目が合うと、慌ててぺこりと頭を下げる。


家康「お市殿、宝殿。お手数をおかけいたす」


相変わらず宝は、何かにおびえるように下を向いている。


この少女のような女子。

徳川軍は踊らされ、完膚なきまでに負かされた。


家康は、あらためて宝を見た。


馬上で見栄を張るように背中を伸ばしているのは、負け犬。

お市の方の横で俯いている少女は、大勝利の立役者。

家康はこの構図がなぜかおかしく思えた。


ここまで奥歯を噛みしめながら進んできた。

しかし、お市の方の微笑みと、軍師・宝のおかしな姿を目にして、不思議と面持ちが和らいでいた。


挿絵(By みてみん)




その夜、お市の方は家康に夕餉を届けた。


お市「ご一緒しても……?」


家康「こちらからお願いしたいくらいじゃ」


お市の方は笑みを浮かべながら、家康に酌を持った。


お市「よくぞ、ご決断くださいました、家康様」


家康はお市に注がれた酒を、一気に飲み干した。


家康「実のところ、なぜ気が変わったのか……。

時が経つに従い、自問自答しておる」


お市の方は、ふたたび家康の盃を満たし、ふふっと微笑んだ。


お市「宝様の、不思議なお力に、惑わされましたかね」


家康「その通りかもしれぬな」


苦笑いを浮かべ、酒を飲み干し、盃を置いた。


家康「頼朝殿とは……不思議なお方じゃ……。

あきれるほどの奇麗ごとを耳にすると思えば、残酷な力を発揮する」


お市「甘きお考えをお持ちな方……私も、最初は頼朝様に刃向かいました。

捕虜となった折、兄の目指す天下布武こそが唯一の安寧への道と」


家康「まさに。

武家を守りながら、安寧の世など……。


そういえば、戦の前に、お市殿は申されていた――

頼朝殿は、過去に血塗られた道を歩み、その一つ先の道を模索しているのだと。


しかし、その模索が、我が領を血に染め、わしを迎える事なのか……」


少し和らいでいた心の重苦しさが、再び家康を締め付け始めた。


お市「お察しいたしまする……。

ですが、頼朝様は、すでに多くを救っているのです」


家康は、不機嫌にお市の方を見る。


お市「頼朝様がいらっしゃらなければ、兄も、武田も北条も、そして私も……今頃この世に存在していなかったのです」


家康「その牛一とやらのまやかしでは無いのか」


家康は少し乱暴に盃を口に運ぶ。


お市「そうでございますね……にわかには信じられませんでした。


しかし、私は会いました――

先の世で、母である私と死に別れた、我が娘たちに……」


家康「“お市殿と死に別れた“姫たち……とは……?」


お市の方は、家康の盃にゆっくりと酒を注ぎながら、静かに語り始めた。


お市「先の世では、私は……娘たちを残して、世を去っておりました。

その娘の一人、江は――家康様のご子息・秀忠様の正室だったのです。


……家康様の温情をいただいたのかもしれませんね。


先の世から来た、という信じられぬ話であっても――

母は、娘を見誤りませぬ」


家康「秀忠とお市殿の姫がの……。

その江姫からも同じ話を聞かれた、そういう事であったか……」


お市の方は、そっと頷いた。


お市「家康様……。

傍からは兄と頼朝様は敵対しています。

しかし、兄を救ったのは、頼朝様なのです。


そして、多くの血を流し、家康様を苦しめました。

しかし、家康様をお迎えしたいと真剣にお考えなのも、頼朝様……。


言われていることと、なさっていることが、一致しているように見えない」


家康は、盃を置いたまま、何も言わなかった。


お市「だからこそ、頼朝様もお苦しいのです。


まずは、頼朝様にお会いして、お話をお聞きになってくださいませ」


家康「……それがしの考えの及ばぬ御仁、なのかもしれぬな」


家康はあきらめたような表情を見せ、息を吐いた。


お市の方は、そっと家康の手に触れた。


お市「そして、私も、頼朝様に救われていました。

そのお陰で……こうしてまた家康様と」


お市の方の頬を、一筋の涙が伝った。


家康は、そっとお市の手を握り返した。



その夜、ただ静かに、酒を酌み交わした。


挿絵(By みてみん)

お読みいただき、ありがとうございました。


次章、いよいよ家康は頼朝と対面します。


この後も、引き続きお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

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