50-7 開かぬ城門
蒲原城を包囲する頼朝軍。
再三の降伏勧告にも、蒲原城はただ静かに佇んでいた。
宝は、自らに問いかける――これで、よかったのか。
お市の方は、決意を胸に、蒲原の地に駆けつける。
そして義経は、兄・頼朝が伏せる、西の空を見上げる。
──蒲原城。
精強で、忠義に熱い三河武士。
中でも、最後まで家康に付き従ったものたちの覚悟は相当なものであった。
頼朝軍に一矢報いようと、蒲原城下で万全の布陣で待ち受けていた。
それが……多くの兵は刃を交えることなく、蒲原城内にてうなだれていた。
半数は、城門が閉じられたのち、頼朝軍の捕虜となった。
家康の最後の覚悟は、若き源宝という軍師によって打ち砕かれた。
城内を見回る家康に、言葉は無かった。
宝「義経様……これでよかったのでしょうか……」
蒲原城を包囲する、頼朝軍の幕舎。
蒲原城を眺めながら、戦いを制した宝は、悲痛な面持ちを義経に向けていた。
宝「家康様への降伏勧告、この期に及んで返答はありませぬ……
”義を尽くした戦い”――最後に放棄してしまいました」
義経も腕組みをしながら、蒲原城を見上げる。
義経「他に、選択肢も無かったのだ……
策と策をぶつけ合う事も、力を尽くした戦いじゃ」
義経は宝に目を向ける。
表情は柔らかかった。
義経「家康殿と謁見ができるよう、引き続き矢文をお願いしたい。
兄上のお気持ちだけは、直接お伝えせねば……」
再び蒲原城に目を向ける。
義経「ただ、家康殿も、これ以上の生き恥は望まぬであろう……」
宝「……生き恥……」
言葉が、宝の口の中で凍りついた。
宝「やはり、私にはわかりませぬ」
宝は目を伏せた。
義経は宝の手を取り、両手を添える。
冷たく小さな手は、かすかに震えていた。
義経「良いのじゃ。
……そなたのお陰で戦いには勝った。
兄上の心が、家康殿に生きる価値を与えるかどうか。
しかしそれは、我らでは力及ばぬ」
宝「わかりました、義経様……。
では、矢文を用意いたします」
握った宝の手を軽くたたき、そっと離した。
義経「頼んだ」
宝は一礼をし、幕舎を後にする。
義経は宝の小さな背中を追いかけていた。
姿が見えなくなると、西の空に目線を向ける。
義経「……兄上」
その後も家康からの返答は無かった。
蒲原城も静まり返っている。
ぱちぱちと薪が燃える音と、冷たい駿河湾の波の音だけが陣所に響く。
そこに、雪原を蹴る騎馬の足音と、嘶きが義経の耳に入る。
北条早雲とお市の方であった。
早雲「間に合ったか……!」
義経「早雲殿!」
道灌や頼光も幕舎に駆けつける。
早雲は簡単に戦況の報告を受けた後、口を開いた。
早雲「ここまで戦い続けたからには……徳川殿は臣従など全く考えておらぬじゃろう」
義経「早雲殿にはかなわぬ。
蒲原城も、ご覧のように、静まり返ったまま……」
そこで、早雲がお市の方に目を向ける。
お市は早雲に軽く頷き、口を開いた。
お市「私が使者として城に赴くわけにはまいりませぬか。
私に手をかけることはなかろうかと……」
しかし、頼光は訝し気であった。
頼光「早雲殿は、それでお市殿をお連れしたか……
こたびの早雲殿の策は、危険では無いのか」
敵味方の多くが血を流した。
それを頼光は目の当たりにしてきた。
その血の重みが、頼光の声に滲んでいた。
頼光「わしは金時の無念をはらし、家康の首を金時に届けたい。
――それが戦。
だが、頼朝殿のお心が、我らにはある。
だから耐えておる。
家康殿には、そのようなものは無い」
頼光は早雲を見据える。
道灌も同様の視線を向けていた。
お市の方が頼光の前に歩み出る。
お市「頼光様、これは私自身の望みなのです」
お市の方の声は、静かでありながら、揺るぎの無い言葉だった。
お市「家康様には、かつての誼がある、一人の女子として――
直接申し上げたきことがございます。
家康様に討たれたとしても――本望、でございます。
そのうえで、義経様、早雲様とお話しいただけるよう、お願いしたいと存じます。
私に機会を、お与えいただけぬでしょうか……」
頼光は、頼朝の病状が極めて危険であるとはまだ知らない。
頷くことも、首を横に振る事もできずにいた。
そこに、義経が前に出る。
義経「お市殿、かたじけない」
お市に深く頭を下げた。
それは、時が残されていない、兄・頼朝のためでもあった。
義経「頼光殿、道灌殿。
全責任は、この拙者が。
今は、お市殿に頼るしかない……」
頼光「義経殿がそこまで仰せなら、反対はせぬ。
しかしお市殿に何かあれば――臣従もせぬ家康は討ち払う。
それで、よろしいかな、義経殿」
常に穏やかな頼光。
今は、槍を地にさして立ちはだかる仁王、そんな勢いを義経は感じ取った。
義経「……承知した」
義経の声は、低く、しかし揺るがなかった。
兄・頼朝の命が尽きる前に、家康と対面せねばならぬ。
そのために、お市の方の命を賭けることを、義経は受け入れた。
その決断の重みを、誰よりも義経自身が知っていた。
お市「皆様、ありがとうございます。
それでは最善を尽くします。
……数日たっても城門が開かぬ時は、ご決断を」
集まる諸将は揃ってお市に頭を下げた。
宝は、一言も発せず、静かに成り行きを見守っていた。
固く閉ざされた蒲原城の城門。
お市の方は、ただ一人、城門の前に立った。
しばらくして、人一人分の幅でのみ城門が開かれる。
お市の方は、ゆっくりと進み、すぐに城門は閉ざされた。
頼朝軍の諸将には、一刻一刻が長かった。
日が暮れても城門は開かなかった。
蒲原城の篝火が灯り、頼朝軍の陣にも松明がともされた。
雪が止み、星が見え始めた。
澄んだ空は、さらに地表を覆う氷のように冷たく、頼朝軍は薪を増やす。
そして、凍り付いたような蒲原城の城門が少しだけ開く。
中から兵が一人外に出て、また城門が閉じる。
その徳川の兵が頼朝軍に向かって声を張り上げる。
徳川兵「わが主より、お目通りを願いたい、とのこと!お入りを!」
義経、早雲、そして宝が城門の前まで進む。
徳川兵「武器を、こちらに」
刀を徳川兵に渡すと、また城門がわずかばかり開く。
城内に入ると、また固く閉ざされた。
兵の後を進み、城内の一間にたどり着く。
広座敷の上段に、家康がいた。
その横に、お市の方。
家康は、鎧を脱がぬまま、ゆったりと腰を据えていた。
表情は、読み取れなかった。
お読みいただき、ありがとうございました。
お市の思い、頼朝の心――家康は、その全てを受け止めます。
しかし家康の視線は、最後に、幼き源宝へと向けられます……。
徳川との長き戦も、いよいよ最終局面。
是非最後までお付き合いくださいませ。




