5-1 式部大輔と縁談
大勝利の余韻も束の間、頼朝は家臣団を見つめ、己の過去に思いを馳せていた。
茶室に現れた朝廷折衝役・大村由己が持参したのは官位「式部大輔叙任」の内示と、思わぬ代償――
そして秀長から、頼朝へのある願いが語られる。
徳川・織田の共同作戦という危機にみまわれたが、遊軍との連携、事前の備えにより、此度は頼朝軍の大勝利であった。
さすがの織田信長も、すぐに大規模な軍事行動を起こすことは難しいだろう。
しばしの猶予は得られた――
頼朝は家臣たちの働きに目を向け、己の“過去”と向き合っていた。
トモミクの呼びかけで集められたこの軍団の家臣たちは、一癖も二癖もある者ばかりだ。
歴史の名を飾った者たち、戦国の世で才覚を示した者たち、勇気・結束・機転まで備える精兵ぞろい――有能な家臣団が、組織をどれほど強くするか痛感した。
しかも、トモミクや飯坂猫、里見伏、出雲阿国、赤井輝子など、女性でありながら”異能”とも呼ぶべき才覚を示す者たちも多い。
鎌倉にも優秀な家臣はいた。とりわけ北条義時は挙兵当初からの腹心であり、幕府の運営に欠かせぬ存在だった。大江広元、和田義盛、八田知家らへの信頼も厚かった。
だが、自分が心から信用しきれる家臣は限られていた。裏切りに幾度も苦しめられたが、逆に必要以上に粛清を行い、忠臣を失ったことも多かったのではないか――頼朝はそんな自省の念を禁じ得ない。
それが今、この時代ではどうか。
頼朝の胸には、もはや猜疑心がほとんど湧かない。むしろ、家臣たちの言動や戦場での働きには、疑いようもない忠誠心が伝わる。
それは、「トモミクが全員を同じ使命・目的のために集めた」、だからなのだろうか。
自分が旗揚げをして集めた軍団ではない、自らの威光で服属させた家臣達でもない。飾りの主君に過ぎぬ自分自身に対して、強い結束と忠義を示してくれるのだ。
――そもそも、自分がなぜここにいるのか。
トモミクも、事情を知るはずの出雲阿国も……その核心については、決して語ろうとはしない。
(武田家を守る、源氏の血筋を繋ぐ――それだけで全て説明できない……)
それでも、優れた家臣たちと共に戦い続けるのも悪くない。頼朝はいつしか、そう感じ始めていた。
■茶室での出会い:大村由己
那加城には質素ながら、静かな風情をたたえた茶室がある。
鎌倉の世では茶をこれほどまで重んじる文化は無かったが、この時代では「茶の湯」が重要な交流の場となっている。秀長やトモミクとの相談も、この茶室で行われることが多い。
そんなある日、秀長が見慣れない男を伴って、茶室にて頼朝との謁見を打診してきた。
その男は頼朝の前へ進み、深々と頭を下げる。
由己「初めてご挨拶いたします。大村由己と申します。朝廷との交渉を任されておりまする」
秀長によれば、大村由己は京の公家衆に詳しく、漢詩や連歌にも通じる、朝廷との折衝にはうってつけの人材とのこと。
(朝廷、か……)
頼朝の脳裏には、かつての義経との対立を引き起こしながらも、それを逆手に支配体制を強化したり、後白河法皇との駆け引きが浮かぶ。
頼朝「大村殿、ようこそ。朝廷との折衝、骨の折れることが多いであろう」
由己は落ち着いた声で答える。
由己「は、仰せの通り、骨の折れる仕事ではございますが、頼朝様の御ため、力を尽くしたく存じます」
由己の所作と教養、そして一言目の言葉で、頼朝はこの男に興味を抱いた。
大村由己は続けた。
由己「今の朝廷は、織田信長公の急速な台頭に対し、複雑な感情を抱いております。畏怖しつつも、信長公の独善的な政治姿勢に不安を抱く公家も多うございます。つまり、信長公を利用もしたいが、増長は抑えたい――そういう状況なのです。
そこに、幾度となく信長軍を退けている当軍団の存在が大きな注目を集めております。朝廷としては、あまりに強大化する信長への“抑止力”を求めている、という見方ができましょう」
(なるほど……)
頼朝は深く頷く。後白河法皇も、平家の力を抑えるため源氏を利用し、源氏が勢力を伸ばすと義経を担ぎ上げて鎌倉を牽制した。時代が変わっても、朝廷の本質は変わらない――。
頼朝「大村殿、ご苦労であった。
朝廷という相手は、いつの世も難しき相手。それでも、時として世を大きく動かす。
そなたの働きに期待しておるぞ」
由己「ありがとうございます。そこで頼朝様に一件、ご報告が……」
由己は居住まいを正す。
由己「朝廷は頼朝様を『式部大輔』に任じたいとの内意を示しております。これは大変に名誉な話ですが、その見返りとして……金一万二千の献上を求めてきております」
頼朝「一万二千……」
頼朝は思わず声を漏らした。
今の軍団は大草城の商業収入のおかげで月々の収入がようやく一万五千に届こうかというところ。そこから政策や国内整備、軍備に莫大な費用がかかっている。
頼朝「……秀長、そちはどう考える?」
頼朝が隣を見ると、秀長は落ち着いた様子で答える。
秀長「は。官位を得ることは、今後外交を進めるにあたり重要な意味を持ちます。正式な官位があれば『朝廷公認の勢力』という形にもなり、大名間の序列でも無視できぬ存在となるでしょう。
ここは無理をしてでも受ける価値があるかと存じます」
頼朝「うむ……。そなたがその様に申すのであれば、わしに異論は無い。大村殿、この叙任の件、すすめてもらえぬか」
由己「ははっ!」
由己は深く一礼して引き下がる。頼朝は改めて、人選も含めた秀長の先見を頼もしく思った。
■秀長の願い
大村由己が去ったあと、秀長は茶室に留まり、なぜか気まずそうにしていた。
秀長「……頼朝様。実は、お願いがございます。明日、わが娘を那加城へ連れてまいりたいのです」
頼朝「そなたの娘を城へ?構わぬが、なぜそんなことをわざわざ?
日頃の父君の働きぶり、わしからも娘御に、とくと聞かせてやろうぞ」
秀長「はっ、勿体なきお言葉にございまする。なれど、実は、少々、込み入った事情が……」
頼朝「なんじゃ、秀長らしくもない。はっきり申してみよ」
頼朝は首をかしげる。すると秀長はおもむろに頭を下げ、意を決したように言う。
秀長「は!実は、頼朝様にわが娘、篠を……妻としてお召しいただきたい!」
頼朝「……何?」
予想外の提案に、頼朝は言葉を失う。
しばし沈黙が流れ、ようやく頼朝は声を出す。
頼朝「……ありがたい申し出だが……いずれにせよ、娘御には会わせてもらおう」
秀長「は、はっ! ありがとうございまする!」
秀長はほっとした顔で頭を下げる。その表情は、策略家や敏腕参謀というより、一人の父親だった。
(秀長の娘を、わしの妻に……か)
突然の話、この時代で家族を持つということ。この時代にて、いまだ自らを根無し草のように感じている頼朝には、大きな戸惑いであった。
しかし義経は武田勝頼の娘・梓を娶っており、仲睦まじい姿を目にしていた。
(義経と話をしてみよう……)
考えてみれば、この時代に来てから義経と杯を交わしたことなど無かった。
官位と金、そして縁談――
戸惑う頼朝は、この時代における「家臣」「家族」との向き合い方を考え始める。
次回、義経との語らいが、新たな絆の兆しを生み出す――
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