34-3 卑弥呼の力と神の御心
出雲阿国が卑弥呼だと知った頼朝は問いかける。
「そなたより神に祈り、乱れた世を静謐とすることはできぬのか」
阿国――いや卑弥呼は、ゆっくりと首を横に振る。
■卑弥呼の正体
頼朝「もう、わしは何を聞いても驚かぬ。聞かせてはもらえぬか――そなたについて、そして、わしが知るべきことを……」
阿国「かしこまりました……」
阿国は、静かに語り始めた。
阿国「頼朝様や義経様の言い伝えがございますように、わたくし、“卑弥呼”についても耳にしております。
しかしながら、その実は――平和のために祈り、時を越えて歩む、ただの巫女にございます」
頼朝は、武家政権の開祖として奉られ、義経に至っては“軍神”としての伝説が信じられていた。
兄弟で目を見合わせ、苦笑することもしばしばあった。
ましてや卑弥呼はさらに古代の人物、鎌倉の世においてもすでに神格化されたような存在として語られていた。
頼朝「そなたより神に祈り、乱れた世を静謐とすることはできぬのか」
阿国は苦笑いを浮かべ、ゆっくりと首を横に振った。
卑弥呼「わたくしの平和への祈り――その先のささやかなる“願い”が、お仕えする大いなる神のご意向に沿うた時のみ、その願いは現のものとして叶えられるのでございます。
しかし、叶えられる願いは、あくまでわたくし自身がこの手で直接 為せる事柄のみ。
わたくしの願いによって人を生き返らせたり、天変地異を自在に操ったり、頼朝様の願う世を実現したりといった、わたくしの力の及ばぬ願いは、お聞き届けくださることはございませぬ。
わたくしは神のご意向を、わたくし自身ができることを通して確認し続けながら、神にお仕えする――か弱き、ただ一人の巫女に過ぎませぬ。
日ノ本の巫女、すなわち“ヒミコ”なのでございまする」
頼朝「ほう……それが“卑弥呼”という名の由来であったか」
阿国「この時代で、わたくしが広くお伝えしております“かぶき踊り”。
元をただせば、お仕えする神に対し、世の平和を祈るための舞、その一部にございます。
そして、わたくしが時を行き来できるのもまた、平和への祈りに対し、神がお応えくださり叶えてくださった“願い”の一つなのでございます。
わたくしは、そうして祈りを捧げ、願い、時を旅し続けたその先のある時代において――幸運にも、トモミク様の“主”と巡り会い、お話をすることができたのでございます。
時を自在に行き来できるのは、トモミク様ではございません。
しかし、わたくしが自らの本当の姿や素性を申し上げるわけにはまいりませぬゆえ、これまでトモミク様を、いわば“隠れ蓑”としておりました」
頼朝「……そうであったか」
頼朝は、深くため息をついた。
頼朝「そなたの話すこと、わしの理解を超える部分も多いが……
聞けば聞くほどに、これまでわしが抱いてきた数々の疑問――あらゆることに合点がいくのもまた、事実じゃ。
そなたが今、わしに嘘偽りを申しておるとも思えぬ。
また、このわしにあえて嘘をつかねばならぬ理由も見当たらぬ。
……阿国殿。よくぞ、ここまで話してくれた。
だが――そなたがお仕えするという“大いなる神”は、ただ祈りを捧げただけでは、この乱れた世を平和にしてはくれぬのか。
それが、少し残念じゃな」
阿国「はい……まことに、残念ながら」
阿国は、寂しげに微笑んだ。
阿国「大いなる神は、わたくしのような力なき者に対し、直接語りかけ、お導きくださることはございません。
また、先ほど申しました通り、わたくしの力の及ばぬ願いをお聞き届けくださることも、ございませぬ。
確かに、わたくしには、時を行き来したり、あるいは近い未来を知ることができたりといった力を与えられております。
もともとは、民が飢えぬよう、日照りのときは雨の時期を見極めたり、嵐の到来に備えたりしておりました。
それ故に、人々は時に、わたくしを神や仏のごとくに崇め奉ることもございます。
ほんの少しだけ、他の民よりも神の御力がこの身に宿っておるのかもしれませぬ。
ですが……それでも、わたくしは神には程遠き、ただの人の子にございます」
阿国は、かすかに微笑んだ。
その瞳には、長い時の営みを目にしてきた者にしか宿らぬ、深い哀しみと静かな誇りが揺らめいていた。
「……それでも、わたくしは祈りをやめられませぬ。
祈ることこそ、わたくしが人として、最後にすがれる道にございますゆえ……」
頼朝は、その言葉を胸に刻むように目を閉じた。
■運は天にあり、鎧は胸にあり
トモミクが多くを頼朝に語らなかった理由――“未来を知る者のつらさ”。
阿国がかつて口にしたその言葉を、頼朝はふと思い出した。
(それは、トモミクではなく、阿国殿自身の言葉であったか)
頼朝「そのような阿国殿――いや、女王“卑弥呼”が、なぜ今ここでわしと共にあるのか。
それも、そなたに語らぬ“神”の御心なのか」
阿国「わたくしは祈ることしかできぬ、ただの人。
だからこそ、頼朝様のように世を変えるお力を持つ御方にお仕えし、神のご意志を確かめながら、わたくしにできることを模索し続ける……。
それが今のわたくしにできる、唯一のことでございます」
頼朝「……神も人の営みを正し、救ってはくれぬか……」
頼朝はしばし沈黙し、目を伏せた。
やがて、静かに息を吐き、顔を上げる。
「……そうか。己の胸に、鎧がある。
運は天にあり、鎧は胸にあり――そういうことか」
頼朝は、静かに頷いた。
頼朝「いずれにせよ、この俗世のことは、俗世に生きる者たちが、自らの手で何とかせねばならぬの」
阿国は深々と一礼し、改めて頼朝に言葉を投げかけた。
阿国「ですが、頼朝様――これだけは確かでございます」
阿国は力強く言った。
阿国「先代の頼朝様がお亡くなり、今の頼朝様を再びこの時代へとお連れすること。
本来であれば禁じられた、身勝手なわたくしや多くの家臣の“願い”でございました。
ですが、神はその“願い”を叶えられ、こうして頼朝様とともに時を歩んでおります。
頼朝様がこの時代におられること――必ずや、大きな意味があるのです。
それは、わたくしやトモミク様の勝手な意向などという矮小なものではございません」
頼朝「はっはっは! なんと! 神までもが、このわしを買いかぶっておられると申すか!
まことに困ったことよ!」
頼朝はそう言って、声を上げて笑った。
その頼朝の言葉を聞いて、ようやく出雲阿国の表情に、いつもの柔らかな笑みが戻った。
阿国「ふふ……そのような頼朝様であるからこそ、わたくしは、これからも精一杯お支えしたいと願うのでございます」
阿国は言った。
阿国「もう二度と――頼朝様を、失いたくは、ございませぬから……」
頼朝「……阿国殿。重ねて礼を申す。よくぞ、話してくれた」
頼朝は穏やかな表情で頷いた。
頼朝「そなたも、さぞ疲れたであろう。もう良い、下がって、ゆっくり休まれよ」
阿国は深々と一礼し、静かに部屋を退出した。
廊下に出ると、淡い灯が揺らめいていた。
阿国は立ち止まり、そっと振り返る。
障子越しに差す光が、頼朝の寝所を淡く照らしている。
(この方こそ……神がわたくしに託された“希望”。
それが神の御心か、それとも――わたくし自身の願いなのか)
阿国は静かに目を閉じ、胸の前で手を合わせた。
お読みいただきありがとうございました。
時を旅する卑弥呼が本当に頼りにするのは、神ではなく、頼朝でした。
ただし、阿国が唯一確信していること――それは「頼朝がこの時代にいること」そのものに、意味があるということ。
軍団の謎をほぼ全て知ることとなった頼朝、しかし目の当たりにする現実はさらに頼朝に重くのしかかります――。
次回、頼朝は新たな軍団の陣容を家臣に伝え、二条城へ遷る決意を固めます。
この後の展開も、どうぞお付き合いくださいませ。




