34-2 闇に落ちる恐れと希望
意識を取り戻した頼朝。
夢は夢ではなかったと知った時、
彼は、どうしても確かめねばならぬ真実に辿り着く。
運命の扉の鍵を握るのは、出雲阿国――。
頼朝は、静かに問いを放つ。
■ “先代”と“今”の頼朝
頼朝「――さて、阿国殿」
頼朝は、ゆっくりと出雲阿国に向き直った。
障子の向こうから、微かな風が入り、灯が小さく揺れた。
頼朝「まずは一言、礼を申さねばなるまい。
そなたは、常に言葉を選び、時に遠回しに、時に率直に――右も左もわからぬわしをここまで導いてくれた。
さぞ、苦労であったろう」
その声に、阿国のまつ毛がかすかに震えた。
これまで彼女は、何かを押し殺すように、心の奥を閉ざして生きてきた。
だが今、その堰が音もなく崩れ、
こらえ続けた感情が静かな流れとなって頬を伝う。
阿国「……頼朝様……」
その声は、掠れ、震えていた。
小さく息を吸い、阿国は言葉を紡いだ。
阿国「先代の頼朝様のお命は……この阿国が奪ってしまったようなものなのでございます。
あの時……秀長様をお味方に引き入れることを、あまりに安易に考えておりました。
まさか、あのような悲劇が起ころうとは……」
深く頭を垂れる阿国。
その肩が小刻みに震えるのを見て、頼朝は、胸の奥で何かが軋むのを感じた。
頼朝「……前の頼朝は、皆から信を置かれた、良き大将であったようじゃのう」
言葉は穏やかであったが、
その眼差しの奥に、どこか遠いものを見つめる光があった。
頼朝「だが、阿国殿。わし自身のことながら、わしの知らぬ“わし”でもある。
いまだに、どうにも整理がつかぬのじゃ」
阿国は涙を拭い、顔を上げた。
その瞳は、光のように澄んでいた。
阿国「今の頼朝様も、皆がお慕い申し上げていたかつての頼朝様も――
その御心根は、まったく同じでございます」
頼朝「阿国殿……教えてくれぬか。
その“かつての頼朝”がこの時代に参ったのは、鎌倉の“どの”わしなのか」
阿国「史書に記されし、御最期の直前の頼朝様にございます」
頼朝「……そうか」
その瞬間、頼朝の頬に、安堵のような微笑がかすかに浮かんだ。
長い影の中で、光がほんの一筋、差し込んだように見えた。
阿国「それが……何か?」
頼朝は静かに息をつく。
頼朝「この後のわしの歩み、特に京の朝廷との一筋縄ではいかぬやり取りを思う時、
再び“覇権”という名の“闇”に、己の心が侵されてしまうのではないか――
その恐れが、常に胸の底にある。
だが、皆に慕われた“前の頼朝”が、鎌倉の世において日ノ本の一統を成し遂げたその後の頼朝であったのだとすれば……
闇に支配されぬまま、光を見失わなかった大将であったのだな、阿国殿。
そうであるならば、この闇を恐れるわしにとって、何よりの励みとなる。
己の悲劇を知りながら“励み”と言うのも、妙な話ではあるがの」
阿国「はい……! 頼朝様!」
阿国の顔が、ぱっと明るくなった。
けれどすぐに、その表情に再び影が落ちる。
阿国「ずっと、頼朝様にお伝えしたき儀がございました。
それは――先代の頼朝様が最後に息を引き取られる間際、
トモミク様へ託されたお言葉にございます。
『義経を……頼んだ』――」
頼朝「……なんと……」
頼朝は息を呑んだ。
胸の奥を、静かに火が走る。
阿国「頼朝様は、今の家臣や家族を何よりも大切にしたいと、常に口にされております。
日ノ本を一統なされた後の、年を重ねられた“先代の頼朝様”も、それは全く同じでした。
また、『未来のため』にご自身の限界と向き合いながらも、この軍団が進むべき道を――
常に悩みながら、模索しておられました。
『天下の静謐を望みて、天下は望まぬ』――
それが、先代の頼朝様の口癖でございました」
頼朝は目を伏せ、掌を見つめた。
その指がわずかに震えていた。
(……同じなのか。わしも、あの“頼朝”も……)
心の底に、悲しみとも希望ともつかぬ光がともる。
それは闇の中で揺れる、ひとつの灯のようだった。
■ 出雲阿国の正体
頼朝は、深く息をつき、阿国へと目を戻した。
頼朝「……阿国殿。もう一つ、聞いてみたいことがある」
阿国「はい、頼朝様。何なりと」
頼朝「わしは、秀長から聞いた、あの話――
つまり、岐阜城で起きた出来事……実は知っておったのだ。
その時は、ただの不思議な夢と思っていた。
音は聞こえなんだが、景色だけは妙に鮮やかであった。
そして、秀長の語った光景が、まさにそのまま、わしの見た夢であった……」
頼朝は一拍おき、言葉を選ぶように続けた。
頼朝「もはや、それは夢ではない。
そこで見たもの……わしの目の前におった、そなた――阿国殿ではなかった。
全く同じ顔をしてはおったが、わしには分かっていた。
それが古の女王、卑弥呼であると。
もちろん、わしは卑弥呼なる者に会ったことなどない。
じゃが、なぜかそう、分かっていたのじゃ。
今も……わしが目覚める直前に見た夢の中で、立花宗茂殿と語らっていた。
会ったこともないその人を、なぜか“本人”だと、はじめから理解しておったのだ」
阿国の目が見開かれる。
沈黙が、部屋を包んだ。
阿国「……頼朝様……それを……夢で……」
頼朝「――そなたのその様子。どうやら、ただの戯言ではなさそうだのう」
阿国「……はい……」
阿国は驚きに息を詰まらせ、それでもやがて、
深く覚悟を宿した瞳で頼朝を見つめた。
阿国「頼朝様のお身体が万全ではないこの時に、このようなお話を申し上げるのは、大変心苦しく存じます。
ですが、もしそこまで、すでに御覧になられているのであれば――」
阿国はゆっくりと顔を上げ、真っ直ぐに言葉を放った。
阿国「頼朝様の御覧になられたものは、夢ではございませぬ。
わたくしは、この時代においては“出雲阿国”と名乗り、
かぶき踊りを諸国に伝える者として生きております。
ですが――遠い、遠い過去の世においては……
わたくしは、“卑弥呼”と名乗っております。
そして、この軍団の中でその事実を知る者は――
トモミク様と、そして今は亡き、先代の頼朝様。
ただ、お二方のみでございます」
頼朝は、しばし沈黙した。
灯の炎が、ふっと揺れ、彼の頬を照らした。
頼朝「……やはり、そうであったか……」
その声には驚きも恐れもなく、
ただ、深い受容の静けさだけが宿っていた。




