カティラス侯爵家の夜会当日ー次男との遭遇
お花摘みに行った帰り、アナスタシアは廊下でぽつんと一人になってしまっていた。
来る時は侍女に案内してもらった。
出てきた時にはその侍女の姿はなかった。
アナスタシアと入れ替わりに出ていった令嬢がいたので彼女を案内して会場に戻ってしまったのだろう。
幸い会場への戻り道はわかる。
アナスタシアはできるだけ早足で廊下を歩き始める。
こんなところで男性に行き当たるのはよくない。
それはユリウス・カティラス侯爵令息に限った話ではない。
残念ながら遊び相手を探している者というのは男女問わずどの夜会にもいると聞く。
その中には世慣れしていない相手を騙そうとする者もいるらしいのだ。
アナスタシアなんて騙されやすいように見えるだろう。
世間ずれしていない自覚はあった。
この見た目から騙しやすいと判断されやすいことも。
だからこそ兄たちもしつこいくらいに一人になるな、と言っていたのだということもわかっている。
でもまさか、侍女に置いていかれて一人になってしまうとは思わないではないか。
主催者は招待客の身の安全を図らなければならない。
当然、使用人にもそのことは通達されているはずだ。
だからお花摘みをして出てきたところで誰もいないとは思わなかったのだ。
この場を離れる必要が出てきたとしても代わりの者を寄越すくらいの配慮はされると思っていた。
これはアナスタシアの落ち度なのだろうか?
今は悠長に考えている場合ではない。
一言断ってから来ているがあまり遅いとヴィクトリアたちが心配するかもしれない。
急いで会場に戻らないと。
なるべく早足で、だが慌てている様子は見せないようにして廊下を進む。
進む廊下に人影はない。
まだそのほうがましかもしれない。
できれば誰か使用人とすれ違うくらいはしたいところではあるが。
そうすれば会場まで案内してもらえるだろう。
こつこつと前方から足音がした。
アナスタシアは思わず身構える。
廊下の先から現れたのは背の高い男性だ。
アナスタシアを見るとぐっと眉根が寄せられる。
そして足早に近づいてくる。
不思議と身の危険は感じなかった。
アナスタシアは無意識に足を止めて彼が来るのを待ってしまっていた。
目の前まで来た彼は上からアナスタシアを見下ろしている。
その視線には厳しさがあった。
だけど不思議と反発心は沸き上がらなかった。
雰囲気のせいだろうか?
「一人にならないように言われなかったかい?」
「……言われました」
「それなら何故一人でいる?」
言ってもいいのだろうか?
後で使用人が叱られたりしないだろうか?
「一人でこんなところにいたら危ないのはわかっているだろう? それとも、迷子かい?」
「いえ。会場に戻るつもりでした」
「一人で?」
もとの質問に戻った。
これは理由を言わないと延々と尋問されそうだ。
アナスタシアは白状することにする。
「……出たら案内してくれた侍女がいなかったので」
男性が額に手を当てる。
だがすぐに手を外してアナスタシアを見た。
「うちの怠慢だ。申し訳ない」
頭を下げられて慌てる。
「顔を上げてください」
男性はゆっくりと顔を上げる。
「本当に申し訳ない。私は叱れる立場にいなかった」
「いえ、私を心配してくださってのこと。ありがとうございます。何事もなかったので気にしないでください」
「そういうわけには……」
なおも謝られそうな雰囲気にアナスタシアは急いで話題を変えた。
「うち、ということはカティラス家の方ですか?」
「ああ。自己紹介もまだだったね。初めまして。カティラス侯爵が二子ファビアンだよ」
「ご丁寧にありがとうございます。アナスタシア・クーパーです」
カーテシーをする。
すぐに「楽にして」と言われ、礼を解く。
それにしても次男の方と鉢合わせるとは思わなかった。
先程挨拶した時にはいなかった。
盛装しているからには遅れたか、別に挨拶をしていたのだろう。
でも誰もいない廊下にいる今はカティラス侯爵家の者に出会えたのは幸運だったのかもしれない。
下手なところ迷い込むこともなく、密会だなんだのと言われることもないだろう。
誰かに訊かれても迷っているところを案内したのだと言えば済む話だ。
「クーパー嬢、お詫びに会場までエスコートさせてもらえるかな?」
「ありがとうございます」
ここで断るのは礼を欠くだろう。
彼は主催者側だ。
「お願いします」
差し出された腕にそっと手を添える。
会場のほうへ向かって歩き出す。
背が高いので歩きにくいだろうにしっかりとアナスタシアの歩調に合わせてくれる。
「こちらの不手際だからあまり言えたことではないけど、知らない男性についていっては駄目だよ」
「わかっていますわ」
アナスタシアもほいほいと知らない男についていくことはしない。今回は彼が主催者側の人間だからだ。
「本当かな? 現に僕のことは知らない男性だろう?」
「ですが、カティラス様は主催者側の方です。そのようなことはなさらないでしょう?」
何かあれば家の評判に関わるのだ。
おいそれと何かしかけてくることはないだろう。
そう思ってのことだったが。
ファビアン・カティラス侯爵令息は静かな瞳でアナスタシアを見下ろした。
「今、君をエスコートしているのが僕ではなくユリウスだったら? 君は信用したのかな?」
そう言われて黙るしかない。
ユリウス・カティラス侯爵令息だったらそもそもエスコートを断っている。
だとしても下手なことは言えなかった。
「その反応は正しいよ。弟には君みたいな咲き始めの令嬢が近寄らないほうがいい」
それなら近寄らないよう是非とも弟君に言ってほしい。
そう訴えられたらどれだけいいか。
ここではっきりと「はい」と言うわけにはいかないだろう。
いくら頷きたくとも。
さすがに失礼だろう。
「……気をつけますわ」
それくらいしか言えない。
でもたぶん、伝わったのだろうと思う。
ファビアン・カティラス侯爵令息は苦笑した。
「そうだね。僕からも弟にはちょっかいを出さないようには言っておくよ」
「ありがとうございます」
さすがにお願いしますとは言えない。
だけど伝わったようだ。
「うん。これだけはしっかりと言い聞かせるよ」
できればマティスにも近づかないように言ってもらいたいがさすがにそれは求めすぎだろう。
だがその言い方だとやはり彼の言うことはあまり聞かないのかもしれない。
お願いします、と言いたいところだがそれも切実に聞こえそうでよくないだろう。
「ありがとうございます」
「うん」
ファビアン・カティラス侯爵令息は頷いた。
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