刺繍の授業
アナスタシアは刺繍の授業を受ける教室にいた。
この授業はヴィクトリアとメイナー伯爵令嬢と一緒だ。
席は自由なのでアナスタシアはヴィクトリアといつも一緒のテーブルについている。
テーブルは四方を囲うように椅子が置かれているので最大四人まで同席できる。
時々はメイナー伯爵令嬢が一緒の時もあるが、二人だけの時もある。
ヴィクトリアの友人が一緒でもいいのだが、遠慮しているのか近寄ってこないのだ。
それが申し訳なくなるがヴィクトリアは、友人たちはちょうど四人で集まっているのでどのみち一人あぶれることになるから気にしないで、と言ってくれる。
それでもその場合は二つのテーブルに分かれればいいだけのことなのだ。
だけどそのような提案をされたことはない。
アナスタシアも遠慮して言えなかった。
だって向こうにとってはアナスタシアはヴィクトリアの友人ではあっても彼女たちの友人ではないから。
いろいろと気を回したくはないのだろう。
それは仕方ないことだ。
二人で道具を出して準備しているとメイナー伯爵令嬢が教室に入ってきた。
彼女は真っ直ぐにアナスタシアたちのところに来た。
「ごきげんよう。ご一緒させていただいてもよろしいですか?」
「ごきげんよう。ええ、もちろん構いませんわ。ね、アナ」
「ごきげんよう。ええ、もちろんです。どうぞお座りください」
「ありがとうございます」
メイナー伯爵令嬢はアナスタシアの隣側の席に腰を下ろした。テーブルの上に裁縫道具を出す。
「本日はどのようなものを刺繍するのでしょうね」
「さすがにまだ大きいものは作らないと思いますけど」
「大きいもの、ですか?」
何故急にそんな話になったのだろう?
アナスタシアがきょとんとすればメイナー伯爵令嬢は親切に説明してくれる。
「クーパー様、最終学年になれば大きな作品を作ることになるのですよ。そして、それは一定期間展示されます」
アナスタシアは無言で目を見開いた。
知らなかった。
アナスタシアがヴィクトリアを見れば、彼女ははっきりと頷いた。
「そうなのですね。教えてくださってありがとうございます」
姉妹のいないアナスタシアはどうしてもそのような辺りは疎い。
二人が教えてくれて助かる。
いや、展示されるのなら兄は知っているはずだ。
まだ先のことだからとでも思って教えてくれなかったのかもしれない。
兄なら有り得る。
あとは単純に忘れているか、だ。
まあでも兄を問い詰めるほどではない。
まだ先であることは確かなのだ。
そんなふうに話していると前方の扉が開いた。
視線を向けると、教師が入ってきた。
一斉に立ち上がる。
教師が教壇に着いた。
「皆様ごきげんよう」
「「「ごきげんよう」」」
挨拶をしてカーテシーをする。
これも立派な練習なのだ。
「皆さんお座りなさいな」
一斉にカーテシーを解いて椅子に座る。
教師は全員を見回して告げた。
「全員いるようですね。それでは授業を始めます」
今日は何を刺繍するのかと視線が教師に集中する。
その視線を受けて二拍程間を空けて教師が口を開いた。
「今日はそうですね、誰かに贈るハンカチを刺繍しましょう」
ざわりと教室内がざわつき、すぐに静かになる。
「質問をよろしいでしょうか?」
「ええ、勿論構いません」
「実際に誰かに贈るのでしょうか? それとも贈る想定で刺繍をするのでしょうか?」
「そうですね。実際に贈ることを前提に刺繍してみましょう」
ざわりとして静まる。
「それは婚約者に、ということでしょうか?」
そうだとしたらアナスタシアは困る。
婚約者などいないのだ。
アナスタシアだけではない。
ヴィクトリアもメイナー伯爵令嬢もだ。
他にもいるだろう。
それとも婚約者を想定して、とかそういうことだろうか?
「贈るお相手は家族でも婚約者でも構いません。もちろんお友達でもいいですよ」
その言葉にほっとする。
友人でいいのなら、ヴィクトリアでもマティスでもロンバルトでもいい。
身内となると兄か、領地にいる父か。
父方の叔父は今どこにいるのだろう?
独身の叔父は身軽なこともあってふらふらとあちこちを回っているのだ。
たまに手紙もくれる。
そんな時はしばらくその地にいるということだからアナスタシアも手紙を返していた。
そんな叔父がアナスタシアは嫌いではない。
叔父もアナスタシアを可愛がってくれている。
従姉妹や伯母・叔母たちに追いかけ回された時も助けてくれるのだ。
叔父に贈ってもいいかもしれない。
ハンカチなら腐るものでもない。
今度会えた時にでも渡せばいい。
叔父なら拙い刺繍でも貶すことはない。
アナスタシアが気軽に贈れる相手だ。
婚約者のいないアナスタシアには贈るにはちょうどいい相手でもある。
教師が各テーブルを回り、無地のハンカチを配っていく。
刺繍糸や裁縫道具は持参だが、ハンカチは毎回教師が用意したものに刺繍することになっている。
いろいろな素材に慣れるためだろう。
自分で用意するとどうしても使い慣れたものしか用意しなくなる。
それでは困る場面が出てくるだろうということなのだ。
学園ではいくら失敗してもいいのだ。
出来の良し悪しで評価されることはない。
必要なのは努力する姿勢なのだ。
もちろん上手な人は評価上で加点はもらえるだろう。そこに至るまでの努力があるからだ。
それに授業でなら教師や刺繍の得意な友人などに助言をもらうことができる。
その経験というのは案外貴重だ。
教わるほうはもちろんのこと、教えるほうにとっても。
それがいずれ役に立っていくのだろう。
配りながら教師が説明を続ける。
「お相手のイニシャルは入れてください。他の図柄は皆さんの好きにしてください。お相手が何が好きなのかを考えて刺していくといいですよ」
何人かの令嬢たちは頷きながら聞いている。
アナスタシアもだ。
贈るのに慣れている令嬢たちは当然だという顔で聞いている。
メイナー伯爵令嬢はそちらだった。
いつかアナスタシアもメイナー伯爵令嬢のようになれるだろうか?
……もう少し刺繍の練習を頑張ろう。
密かに決意する。
今は叔父に贈るハンカチだ。
何のモチーフがいいだろうか?
あちこちに行く叔父だから自分のものだとすぐにわかるほうがいいだろう。
だとしたら少し珍しいもののほうがいいかもしれない。
ハンカチを配り終えた教員が教壇に戻る。
「できた人から順に見せに来てくださいね」
「「「はい」」」
「私も順次回りますので、もし何かあれば声をかけてください」
「「「はい」」」
アナスタシアは早速刺繍の図案集を捲る。
ヴィクトリアやメイナー伯爵令嬢もだ。
教室内では同じようにページを捲る音があちこちから響いていた。
早速刺繍を始めているのは婚約者によく刺繍入りのハンカチを贈っている令嬢方だろうか?
すぐに刺繍を始められなくても焦る必要はない。
刺繍の授業は二コマ連続の授業だ。
時間はたっぷりとある。
アナスタシアは叔父の好きなものを思い出しながらページを捲った。
読んでいただき、ありがとうございました。




