86話 アシェイリス憲法第一条
翌日再開された会談は、とてもスムーズに進行していた。
ゴーダル王がいるべき場所は、代わりに第一王子が座っている。
しかし偉大な父の影に隠れ続けいてたこの男。
キョロキョロと落ち着きなく、一度も声を発することはなかった。
さて問題はアシェイリスの今後である。
国として認められることは出来た。
だが昨日ゴーダル王が言ったこと。
侮辱にも取れる発言だったが、ある意味で正鵠を射た言葉。
『建国したばかりの弱小国』
『誰かが導き助けてやらねばならん』
その言葉は、他の国々にも思うところがあったようだ。
なので当然ながら自治権は認めるが、当分は諸外国と共に。
助け、学ばせ、そうして一人立ちするまで連合で面倒をみさせてくれと。
そのように言われたのだ。
もちろん拒否したところでペナルティがあるわけではない。
しかしアシェイラは、感謝と共にそれを受け入れることにした。
彼女自身も、まだ不安だったのだろう。
それに絶対的な支配者がいなくなり、正しく同盟として再出発した連合。
彼等と共にならば、ちゃんと歩いて行けると信じられたのだ。
ちなみに、ゴーダル国についても同じような処遇になった。
いやアシェイリスとは違い、こちらは強制的か。
王はその地位を追われ、跡を継ぐのが頼りない王子。
とはいえ未だ大国には違いないのだ。
放置するわけにはいかず、北方連合同盟預かりとなったのである。
他にもイェト国の南に大きな砦を建造すること。
ボルデド商工組合に頼らない、物流の仕組みを作ること。
そのような事も決まり、和やかに会談は閉幕した。
そういえば和やかじゃない男が一人いたな。
ペンディス国のノーグデン王子だ。
彼はイェト国の王子に食って掛かり、決闘だなんだとキンキン声で騒いでいたようである。
まぁ大きな問題にはならないだろうが。
そんなこんなで俺達は帰路につく。
道中は同じ方向ということもあり、ルッコ国の女王と同道した。
何度も何度も頭を下げられ、こちらが恐縮するほどである。
どうやらリュシィ姫も一度ルッコに戻るようで、別れ際には寄り添う母娘の姿が微笑ましかったことを思い出す。
イェト国へ嫁ぐのかは今後の二人次第だろうが、それまではルッコの太陽として彼女は国民に元気を与え続けるのだろう。
ボフィカルの老王とも少し話をしたな。
というか、文句を言ってやろうと思っていたのでこちらから出向いてやった。
だが『勉強になったじゃろ?』と軽く流し、ふぉっふぉと笑う糞ジジイ。
北方連合で一番要注意なのは、実はコイツなのではないかと俺は思っている。
とにもかくにも。
アシェイリスは、自他ともに認める国として動き出した。
これからも課題、難題は山積みだろう。
しかし連合諸国とは良い関係が築けているし、いつでも頼れと王達から言葉も貰っている。
俺がアシェイリスでやるべきことは、全て終わったのだ。
……。
「そろそろ出発しようと思う」
アシェイリスに戻ってから十日後の夜。
その日の報告とともに、俺はそうアシェイラに告げた。
「そう……ですか……」
いずれそういう日が来る。
その日はもう近い。
そう覚悟していたのだろう。
沈んだ声までは隠せなかったが、アシェイラはそう答えた。
「すぐに南へ戻るのですか?」
俺の目的は、当然ながら銀髪を倒すことである。
さらに今は、ノルディーとピスピナ。
二人の上級魔人までもが、俺の必ず殺すリストに加わっているが。
だが居場所を突き止められそうなのは二人だけ。
銀髪とノルディーだ。
ならば俺が向かう先は、当然南となるだろう。
「とはいえ、まだ戦力不足なんでな。しばらくは北方領域で魔物を集め、それから南へ向かうことになる」
「ではアシェイリスに立ち寄ることも」
「ないな」
きっぱり言う。
すでにこの辺りの魔物は大体狩りつくした。
……という理由もあるが、実際のところは違う。
ここは、俺にとって居心地が良すぎるのだ。
今回だって、この話を切り出すのに十日もかかってしまった。
北方領域に渡ってからすでに八ヶ月。
さすがにのんびりし過ぎである。
「フィーはどうしたらいいですか?」
紅い瞳が訊ねてきた。
少女の石化能力は、貴重な戦力である。
しかし、『どうしたらいいか』と俺に聞くフィー。
そのことが、どうしたいのかを雄弁に語っていた。
「お前は置いていく。これからもアシェイラを頼むぞ」
ルッコの母娘を見たからだろうか。
アシェイラとフィー。
二人を引き離そうとは、到底思えなかったのだ。
だが思いがけないことだったのだろう。
それが素直に喜んで良いことなのか、フィーは不安げに瞳を揺らしている。
その頭を撫でていると、不意にアシェイラが語りだした。
「ずっと考えていました。どうすれば身分格差のない国が造れるかと」
彼女の目は遥か遠く。
ロンゴ帝国を見ている気がする。
あの国みたいにならぬよう、反面教師として。
「答えは出たのか?」
アシェイラは頭を振る。
しかし悲壮感はなかった。
「どんなに身分を無くそうとしても、どうしても役割というのは生まれてしまいます。王であったり大臣であったり。医者であったり教師であったり」
「それは仕方のないことだな。むしろ無ければ国がまわらん」
今こんな話をしている理由。
それは、きっと俺がアシェイリスを離れると言ったからだ。
こういう国にしたい。
俺がいなくとも、理想とする国を造ってみせる。
『だから心配しないで下さい』
彼女がそう言っているように、俺には聞こえていた。
そんな気配を察してか。
それとも二人の時間を邪魔しないように気をまわしたのか。
フィーが『ディーネちゃんの様子を見てきます』と退室した。
その姿を優しく見送り、アシェイラは続ける。
「ですが、王と。大臣と。そう呼ばれ続けていると、まるで自分が偉くなったように錯覚してしまいそうになります」
「王なんだから偉いだろ」
「役割は役割です。偉いからやっているわけでも、やっているから偉いわけでもありません」
他の人間が出来ないことをやっている。
ならば十分偉いと思うのだが、アシェイラの考えはそうではないらしい。
「大工さんは家を建てられますが人を治療することは出来ません。お医者さんは人を治療出来ますが家を建てることは出来ません。各々が自分に出来る役割をしているだけなのですから、そこに身分の差があるのがおかしいのです」
「しかし職業ごとに習熟難易度が違うのだから、同じに扱うわけにもいくまい」
「そこは給与に反映させればいいだけです」
言っていることは分からなくもない。
だが給与に差が出来れば、結局格差が出来るのではないか?
「それはいいのです。私が言っている格差とは『心の格差』なのですから。心の持ちように差がなければ、王も大工も医者も農夫も。全て平等の人間です」
「国を代表する唯一人の王と農夫が同じというのは、さすがにどうなんだ? 対外的にも良くはないだろ?」
アシェイラが目指しているもの。
それはなんとなく伝わったが、俺にはただの理想論に聞こえる。
いや、いっそ青臭い綺麗ごとと言ってもいいだろう。
――しかし。
それでも彼女はそれを目指すという。
目指して転ぶのは構わない。
理想を追わず、ただ立ち尽くすことだけは許されない。
それが、彼女の王としての在り方なのだ。
「対外的には確かにそうですね。ですが国内だけでも、私はそうしようと思っています。いえ、決めたのです」
そういえばアシェイラは頑固なのだった。
その彼女が決めたと言う。ならば決まってしまったのだろう。
「アシェイリスには、まだ憲法がありませんよね。その第一条。そこにはこう記すつもりです」
『第一条 この国に住まういかなる者も、敬称を禁ず』
「皆が名前を呼び捨て合うのです。それは互いの距離を縮めると同時に、呼び方以外で敬意を示さなければならなくなります。ただ敬称で呼んでいれば敬意を示したことになる。そんな上っ面ではなく、相手に対する敬意をちゃんと伝えなければならなくなるのです」
「俺を未だに様付けで呼んでるのにか?」
言いだしっぺのアシェイラこそが、敬称を捨てられていない。
そのことを茶化してやると、彼女は頬を紅く染めた。
だが怒っているのではないことに気付く。
ではなんだと彼女の目を覗き込めば、少し潤んだ視線とぶつかった。
「一度呼び捨ててしまえば、私と貴方の距離感はなくなってしまう。だから呼べなかったのです。壁を作るために。距離を保つために」
「構わないだろ」
「構います! 皆の期待に応えるために! 身を粉にしてくれる貴方に応えるために! 自分を抑えなければ、私は立っていられません!」
そう叫んだアシェイラの瞳には、溢れんばかりの涙が溜まっていた。
袖を握りしめ、頭を振るたびに艶やかなポニーテールが揺れている。
「甘えてしまうでしょう! いいんですか? これ以上甘えてしまったら、私は溶けてしまいますよ!?」
何を言っているんだアシェイラは。
普段の冷静な彼女からは想像も出来ないほど、今のアシェイラは興奮している。
いっそ混乱していると言っても過言ではないだろう。
――ふと思い当たった。
決壊したのだ。
アシェイリスが国として歩き出し、そして俺がいなくなる。
安堵と恐怖が同時に襲い、自分の心を律し切れなくなったのだ。
彼女は言っていた。
『私が怖いと思うことはただ一つです』と。
それがこれなんじゃないだろうか?
押さえ込んでいたものが、堰を切ったように溢れ出してしまうこと。
それは全てを飲み込んでしまうほどの濁流で。
危うい均衡を保っていた、俺とアシェイラの関係を壊してしまうもので。
「大体なんですか!? ラキュア様やヴェルティ様なら分かります。でもスー子様にまで手を出して、なぜ私には手を出さないのですか!?」
混乱の極地である。
自分が何を言っているのか、今の彼女は理解しているのだろうか?
書記を呼んで一言一句書き留めて置きたいほどだ。
だがやはり。
どれだけ罵声に近い言葉を発しようと、アシェイラの瞳の奥。
心を映し出すそれは、幼子のように不安で揺れていた。
「なのに胸は触るし思わせぶりなことは言うし! 私の価値は胸だけですか!? お堅い女な――」
もう黙らせよう。
俺はアシェイラを抱き寄せ、やや強引に唇を重ねた。
ただそれだけで、彼女の腰から力が抜ける。
くたりと俺に体を預け、トロンとした目で見上げてきた。
「……気付いてしまったんです。私はもうどうしようもないくらい、リク様のことを……」
安堵と恐怖で自分の心を制御出来なくなった。
俺は先ほどそう思ったのだが、それだけではないのかもしれない。
不器用なアシェイラは、こうでもしなければ。
勢いに任せなければ、自分の気持ちを伝えられなかったのだろう。
それを思うと、愛しさが込上げる。
俺は指の腹でアシェイラの涙をぬぐい、そのまま頬に手を当てた。
すると彼女は、甘えるようにその手に頬を擦り付けてくる。
凛とした武人である筈のアシェイラ。
だが今この時。
その瞳は情欲に濡れ、吐き出す吐息は艶かしい。
ならば男たる俺がとる行動は一つだろう。
「アシェイリス憲法第一条。もう忘れたのか?」
俺の腕の中。
アシェイラは一瞬俯き、照れくさそうな表情で顔をあげた。
そして慈しむように。
大切なものを壊さないように、優しく優しくその名を呼ぶ。
「リク」
そのまま倒れこむようにアシェイラを押し倒す。
見つめ返してくる彼女の瞳は、未だ不安に揺れていて。
だからもう一度。
今度は心を解すように、優しく唇を重ねてやった。
そしてそれは、やがて貪りあうような激しいものに変わる。
おずおずと遠慮がちに蠢くアシェイラの舌を味わい、一度唇を離す。
すると名残を惜しむかのように、二人の間を銀糸が繋いだ。
ここまできてわざわざ確認するほど、俺は初心ではない。
だが初めてであろうアシェイラを気遣い、視線を絡めて意志を確認する。
彼女は潤んだ瞳のまま、コクリと頷いた。
まるで、長い夜の始まりを告げるように。




