影は蠢き陰謀は渦巻く
*** ボルデド商工組合 ***
港町ダルパにあるボルデド商工組合ダルパ支部の一室。
黒皮張りの椅子に背を預け、温和な顔の男がうず高く積まれた帳簿に目を通している。
ダルパ支部の支部長、エゲンスである。
各地からあがってくる奴隷売買の決済証明書。
そのどれもが、ボルデド商工組合に莫大な利益をもたらしたことを証明していた。
「たまりませんな」
応接ソファに腰掛け、エゲンスの仕事ぶりを見ながら浅黒い肌の男が言う。
エゲンスは書類から視線を男に移すと、その言葉の先を言わせぬようにと咎めた。
「どこで誰が聞いているか分かりません。軽々な発言はお止めなさい」
再び書類に視線を戻すエゲンスを、男はつまならそうに見た。
この要塞のような建物で、いったい誰が盗み聞きなどしているというのか。
よしんば組合員の誰かが聞いていたとしても、何か問題があるようには思えない。
ボルデド商工組合が故意に戦争を引き延ばしていることなど、組合員には周知の事実なのだから。
しかし、それもそろそろ限界だろう。
実際のところ、今回はかなり危なかったと聞く。
このダルパの眼前まで、グジャ軍は攻め入ってきたのだから。
いち早く情報を掴み奴隷兵をかき集めなければ、ダルパは陥落していただろう。
そうなればグジャ軍は砂漠超えというリスクを冒さず、海路から容易に兵を集結させられるようになる。
それはロンゴ帝国にとって。
いや、戦争を長引かせたいボルデド商工組合にとって致命的なのだ。
エゲンスが眉間を押さえて一息いれつつ、漏らすように言葉を吐いた。
「今回の戦い。作戦立案はロレアス王子という話です」
現在グジャ国は病床に伏せる国王に代わり、ロレアス王子が実務を取り仕切っている。
無能と言われた王とは違い、実に有能だという話だ。
その王も先は長くはないだろうと噂され、近々正式に玉座を空け渡すらしい。
そうなれば彼の権力はますます強固なものになり、戦争の早期終結を目指して動くのだろう。
そしてグジャ国の国民も、それを願っているとのことである。
「大敗を喫したにも関わらず、国内で王子の評判は落ちていません。
そればかりか、奴隷を前に出して戦うロンゴ帝国を批難し、決戦ムードが高まっているとのこと」
浅黒い肌の男はここが本題なのだと理解し、ソファに埋もれていた腰を浅く座り直した。
「王になったロレアス王子は、きっと成し遂げるのでしょう。そして英雄として後世に名を残す」
「そうかもしれませんな」
エゲンスは男に視線を合わせない。
これはただの独り言。
なんの意志も、なんの裏もないのだと、そう態度で強調してから言葉を続けた。
「そう……。きっと、成し遂げる筈だったのでしょうね」
それを聞き届け、浅黒い男は立ち上がった。
黒蠍。
そう呼ばれる男には、それ以上の言葉は不要だったのだ。
ゆえに、次にエゲンスがソファを見た時、そこに男の姿はなくなっていた。
音もなく、空気も揺らさず黒蠍は消えていたのだ。
それに満足し窓から港を見れば、ちょうど大きな貨物船が到着したところであった。
あの船にも、ボルデド商工組合印の商品が多数積み込まれている筈である。
忙しいことは良いことだ。
そう思いながら、エゲンスは肩をコキリと鳴らしてから書類に目を戻した。
*** リーン四精教 ***
一人の歳若い司祭が、着慣れぬキャソックに身を包んで大理石の廊下を歩いていた。
瞳を輝かせ、頬がやや紅潮している。
早くあの方にこの報せを届けたい。
そうすれば、お褒めいただけるに違いないと心が逸っている。
だが決して走ったりはしない。
先だって司祭になることが出来た彼は『この身は常に泰然自若たらねばならない』と、自分に言い聞かせていたから。
それでも自然と早歩きのようになり、いつもよりも長く感じた廊下を渡りきった。
辿り着いた扉の前で一呼吸置くと、彼は背筋を伸ばしてから扉をノックする。
「ピスピナ枢機卿。入ってもよろしいでしょうか?」
間をおかず返ってきた「どうぞ」という声は、扉越しでくぐもっているにも関わらずはっきりと彼の耳に届いた。
まるで優しく鼓膜を愛撫されたような声音に、彼の背筋がゾクリと震える。
「……失礼します」
甘美な感覚から正気を取り戻し、一拍遅れて彼は扉を押し開く。
瞬間、ふわりと甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
部屋の中にいたのは女性。
リーン四精教では初となる、女性枢機卿のピスピナである。
緋色の聖職者服に身を包んだ彼女は、デスクの上で走らせていた羽ペンを休ませ彼を出迎えた。
「報告を」
ルビーのような真紅の瞳で射ぬかれ、彼の体が硬直してしまう。
それを緊張の為ととったのか、ピスピナは表情を和らげて先を促した。
しかしそうではない。
彼は単純に見蕩れていたのだ。
四精霊を表す四色のステンドグラスが、広くはない執務室を荘厳な空間に変容させている。
差し込む光はピスピナが後光を放っているようであり、神秘的な黒髪も相まって神々しさすら感じさせた。
完成された美がそこにあり、彼は思わず跪いて祈りを捧げたい気持ちになっていたのである。
時を忘れたかのような穏やかな空間の中で、しかしようやく彼は自分のなすべきことを思い出した。
「し、失礼致しました。報告します」
ただ静かに見守っていたピスピナが、その言葉にコクリと頷いた。
「ベフェリト砂漠にて、遺跡の入り口を発見したと信者から報告がありました。恐らくは土の精霊殿かと思われます」
言い終わり、彼は期待の眼差しでピスピナを見た。
世界を守護するという四精霊。
遥か昔から言い伝えられているのに、最近までその実在を誰も信じていなかった。
だが八年前。
ロンゴ本国の南で四精霊の一つ、水を司るウンディーネの精霊殿が発見された。
残念ながらウンディーネ自体を見つけることは叶わなかったが、四精霊の実在が俄かに真実味を帯び、リーン四精教は一気に大陸中へと広まることとなった。
その立役者こそ女性の身で初の枢機卿に上り詰めたピスピナであり、他の精霊殿の調査に一番心血を注いでいるのも彼女であった。
だから土の精霊殿を発見したという報告をすれば、褒めて頂けると彼は思っていたのだ。
あの美しく清らかな微笑みと、耳朶を擽る美しい声で。
しかしそうはならなかった。
ただ一言「ご苦労様でした」と事務的に伝えられる。
期待していた甘美な時間は訪れず、彼はガックリと肩を落とした。
「……失礼しました」
入室した時とは打って変わった覇気のない声で、彼は退室を告げた。
良く手入れされた扉は音もなく開き、彼は静かにその場を後にするのであった。
だがピスピナは決して喜ばなかったわけではない。
その証拠に、男がいなくなり一人になった執務室で、彼女の唇は大きく三日月を描いていた。
「これで三つ目……くひっ」
先ほどまでの清廉さとはかけ離れた笑いを漏らし、だが彼女の頭はすぐに懸念事項を思い出した。
『潰した結界の一つが急速に再生しつつある』
そんな報告が、昨日同胞からもたらされていたのだ。
ピスピナよりも階位は低いが、仕事に忠実で信頼できる男である。
彼女は考えた。
その原因を。
だが分からない。
分からないが、しかし計画は順調である。
ならば構わないかと、彼女はもう一度「くひっ」と不気味に嗤った。
*** グジャ王国 作戦会議室 ***
グジャ軍で各方面を担当している将軍が、一堂に会することが出来る第一作戦会議室。
本来ならば四大将軍を筆頭に、十七将軍全てが顔を揃えなければならない軍事会議なのだが、今は九人しかおらず一様にその表情は険しかった。
重苦しい空気の中、総大将であり、現在国務のほとんどを取り仕切っているロレアス王子が口火を切った。
「予想はしていたが、あの短期間にあれだけの奴隷兵を掻き集められるとは思っていなかったよ。この大敗は僕の落ち度だ。申し訳ない」
「王子のせいではありません! 奴等が……やはり奴等が!!」
奴等という発言で、全員が同じ集団の名前を思い描く。
ボルデド商工組合。
彼等の情報網であればグジャ軍の動きを早めに察知出来ただろうし、なにより大量の奴隷を供給出来るのは彼等しかいない。
とはいえ、それを問いただして潰すことも出来ない。
大陸中に根を張ったボルデド商工組合を潰せば、各地の商業に大混乱が起こることは間違いがないのだ。
都市部には農村から農作物が供給されなくなるし、軍にはまともな武具が揃わなくなる。
そればかりか移動するにも情報の伝達にも。
様々なところで彼等の影響力は無視出来ないものになっているのだ。
「それに、問いただしたところでしらばっくれるだけでしょうなぁ。『いつも通りに注文されたものを売っただけだ』と」
温和そうな隻眼の老将が、諦めとともに吐き出した。
その隣で、若い将が拳を握り締める。
「ですが、奴等が故意に妨害したことは間違いありません!」
そんなことは、この場にいる全員が分かっていた。
これが初めてではないのだ。
戦争が始まって以降ボルデド商工組合は、ミリタリーバランスがどちらか一方に傾きつつあると、その都度妨害や肩入れをしていた。
あえて戦争を長引かせるために。
苦虫を噛み潰す面々に、書記官から追い討ちをかけるように悪い知らせが伝えられる。
「スジャルカに侵入した魔人族と目される少年についての続報です。
リエーレ様の指揮のもと捜索が続いておりましたが、発見には至らず捜索を断念したとのことです」
その言葉に、ルカール・ビフィンズ将軍が思わず円卓を叩いた。
ガンッと大きな音に、周りの将軍達がルカールを目で咎める。
「いや、すまない。決して姫様に思うところがあるわけではないのだ。
ただ、あのガキは俺がこの手で……ッ!」
偉丈夫達の中にあってなお大柄なこの男こそ、ベフェリト砂漠でリクと対峙した将軍であり、ポポスでラキュアに尋問された男の兄である。
「分かっていますルカール将軍」
彼を落ち着かせるように、ロレアスは静かに微笑みかけた。
ポポスでの背後からの奇襲。そして砂漠での遭遇戦。
どちらも俄かに信じがたい内容であったが、他の兵士達からも同様の報告を受けている。
ルカール自身もやや感情的になりがちな質ではあるが、決して嘘をついたり事実を大げさに吹聴する人物ではないと、誰もが良く知っていた。
とはいえ、やはり信じきることは出来ない。
たった一人で軍に襲い掛かる狂気。
数多の魔物を使役し、本人も人とは思えない力で千の兵に匹敵する強さ。
悪夢染みている話だ。
「報告通りであれば、その人物は確かに脅威です。イスリア大将軍を狙っているという話もありますし、なにか手を打つ必要があります」
「その役目! 是非俺に!」
ロレアスの言葉に、即座にルカールが立候補した。
しかしロレアスは首を振る。
なぜだと失望を露にするルカールに、ロレアスは静かに続けた。
「今のところその人物がロンゴ帝国の者だと断定出来ません。いえ、むしろ単独で動いていると考えたほうが自然でしょう。
我々グジャ王国軍は、今後予想されるロンゴの逆襲に備えなければならないので、軍を動かす余裕はありません」
大敗後である。
好機とみて、ロンゴが大軍を差し向けてくる可能性は十分にある。
特にスジャルカは、ようやく奪取したロンゴへの足がかりとなる町だ。
今はここにいないイスリア大将軍と、リエーレ王女が軍を率いて防衛にあたっている。
安々と取り返されるわけにはいかないのである。
「そこで、元ではありますが、S級ランクの冒険者チームを討伐隊として差し向けたいと思っています。
一人を探すならば動きやすい少数が良いでしょうし、実力は折紙つきです。いかがでしょう?」
その声に異を唱えるものはいなかった。
ルカールも分かっていた。
嘘偽りなく報告はしたが、完璧に信じてもらうことは不可能だということも。
それでもS級ランクの冒険者を派遣してくれたことが、ロレアスから自分に対する最大限の配慮であることも。
しかしこれより後。
世界はリクの脅威を知ることとなる。




