イスリアの帰還
リクがロンゴ帝国に到着するまでの出来事。
・イスリアの帰還
ダルパより敗走し、スジャルカに逃げ帰ってきた銀髪のイスリアの話です。
・影は蠢き陰謀は渦巻く
ボルデド商工組合、リーン四精教、グジャ王国。
戦争の裏で動いている各勢力の話です。
※主人公は出てきません。
砂に足を取られ、月夜に銀髪を揺らせながらほうほうの体で歩く女性。
彼女の後ろには万を超える兵がいた筈だった。
だが今振り返って見れば、その数は千にも満たないかもしれない。
砂を噛む思い。
いや、実際に何度も砂を噛みながら、ようやくここまで辿りついたのだ。
しかしその瞳には、一切の油断も安堵もありはしない。
眼前にまで迫ったスジャルカの町。
そこがグジャ領になっている保証など、どこにもないのだから。
「将軍」
部下からの声に、イスリアは分かっていると手をあげて応えた。
何者かが、スジャルカの町からこちらへ向かっているのだ。
味方であれば良し。
だが敵であったなら……。
無意識に、剣の柄に伸びた手が震える。
ここまで死ぬ覚悟は何度もしてきた。
それでも、ただ漫然と死んでも良いと思った瞬間などない。
どれだけ絶望的な状況であろうと決して諦めなかったからこそ、今ここにイスリアは立っていられるのだから。
彼女の緊張に震える指先は、だが次の瞬間には胸を撫で下ろしていた。
馬で駆けてきた兵が兜を脱いだのだ。
「良かった! イスリア無事だったのね!」
「無事だったのですね、ですよ。リエーレ様」
彼女を出迎えたのはリエーレ。
ダブランの町から兵を率い、後詰としてスジャルカを占領することに成功したグジャ国の王女であった。
イスリアからすれば、まだまだ幼く守るべき人物。
そして、最も安否を気遣っていた人物である。
二人は僅かに言葉を交わし、兵を引き連れてスジャルカの町へと入っていく。
それは、リクがスジャルカを脱出してから三日後のことであった。
互いに積もる話はあったが、まずは休養とイスリアは臨時庁舎へと案内される。
いつもであれば子犬のようにリエーレは着いて来るのだが、今日は案内を部下に任せて颯爽と駆けて行った。
先日賊がスジャルカに侵入し、その捜索指揮をリエーレが執っているのだと、案内がてらイスリアは聞かされる。
「いつの間にかご立派になられたのですね」
人知れず呟いた言葉には、少しの寂しさが混ぜ込まれていた。
庁舎の中。
一通りの治療を終え、身を清めたイスリアは割り当てられた部屋に居た。
窓からはあちらこちらに篝火が見え、夜中だというのに兵達が忙しなく動いている。
すでにこの町にいるグジャ軍は三万を超えるが、出陣した時は五万だった。
さらに後詰でリエーレが率いた隊が一万五千なので、こちらの損害は三万近くに上る計算だ。
知らず、イスリアはシーツをギュッと握り締めていた。
総大将ではないが、彼女とて一軍を率いる将だ。
敗戦の責の一端は、当然イスリアにもある。
「しかし……あんな戦いは……」
瞼を閉じれば、まだ開戦時の光景が焼きついている。
ロンゴ帝国の正規兵に後ろから小突かれ、怯え竦みながらも前に出てくる奴隷兵達。
まともな装備も持たされず、まともな戦闘訓練もされていないのが見て取れた。
そればかりではない。
中には年端もいかぬ少年少女の姿まであったのだ。
「あんなものは戦ではないッ!」
誰に言うでもなく吼える。
それは怒りであり、それは悔恨である。
なぜならグジャ軍は、イスリアは、それらを殺したのだ。
国の為。
勝利の為と、心を殺して奴隷兵達を殺しまくったのだ。
にも関わらず、彼女達は間に合わなかった。
奴隷兵を前に躊躇した時間が。
呻き倒れる少年少女に、トドメを刺すことを躊躇った時間が。
少しずつ蓄積された致命的な時間が、ロンゴの本隊を間に合わせてしまったのだ。
その結果の大敗。
この戦で、いったいどれだけの命が失われたのか。
グジャ軍三万。奴隷兵はどのくらいだったか。
それだけの命の果てに、なんの結果も残せていないのだ。
ただただ、手が血に染まっただけである。
イスリアは、自分の手を見て自嘲した。
いや、もとよりこの手は汚れているではないかと。
十五年前。
国の命を受け、世界を救う為と、してはならないことをしたのだ。
あの暴君を封じる為に。
窓の外。
丁度リエーレが馬で駆けて行く姿が目に入った。
イスリアがリエーレから目を離したのは、ほんのここ一ヶ月にも満たない時間。
だが、その間に彼女は著しく成長を遂げていた。
人として、王女として、戦士として、将として。
彼女を成長させたのが自分ではないのは少し悔しいが、しかしその成長は当然嬉しいものだ。
もっとも、だからといってイスリアがリエーレの側を離れることはない。
生涯を賭けて彼女を守り抜く。
それがイスリアの責任なのだから。
リエーレは部下になにやら指示を飛ばし、自分もまた町の中へと消えていく。
賊とやらを捜索しているのだろう。
庁舎内にいた兵士に聞いたところ、彼は賊の正体についてこのように報告した。
『どうやら魔人族のようです。魔物を手足のように使い、子供のなりで信じられないような力を持っていたと報告が』
しかもその子供は、なぜか自分を探していたらしいとも聞かされる。
となれば、それはポポスの町で自分の隊を背後から襲った人物と同一なのではないか?
イスリアは、得体の知れない不気味な影に追われている感覚に襲われた。
子供。
魔物を使う。
信じられないような力。
この三つのキーワードは、イスリアにある人物を連想させる。
以前、闘技会の決勝でリエーレに負けたリクという名の少年だ。
彼は少年とも魔物使いとも思えないような力で勝ち進んでいたらしい。
らしいというのは、その話が全てリエーレに聞いたものだからだ。
それを語る時のリエーレの瞳は、キラキラとまるで恋する乙女のようだったとイスリアは思う。
ありえるのだろうか?
分からない。
分からないが、しかしその少年が賊とは無関係であることを彼女は願う。
実際、可能性は低いだろう。
話によれば、リクという少年が使役していた魔物はスライム一匹。
対して魔人族の少年が使役していたのは、もっと強力な魔物達だったらしいのだから。
「ふぅ……」
イスリアは一つ息を吐き出し、ベッドの下からブランデーを取り出す。
傷に障るからと取り上げられたものを、先程こっそり取り返しておいたのだ。
直接口をつけ、クイッと傾ける。
琥珀色の液体は、甘く舌の上で転がったあと燃えるように喉を焼いた。
そして間もなく、イスリアは深い眠りに落ちていくのだった。




