19話 ダブランの町 ~湯煙の向こう~
ポポスの町より遥か南東。
馬をとばして10日ほどかかる距離に、ダブランという町がある。
すぐ西には大陸随一の規模を誇る火山帯があり、とりわけ常に噴火しているソボ火山が有名だ。
その麓にあるダブランは火山の恩恵を受けており、温泉街として人々の心と体を癒してくれる。
「いないじゃないか」
銀髪を追ってすぐにポポスを出発したのだ。
行軍速度を考えればすでに追いついていてもおかしくはないのだが、ダブランに到着した今でもその姿を捕らえることは出来ていない。
硫黄の匂いが充満した町中で、なぜか浴衣に着替えているラキュアを目で咎める。
「騙されたのかしらねぇ」
ツタに覆われて正気を失っていたあの男だが、完全に忠義を失くしてはいなかったのか。
銀髪を庇い、嘘をついたのかもしれないとラキュアは言う。
「ラキュアの尋問術もたいしたことないニャ」
恐れ知らずの馬鹿猫が、こちらもなぜか浴衣姿でラキュアを挑発する。
前世のハーレムでも、女達の間では誰が一番寵愛を受けているかで争いがしばしば起こっていた。
最近ではご奉仕役として板についてきたヴェルティ。
ひょっとしたら、自分のほうがラキュアより立場が上だと認識しているのかもしれない。
「だいたいちょっと自惚れてるんじゃないかニャ? 戦いでもアタシの方が活躍してるし、狩りもアタシがしてるニャ。アタシがラキュアに劣ってるところなんておっぱいくらいのもんニャ」
からかうようにラキュアを見つめながら、得意げに語るヴェルティ。
これは群れの中で自分が上だと示す、猫の序列行動に酷似していた。
だがヴェルティは気付いていないのだろう。
ニコニコと聞いているラキュアの裾から、ニョキニョキとツタが生え始めていることを。
巻き込まれたらたまったもんじゃない。
俺はスー子を頭に乗せ、足早にその場を去ることにした。
「ニャーッ!! 調子乗ってましたニャッ!! ごめんなさいニャーッ!!」
直後、後方からヴェルティの絶叫が木霊した。
――そっとしてこう。
スー子と二人になり、大きめの温泉宿から順に回っていくことにした。
「銀髪で目つきの悪い女を見なかったか?」
そうして目撃情報を集めるのだ。
しかし、あの女は意外と顔が広いようである。
いや当然か。
この町はグジャの王城にほど近いのだから。
「イスリア将軍の事じゃないだろうね? あの方を悪く言うってんなら承知しないよ」
しかも人望があるようだ。
いくつかの宿を回ったが、誰に聞いても銀髪のことを知っているし、誰に聞いても賞賛と尊敬の言葉でその名を呼ばれている。
グジャ国を滅ぼしたら、この町の人間をイスリア教から俺教に改宗させる必要があるなと、そんなこと考えながら湯畑沿いの坂を上る。
軍隊単位で泊まれるような宿はあらかた回りつくした。
もうこの町に銀髪が立ち寄らなかったことは確実だろう。
「イスリア様? 最近はいらっしゃってないわね。軍の人たちなら二週間前くらいに通ったけれど」
町外れ。
もっとも標高の高い宿を最後に、俺は捜索を打ち切ることにした。
グジャ軍が二週間前に通ったという話しはたびたび聞かれた。
ツタの男が言っていた話は、一部真実だったのだろう。
ポポスに敵を引き付けつつ、南からロンゴへ侵攻したようである。
だが肝心の銀髪情報はまったく出てこなかった。
思わぬ空振りに苛立ちはあるが、こうなっては仕方ない。
せめて湯にでも浸かっていくかと、ついでにここを今夜の宿とすることにした。
坂の下からただでさえ目立つ二人が、視線を集めながらようやく追いついてきた。
ボロボロになり浴衣を着崩し、色々見えてしまっているヴェルティよりも、襟を正しているラキュアのほうが多く視線を集めているのはやはり胸の差か。
こんなのんびりした温泉街にまで、格差社会の波は押し寄せているようである。
「遅いぞ」
押しも寄せも出来ない胸のヴェルティを咎めてやると、一瞬ラキュアを指差し、だがプルプルと震える指はそのまま引っ込んだ。
「……ごめんなさいニャ」
調教は完了したようである。
パーティー内のヒエラルキー最下位が自分だと気付き、意気消沈したヴェルティは耳も尻尾もうな垂れていた。
今夜は少しだけ優しく可愛がってやるかと決め、俺たちは宿へと入っていくのだった。
よもや誰もいないとは……。
情緒豊かな露天風呂に浸かり、湯中りするまで待っていたのだが、温泉は終始貸切状態であった。
本来ならば喜ぶべきなのかもしれんが、そういうことではない。
なんのためにこの宿を選んだ?
格式か? 値段か? 人混みを避けてか?
違うだろッ!
ここだけ混浴だったからだろッ!
なのに一人っきりとはどういう了見だッ!
美女とご一緒出来たらスムーズに事が運ぶようにと、モン娘達はペンダントの中に収納し部屋に置いてきた。
だがこんなことならせめてアイツらと入れば良かった。
休憩所で、火照った頭を扇ぎながら俺は後悔していた。
「詐欺だろう……。宿代ってクーリングオフ効くのか?」
「無理に決まってるでしょ」
俯きながらの考えは口に出ていたようだ。
そしてそれは、上から降り注いだ美声に、柔らかな微笑とともに否定された。
バッと顔をあげる。
思わぬ再会に、運命的なものを感じざるを得ない。
というか運命だ。
間違いない。
「イスリア!」
もちろん可憐で美しくて若い方のイスリアだ。
闘技会場の時とは違い浴衣一枚の姿は華奢で、しかし出るところは出てきているのが分かる。
美しい金髪は湯上りで艶かしく、魅力十割増しである。
……湯上り?
「いつ風呂に入った? 浴場にはいなかっただろ?」
「部屋ごとに一人用の露天風呂があるけれど……知らなかった?」
「貴様は馬鹿かッ!?」
いや、この宿は馬鹿かッ!?
なんのための大浴場! なんのための混浴だ!
そんなものを用意したら、奥ゆかしい美女が来るわけないだろ!
この世の不条理と宿の愚かしさに頭を抱えていると、一転して不安げなイスリアが語りだした。
「久しぶりねリク……あの、怒ってない?」
「怒っているぞ! この宿は俺の純情を弄んだのだ!」
「え……と、それがなんのことかは分からないけど、そうじゃなくって……」
なんのことかと、思い当たらない俺はイスリアに視線を合わせた。
その瞳は不安で揺れ、指は忙しなく長い髪の先をくるくると弄ぶ。
湯上りの色っぽさと歳相応の可愛らしい仕草が合わさり、マイサンが『出番が近いか?』と元気になりかける。
まぁ待て。
まだ時ではない。
今臨戦態勢になられても浴衣越しではすぐに咎められ、逃げられる可能性がある。
この好機。逃すわけにはいかんのだ。
なんとかマイサンに落ち着いていただこうと、頭の中から煩悩を追い払う。
――無になった。
俺の頭には煩悩しかなかったようである。
「決勝戦のこと……」
しばらく続いた沈黙を破り、ようやくイスリアが口を開いた。
「私、リクの気持ちを踏みにじってしまって……」
思い出した!
俺はあの時『ごめんなさい』されたのだった!
いかん。
あれは訂正させねばならんぞ!
「今でも同じ気持ちなのか?」
まずは確認だ。
本当に脈がないのかと。
だがイスリアは、力強く頭を振った。
水気を含んだ金髪も、一緒に左右へと揺れる。
「違うわ! 私が間違っていたの! だから、そのことをずっとリクに謝りたくて!」
おぉ!?
どういう心境の変化か、イスリアは俺とのハッピーファミリー計画を思いなおしてくれたようだ。
『あの時はごめんなさい』と、頭を下げかけるイスリアを手で制する。
謝る必要などない。
今が良ければそれでええじゃないかが俺の信条だ。
「急に逃げられたから、俺のほうこそイスリアに嫌われたのかと思ってたぞ」
「そんなわけないわ!」
俺の吐露を、イスリアは俺の手を握り締めて否定する。
「だって私は、リクと……」
これはいける。間違いない。
無理やり手篭めにとも考えていたが、この調子ならば合意の上での不純異性交遊が可能だ。
父よ。母よ。
息子は今日大人の階段をかけあがります。
ちなみに、この体はまだ童たる貞淑を守っている。
童たる帝王と言い換えても良い。
スー子との合体はさすがにノーカンだろうし、ヴェルティのご奉仕はもっぱら口だけだ。
口だけで終わってしまっているとも言うが、なぜかという詮索はなしにしよう。
精神衛生上そうしたほうが良い。
とにもかくにも、この身体はまだ女を知らぬ。
そして今夜。
その筆をおろすことになるだろう。
イスリアに握られた手を握り返して俺は立ち上がる。
「さぁ、行こうか」
どこへ? とイスリアの瞳が困惑している。
決まっているじゃないか。
天国さ!




