トレンチ25 危機一髪
「ちっ……。どうやら尾行されていたようだな」
レイピアの柄に手をかけたユエは忸怩たる表情を浮かべた。
「けど、いつから追われていたんですかね」
「さあな。しかし、この私が尾行に気付けなかったとは何たる不覚。――それとも、こやつらの稽古が進んでいるという証拠、かな」
ユエの視線に添わせるように、良平は視線を動かした。その視線の先には、思い思いの武器を引き抜き構えている騎士の一団がある。ところどころ服が見えている。フルメタルアーマーではないのだが、申し合わせたように皆が兜をかぶっている。これは防御のためというよりは顔を隠すための物だろう。
ユエはゆっくりとレイピアを引き抜いた。暗がりに、銀色の刀身があらわになる。その輝きは銀髪とも相まって暗い中でも一層の存在感を放つ。
すう、と息を吸ったユエは、意志の強そうな目を騎士たちに向け、鍔に口づけをして構えた。
「宣告する」
それはまるで、呪文の詠唱のようだった。
「退くならばよし。しかし、もし斬りかかるならば、この剣が貴様らを斬り捨てる」
が、そのユエの宣告に敵は従ってくれそうになかった。その中の一人、フレイルを得物とする大男がこちらに迫ってくる。ぶんぶんとフレイルを振り回しユエの脳天めがけて振り下ろす。フレイルは鎖分銅がついた棒のような武器だ。受け止めるのが難しく、よけるのが定石だとファンタジー系の雑学本に書いてあったのをふと思い出す。
けれど、ユエはよけない。それどころか、きゃしゃな刀身でその一撃を受け止めようとした。
「ゆ、ユエさん!」
それはまずい、と言おうとした、その時だった。
突如として目の前がぱあっと明るくなった。しかも並みの明るさではない。ストロボを目の前で三個同時に炸裂させたようなそんな明るさだ。松明がなければはっきりと物が見えないくらいの暗がりのせいか、その光はあまりにも強烈だった。
何が起こった?
首をかしげながらも、その光の中心点であるユエに向く。
「私の宣告を破ったな」
ユエは莞爾たりと笑っている。片手でレイピアを構え、悠然と。しかし、穏やかではないのは相手の騎士だ。手に持っていたはずのフレイルの分銅がなくなっている。鎖部分も半分くらい消えてなくなっており、わずかに残る切れ端はひしゃげたようになっていた。
「こちらの番だ」
ユエが剣を構えて駆け出した。そしてすれ違い様にレイピアの一閃を放つ。
けれどレイピアだ。あんなきゃしゃな剣で何ができるのか……。
しかし、そんな良平の想像は外れた。二メートルはあろうかという騎士が、レイピアの一撃によって吹っ飛ばされ、壁に激突してから前のめりに倒れた。
こ、これは……。これがユエさんの強さ……?
「伊達にレベル93ではないさ」
くすりと笑うユエ。そうだった、この人、レベルがカンストギリギリなのだった。そんなユエは、良平から視線を外して敵騎士に向き、不敵に口角を上げた。
「宣告するぞ」
ユエは一歩一歩前へと出る。
「退くならばそれはそれでよし。されど、もしも挑みかかるのならば、斬る」
地面に崩れ落ちている仲間とユエとを見比べる敵騎士たち。しかし、ふるふると肩を震わせながらも、二人が一斉にユエにかかってくる。
「遅い」
ユエは舞った。銀色のレイピアをひっさげ、くるくると。二人の騎士の一撃をそれぞれ難なく躱し、やがて二人から離れた。すると、敵騎士二人はぶるっと体を震わせて、どしゃあと地面に崩れ落ちた。
「さて」
ユエは奥に控える騎士たちに向いた。
「最後の宣告だ。退くならばそれでよし。もし退かぬなら、全員斬る」
と、奥にいた騎士が、手をひらひら降った。すると、仲間の騎士たちはユエから離れ、出口に向かって走って行ってしまった。
と、その頭目と思しき騎士が声を上げた。
「見事。さすがはユエ殿。一筋縄ではいかぬ」
「私の名を知っている、か……。ということは、貴殿らの正体、まさか他国の人間と申し開きはできますまいな」
「左様」
とだけ言い残した頭目騎士は、残っていた騎士たちとともに負傷した仲間を抱えて出口へと走っていった。そうして騎士が居なくなったのを確認すると、ユエは剣を鞘に納めてため息をついた。
「あのうユエさん、ユエさんってめちゃくちゃ強いんですね」
「言ったろう、レベル93だ」
「でも、少し解せないんです。レベル93だから腕力が強くて体術が優れているというのはわかります。けれど、フレイルが消滅したあれだけは納得がいかないんですよ。あれはまるで魔法のようでした。でも、確かユエさんは魔法が使えないんじゃあ」
すると、一瞬だけ不機嫌そうな顔を浮かべたユエが、諦めたようにかぶりを振った。
「君と理屈を争わせていても、分が悪いのは目に見えている。――いいだろう、特別に教えてあげよう。私の秘密だ」
薄く笑ったユエは右のガントレットを外した。女戦士には似合わぬ細い腕が露わになる。しかし、良平の目に留まったのは、腕の細さでも白さでもなく、その腕に刻まれた梵字のような文字列の入れ墨だった。
「なんです、これは……」
「これは、“宣告の呪法”の呪文だ。いちいち詠唱しなくてもよいよう、こうして体に刻んである」
「せ、宣告の呪法っていうのは……」
「そう難しいものではないさ。相手に二者択一を迫る宣告を与える。その宣告に従わない者には、体内の魔力を引き出した攻撃が可能になる。そういう条件下で発動する魔法だ」
「魔法、使えたんですね」
「馬鹿を言え、こんなものが魔法であるはずがない」ユエはガントレットをはめ直した。「魔法というにはあまりにも融通が利かないんだ。それに、この魔法は宣告が重要な意味を持つ。相手に宣告が届かぬ限り、この魔法は無効となる。すなわち、私が発した宣告に対し、相手が何らかのアクションを取らねばこの魔法は発現しない。タイマン向き、あるいは少人数での戦いに効果ある魔法だ。戦のこの時代には向かないんだ」
確かにそうだ。
戦場ではこの魔法は使えないだろう。いちいち戦場で、敵に対して宣告する暇などあるまい。
ユエは少し目を伏せて、字の刻まれた右腕をガントレットの上から撫でた。
「これは、父の遺してくれたものだ」
「お父上の?」
「ああ。今にして思えば、魔法を使う才能のない娘にせめても力を持たせようという親心だったのだろう。だが――。……まあいい、言っても詮無きことだ」
首を振ったユエは、ことさらにあかるい顔をした。けれど、それゆえに痛々しい。
「さあ、行こうか」
「ええ」
歩き出したユエ。それに連なりながら、良平はユエの背中を眺めていた。
ユエの父、ショウゲン。どうやらこの人は権力闘争に巻き込まれて死んだらしいということは聞いている。おそらく、自分の死後、なんとか娘にだけは生き残ってほしいとあんな剣呑で使い勝手の悪い魔法を娘に残したのだろう。いや、そもそも娘が戦の最前列に立つ可能性など全く考えていなかったのかもしれない。いずれにしても、あのような形でしか娘に何も残せなかった父親の姿に、良平はこの世界での生きづらさを感じざるを得なかった。
そうこうと頭の中でいろんな思いをぶつけあっているうち、出口が見えてきた。
「さあ、出口だ」
そうして出口をくぐったその時だった。
良平は思わず目を見張った。横のユエは、ちっ、と舌打ちをした。
外はもう真っ暗だった。昼間見たときには、この“王家の山”にはまるで人工物や建物が存在しなかった。もし日が暮れていれば星ばかりが瞬く真っ暗な世界のはずだった。しかし今は違う。満天の星の下、まるでその星々を鏡写しにしたかのように、赤赤と光る光点が無数に配置されている。あれは――篝火だ。
「鶴翼の陣、数は百余り……、か。たった二人を捕まえるには、いささか大仰な陣だな」
「さっきの連中の仲間でしょうか」
「だろうな」
そっけなくユエは言い放ち、レイピアの柄に手をかけた。
と、その篝火の向こうから、男の通りの良い声が響いてきた。
「ショク王国募兵旅団兵長ユエ、投降せよ。貴殿の身には勅令による身柄拘束命令が出ておる」
勅令!? ということは、あの王様から命令が? どういうことだ?
良平のそんな疑問は、ユエによって一蹴される。
「この国の勅令など信じられるか。どうせ私を捕らえたのち、勅令が追認の形で出されるに決まっている。つまりここは――。強行突破だな」
ユエはレイピアを引き抜いて、とてつもない大声で怒鳴った。
「宣告する! もし退かばそれでよし、もし退かぬなら、我がレイピアによってハチの巣となるぞ! 選ぶがいい!」
一瞬、場に静けさが戻る。しかし、やがて敵軍の光点が地響きとともにこちらにゆっくりと近づき始めた。
「馬がいるようだな。これは好都合」
「どどど、どうしたら」
「私の背中から離れるなよ」
「ははは、はい!」
姉御、どこまでもついていきます! 十歳年下のユエの背中が大きく見える。
やがて、眼前に馬を駆ってやってくる騎士たちの姿が見えてきた。手にはランス、重装のアーマーを身にまとっている。大仰なことだ、と笑うユエだったが、騎士たちがある一点まで踏み込んできたその時、表情を硬くして、虎のように唸った。
そして――。そこからは何が起こったのかわからない。一瞬で敵騎士との間合いを詰めたユエが、横薙ぎ一閃で突出していた騎士たちを馬から撃ち落としていた。しばらく惰性で走っていた馬も、上に誰も載っていないことに気付くや足を止め、下草を食み始めた。
ユエは叫ぶ。
「おい、馬に乗れ! 逃げるぞ!」
「いえ、馬に乗れないんです!」
「ええい、これだから学者は嫌なんだ!」
するとユエはその辺で草を食んでいた馬にひょいと飛び乗り、その馬をまるで我が足のように駆って良平の元へと走ってきた。そして、左手を差し出してきた。
「ほら、乗れ!」
「は、はい!」
ユエによって馬の背中にまたがった良平。そういえば、子供の頃、動物園にポニーにまたがって以来のことだ、などと牧歌的な思い出に浸っていると――。
「おい、足をしっかり馬の胴に絡めろ。でないと、吹き飛ばされるぞ」
「え、あ、え?」
ユエは馬を走らせた。
「う、うわああああああ!」
まさかこんなに揺れるものだとは。良平は舌を噛みそうになりながらもしっかり足で馬の胴をホールドして、馬の上下運動に耐えていた。
「心して逃げるぞ」
そうして二人は、脱出を試みた。
最近リアル仕事が忙しく滞りがちで申し訳ない!




