第86話 浮いた風船を突く爺
魔門の存在が公にされてから、一か月半。
ポートリースの西門周辺は、以前とはすっかり様子が変わっていた。
元々あった倉庫や厩舎の外には新しい厩舎や資材置き場が並び、空いていた倉庫にも荷が積み込まれている。
街道脇には簡素な建物や天幕が増え、冒険者を受け付けるギルドの臨時窓口、攻略の合間に寝泊まりする場所まで用意されていた。
荷馬車が何台も順番を待ち、積み上げられた木箱や麻袋が行き先ごとに分けられていく。
食料や旅用品を扱う露店も増え、冒険者、御者、商人、荷運び人が絶えず行き交っていた。
西環街道にも、以前より明らかに馬車が増えている。
魔門へ向かう冒険者を乗せたもの。
食料や水、薬、予備の武具を運ぶもの。
反対からは空になった荷車や、負傷者を乗せた馬車が戻ってくる。
徒歩で二日程度、ラウゼ丘陵へ入る旧牧道との分かれ道まで来れば、そこにも一か月前にはなかった拠点ができていた。
〈ラウゼ分岐〉。
街道脇の空き地は広く踏み固められ、いくつもの天幕が並ぶ。
馬を繋ぐ横木のそばには水桶と飼葉桶。
雨除けの布を掛けた木箱や麻袋が積まれ、荷馬車が次々と荷を下ろしている。
大きな天幕の前では、冒険者たちが板に貼られた地図や書き付けを覗き込んでいた。
少し離れた天幕では負傷者が手当てを受け、その脇ではポートリースへ戻る馬車が待っている。
そこから先。
荷馬車一台が通れるほどの旧牧道を、装備を整えた冒険者たちがラウゼ丘陵へ向かっていく。
ポートリースから黄緑谷まで。
この一か月で、魔門へ人と物を送り込み、戻ってくる者を受け止めるための道筋が出来上がっていた。
俺たち地元の冒険者たちは地元の需要を捌きつつ、それら施設の警備や輸送護衛などの依頼をこなしていた。
その傍ら、「ボスを倒した」だの、「第何層を突破した」だのを耳にする日々。
ある朝。
クラン会館の掲示板に、〈音旗隊〉を呼び出す通知が貼り出されていた。
「また名指し……」
たまに、ギルドからクランに依頼が振られることがある。
『この依頼に出せるパーティはいないか』的なやつ。
またそれだろう。
中に入り、ベルトムを呼んでもらう。
「おお。ユーヤ、来たのぅ」
「おはよう、ベルトム。
今日はなんだい?」
「ふむ……」
歯切れが悪い。
「エミルや他のもんから、〈音旗隊〉の戦いぶりは聞いておる。
実績も知っておる」
「うん?」
そして彼は口髭を撫でつける。
「じゃが、わしはお主の演奏がどうなったか、聴いてみたいのぅ」
そういえば、「潜っておる」なんて評価をされてから、一度も聴いてもらってなかった。
良い機会だ。
バフが乗るようになったのもそうだけど……
何より、楽器を弾く楽しさを思い出した俺の演奏を、ただ聴いて欲しい。
「いいね。ここで弾くよ」
朝のホールには他の冒険者もいる。
卓を囲んで今日の予定を確認する声や、装備を鳴らしながら出入口を行き交う足音が重なり、開け放たれた扉からは朝の冷たい空気が絶えず流れ込んでいる。
そんな中、俺はアイテムボックスからリュートを取り出した。
軽く弦を鳴らす。
一音。
もう一音。
さて、何を弾こうか。
……まあ、いいや。
指の向くまま、弦を爪弾く。
軽い旋律を乗せて、同じフレーズをもう一度。
今度は少し崩す。
低音を一つ足して——あ、いいな。
もう一回。
さっきより細かく刻んで、最後だけ伸ばす。
自然と足が拍子を取った。
楽しい。
次はどうしよう。
少し高くするか。
いや、ここは一度落として——
思いついた音を、そのまま指が追いかけていく。
気付けば、さっきまで聞こえていた話し声が減っていた。
卓を囲んでいた冒険者が、指先で机を叩いている。
出入口へ向かっていた一人が足を止め、身体を揺らしながらこっちを見ていた。
……お。
なんか、いいな。
もう少し乗せてみるか。
刻む音を強くする。
すると、机を叩く音も大きくなった。
別の卓からも手拍子が加わる。
いいね。
その手拍子に、トン、と低い音が混じった。
「ん?」
顔を上げると、ベルトムが小さな太鼓を抱えていた。
トン、タッ。
トン、タッ。
俺の刻む拍子に、ぴたりと重なる。
「お……」
じゃあ、これは?
少しだけリズムを崩す。
ベルトムの太鼓も、当然みたいについてきた。
「ははっ」
いいな。
弦を強く掻き鳴らす。
太鼓が応える。
手拍子が増えた。
誰かが足を踏み鳴らす。
朝のホールに、いつの間にか一つの拍子が出来上がっていた。
もう一度、最初の旋律へ戻る。
今度は少し速く。
トン、タッ、トン。
ぴったりだ。
だったら、もう一回——
トン、トン、タンッ!
「あっ」
いかにも終わりそうな三打。
つられて俺も、ジャランッ、と弦を鳴らした。
一瞬の静寂。
直後、ホールから拍手と歓声が上がった。
「……勝手に終わらせたな?」
「放っておいたら、お前さん、いつまででも弾いておりそうじゃからのぅ」
あ。
そうだった。
俺、ベルトムに聴いてもらうために弾き始めたんだった。
足を止めていた冒険者が荷を担ぐ。
「よっしゃ行くかぁ!」
卓からも声が飛ぶ。
「よっ。泰然の詩人!」
「ユーヤも良かったぞ!」
「あはは…どーもどーも」
いつの間にか端に避けてた、〈音旗隊〉のメンバー。
ベルトムが手招きする。
「良い弾き手で、お前さんらも楽しかろう」
みんなが微笑みで答える。
ちょ、ちょっと照れるっすね。
そして彼は、まったく調子を変えずに、言い放った。
「魔門の攻略は最深部に到達した。
あとはボスのみじゃ。
お前さんら、討伐を手伝ってきてくれ」
……え?
……は?!
「はぁぁぁぁぁ?!」




