第63話 初めての“楽”器
扉の先には、それまでの部屋とは比べものにならないほど、広い大広間が広がっていた。
高い天井から巨大なシャンデリアが吊られ、壁には深紅の垂れ幕。
左右には太い柱が並び、その奥まで赤い絨毯がまっすぐ伸びている。
そして、その突き当たり。
数段高くなった壇上に、ひときわ大きな椅子が据えられていた。
館の主人を迎えるためというより——
最初から、そこに座る何かのために造られたような部屋だった。
レックスがどっしりと構えた背中を見せている。
「や、やっぱり……帰りませんか?」
「いいの?
振り向いたら、背中から刺されちゃうかもしれないわよ?」
「ひっ……!」
ミルがとんっ、と自らの胸を叩く。
「その時は、ミルがすぐに治してあげますからっ★」
「もうっ、こんな時まで。
ボス戦よ、集中」
天井に浮かんだ魔法陣が、紫色の光を放つ。
その中心から、まず黒い爪の伸びた足先が現れた。
続いて、長い脚。
紫黒い肌をした豊満な身体が、ゆっくりと空中から抜け出してくる。
腰からは先端の尖った長い尻尾。
背中には、広げれば身体を覆えそうなほど大きな黒い翼。
最後に現れた顔には、額から左右へ大きく湾曲する角が伸び、赤く光る目が俺たちを見下ろしていた。
普通のサキュバスより、一回りは大きい。
そいつは翼を一度だけ大きく広げると、そのまま壇上へ降り——
長い脚を組んで、椅子へゆったりと腰を下ろした。
『まったく。女ばかりじゃないの。
召使たちは何をやってるのかしら』
何重にも重なって不明瞭なのに、妙な艶っぽさを持った声が広く響く。
『いえ、違うわね。
……私の虜を取り戻しに来た冒険者か!』
クイーンは立ち上がると、甲高い雄たけびをあげた。
館の外にまで届きそうな爆音だ。
俺たちは反射的に耳を塞ぐ。
こんなの、動けないぞ?!
だが、続くことはなく、クイーンは低く構え、敵意をむき出しにした。
「来るわよ!」
リナの号令が飛ぶ。
この戦闘は、もしかしたら、これまでのように甘くはないかもしれない。
彼らのランクでさえギリギリの、エンドコンテンツだ!
戦闘はすぐに決着が着くことはなかった。
しかし、音旗隊が大きく崩れることも無かった。
ミルの能力が高いってことか。
「膝、ついた!
叩き込むよ!」
これは、DPSチェックか?
やがて、大きな羽をはためかせ、立ち上がるクイーン。
「うわあああああ!
サキュバスがたくさん出ましたぁ!」
なんて言いながら、レックスはクイーンをしっかり引き付けている。
ただ、増援のサキュバスはクイーンに回復魔法を飛ばしたようだ。
失敗……か?
でもまぁ、全回復するわけじゃないだろうし。
そんな感じで、甘く考えていた俺。
意識を変えたのは、みんなの表情に気が付いたからだ。
あんな切羽詰まった顔、初めて見た。
なんでだ?
そのうち勝てそうに見えるんだけど。
もしかして……“時間切れ”があるのか?!
それが、深刻なペナルティを課されるとしたら……
「おいおいおいおい……っ」
俺、呑気にリュート弾いてる場合じゃないかもしれない。
出来ることは、なんでもやらなきゃ!
でも、俺にいったい何が……。
なぜか脳裏に走ったのは、ベルトムの言葉だった。
『お前さんは……奏でる時も、潜っておるのぅ』
『出会いが浮かせてくれるかもしれん。
色んな楽器を弾いてみるのも、面白かろう』
……やってみるか。
結局、一度も試してないのはフルートだ。
元々、吹奏系は未経験っぽくて、手を付けなかった。
でも、この世界なら、吹ける、はずだ。
俺はアイテムボックスから、買ってあったフルートを取り出した。
致命的なダメージを受けないよう、居場所を変えながら……
唇を当て、息を吹き込む。
——澄んだ音が鳴った。
「…………」
もう一度。
今度は少し高い音。
指が勝手に動いた。
穴を押さえ、離し、息を流す。
短い旋律が、するりと繋がった。
「やっぱり、吹けちゃうんだよね……」
今度は長く息を流した。
すうっと伸びた音が、途中でわずかに揺れる。
「あ」
繊細。
同じ音を出しながら、今度は少しだけ強く吹く。
音が前へ出た。
弱めれば、柔らかくなる。
舌で息を切れば、音も小気味よく跳ねた。
へえ……。
ギターとも、鍵盤とも違う。
ドラムとも、もちろん違う。
指だけじゃない。
**息そのものが音になる。**
大きく吸って、吹く。
伸ばす。
切る。
少し溜めて——一気に駆け上がる。
思った通りに音がついてくる。
「おお……」
気付けば、さっきまで適当に吹いていた旋律を崩していた。
同じところを一音だけ高くする。
次は逆に落としてみる。
短く刻んで、最後だけ長く伸ばす。
なんか違う。
じゃあ、こっち。
……あ、これ好きだ。
自然と身体で拍子を取る。
次に出したい音が、頭の中に浮かぶ。
それを追いかけるように息を吹き込み、指を走らせる。
気持ちいい。
知らない楽器なのに。
いや。
**知らない楽器だからこそ、面白い。**
いつの間にか、俺は笑っていた。
もう、強化がどうとか。
ボス戦がどうとか。
そんなことは考えていなかった。
ただ次の音を出したくて、息を吸う。
フルートが高く歌う。
それに合わせて身体が揺れる。
もう一度。
もっと軽く。
もっと速く——。
「……あれ?」
誰かが声を上げた。
けれど、俺はそのまま吹き続ける。
今、いいところなんだ。
ようやく曲が俺の手を離れて、勝手に走り始めたような——
「ユーヤ!」
リナの声に、ハッとする。
フルートが淡く光って、柔らかく、みんなと繋がっていた。
もしかして、これは——
真剣なリナの表情。
その唇に、力強い微笑みが宿る。
そう、なのか?!
「——来たっ。畳み掛けるよ!」
決定的だった。
カイラが今までに見せたことのない、とんでもないスピードでダガーを振るった。
ハンドスピードが残像を生み、腕の本数が増えたかのよう。
トドメの上位魔法がリナから放たれ、クイーンは叫びと共に散っていった。
何が違ったかなんて、一目瞭然だ。
楽しかった。
……俺は忘れていたんだ。
楽器を弾くことの楽しさを。
なまじ、元から弦楽器を弾けたもんだから、リュートが弾けたことにあまり感動が無かった。
そのせい、というのも変な話だけど、演奏をジョブの役目のつもりで、手慣れでこなしてしまった。
きっと、他の人は、なぜか弾けるだけで感動し、演奏の楽しさを実感しているんだろう。
……ベルトム。
確かに俺、潜ってたよ。
また、音楽に浮かれる自分に戻れそうだ。




