本編1
サーシャル王国が筆頭公爵家であるシュヴァリエ公爵家の末姫として生を受けたジャンヌは、幼い頃から「一番」が好きな少女であった。
礼儀作法はもちろん、刺繍、ダンス、算術、国史、言語、剣術、馬術、果ては領地経営に至るまで、なんでも一番が好きで、一番になるための努力を厭わない少女であった。
彼女を教えにきた女家庭教師達は、口々にジャンヌのことを神童と称えた。
しかも生まれは国一番の大貴族である公爵家。家柄も申し分ない。そんな彼女が、当時第一王子であった現王太子の婚約者にと望まれたのは、齢十歳にも満たない頃であったが、その頃からジャンヌはずっと違和感を感じていた。
(この方が、わたくしの未来の旦那様……?)
そう考えるだけで、胸の中に鉛を流し込まれるように気分が沈んだ。
やがて第一王子はシュヴァリエ公爵家の後ろ盾を得て立太子し、王太子となった。つまりジャンヌは、次期国王の婚約者になったのだ。
王太子妃となり、いずれ王妃となれば、それはこの国で一番の女性になると言うこと。しかし一番が大好きなはずの少女は、なぜだかそれに少しも魅力を感じなかった。ジャンヌが努力を重ねて一番を取っても、婚約者である王太子殿に疎まれる日々。
彼は天賦の才があるわけでもなく、大して努力もしていない。いたって普通の能力しか持ち得ていないと言っていいだろう。別にそのこと自体に不満があるわけではない。なにに重きを置くかなど、個々人の自由だ。ジャンヌが「一番」を尊ぶように、彼もなにか誇りを持っていれば、ジャンヌは彼女の中で折り合いをつけられたのだろう。
しかし、彼の王太子にはそれすらない。そのくせ、地位に胡坐をかくような、粗暴で横柄な言動が目立って来た。
六年制のサーシャル王立学園に十二歳で入学してから早一年。婚約者であるジャンヌが王太子殿の後始末に奔走する日々が増えたとしても成績を落とさないものだから、余計気に入らないのかもしれない。
しかも件の王太子殿は、二年の途中で編入してきた天真爛漫で、ちょっとおバカな可愛らしい少女が気になっているらしい。
彼と婚約して四年以上経った十四歳の夏、ジャンヌは「なるほど」と一つ頷いた。ずっと感じていた違和感の正体に、自分なりに名前を付けた瞬間だった。
「そうか。わたくしは王太子殿が好きではないのね」
一番が好き。だから一番になれるように頑張る。言ってしまえばそれは、何かを学ぶのが好きと言っているのも同義。王太子妃の勉強も楽しい。でも、王太子自身を支え、いずれこの国の国母となることに対して、ずっと付き纏っていた違和感。鉛を飲んだようなモヤモヤの正体。
口にしてしまえば、なんともあっさりした物だった。
この違和感に蓋をして、良き妻を演じることは容易い。しょせん王家と公爵家との政略結婚。そこに惚れた腫れたの感情はもともと存在せず、仮にあったとしても邪魔でしかないのだろう。
多少の情があれば、自分は王妃の仮面を被って、彼を支えていける。そう思って少しでも王太子の「良い所」を探そうとしたけれど、ジャンヌの中にその答えが一つも無かったことに、少なからず絶望した。
そして十五歳の秋。ようやく絶望にも折り合いをつけ始めた頃、その現場にうっかり遭遇してしまったジャンヌは、彼女らしくもなく思わず頭を抱えそうになった。
王太子と、例の編入生の少女が、学園の裏庭で物陰に隠れて口付けを交わしている場面を、うっかり、本当にうっかり見てしまったのである。
こちらの存在に気付かれないうちに、咄嗟に身を翻し隠れたが、自分達への背徳感で夢中になっている二人は、そもそもジャンヌの存在すら気付いていなかったらしい。
(やるのなら、もう少し場所を選んで頂きたいのですけれど……)
頬に手をあて、はあ、と溜め息を一つ零す。
これは自分が感情を殺して尽くす以前の問題かもしれない。別に側室を持つことに否やはないが、あれはダメだ。場所も立場も考えず、禁断の恋なんて言うワードに酔いしている。悲劇のヒーローを気取っているだけの無能男に時間を割くなど、無駄でしかない。
瞬時にそう結論付けたジャンヌは、学園に早退届を出して早々に今までの出来事を父に報告した。
「そう。じゃあ、婚約は撤回させよう。確かに、あの王太子に時間と金を使うのは無駄だと思ってたんだ」
「……よろしいのですか?」
「うん? 何がだい?」
「あの方とわたくしの婚約は、政略的な意味合いが多分に含まれていると、さすがのわたくしも存じております。王太子殿を尊敬することなど微塵も出来ませんが、我がシュヴァリエにとって必要であれば、お父様やお兄様の助けとなるのであれば、わたくしはいくらでもこの身を捧げますわ」
「……ん~。そうは言っても、あくまでこの婚約は王家に頼み込まれたからだし。ジャンヌは一番が好きだからとりあえず受けたけど、君はちっとも嬉しそうじゃない。彼を王太子で居させて、しかもこんなに優秀で可愛い娘の感情を殺させてまで嫁がせるメリットが、我が家にないんだよね。それにさジャンヌ。――王太子の名前、言える?」
「ええ、もちろ……ん? あら? 申し訳ありません……ずっと王太子殿とお呼びしていたせいで……あら? お名前、なんでしたでしょうか……?」
「ほら。それが答えだろう? 学ぶことが大好きなジャンヌに名前すら憶えて貰えない王はね、要らないと思うんだよ、僕は」
「まあ」
「ついでに王家に賭けでも持ちかけようかなあ。あの愚鈍な王子がいつ婚約が撤回されてるか気付くか。は~。これで僕もようやく激務から解放されるよ。あの王子に仕える気は更々ないしねえ」
にやりと口角を上げた父の姿に、もう一度「まあ」とだけ呟き、「いやでも」「あの愚息にはシュヴァリエの力添えがないと」と散々ごねる国王を、ジャンヌの父があの手この手で言いくるめ、正式に婚約自体が白紙になったのが十六歳の初夏頃であった。諸外国が交渉の場に立たれることを恐れ、辣腕宰相として国を動かしていると言っても過言ではないあの父相手に、実に一年近くのらりくらりと躱し続けた国王にこっそり拍手を贈ったのは、ジャンヌだけの秘密だ。




