プロローグ
「君との婚約は、本日を以って破棄させていただく! 私は君のような人形を妻にするつもりはない!」
煌びやかなシャンデリアが、空間を美しく彩る大広間。
サーシャル王国の王侯貴族、良家の子息・子女が十二歳から十八歳までの六年間を通して学ぶ王立学園の大広間とあって、華やかかつ洗練された内装が施された場には、祝いの場であると一目でわかる装飾が目を楽しませてくれる。
秋の気配を感じる季節。サーシャル王立学園では、新たな門出を祝う卒業パーティーが催されていた。しかして、良く通る声で唐突に告げられたその言葉は、祝いの場には全く似つかわしくない物であった。
ざわ、と、人々が小声で何かを囁き合う声が、瞬く間に伝播する。
しかしその言葉を突き付けられた当の本人――シュヴァリエ公爵令嬢のジャンヌは、広げた扇で口元を隠しながら、内心で「まあ、まあ」と笑みを浮かべた。十中八九こうなるであろうことは既に予想していたが、今ジャンヌの目の前で別の少女の肩を抱いている我が国の王太子殿下は、やはりあの事実に気付いていないらしい。
真っ直ぐ伸びた背筋に銀の髪を垂らした美しい立ち姿で、ジャンヌはわざとらしく首を傾げて見せた。
「発言をお許し頂けますでしょうか、殿下」
「何だ、今更私へ媚を売ろうとでも言うのか? もう遅い。この婚約破棄は既に国王である父上にも許可を頂いて――」
「いいえ。わたくし共の婚約は、一年以上前に白紙撤回となっておりますわ」
「……は?」
「ですから、殿下とわたくしの婚約は両家家長立ち合いのもと、白紙撤回されております。したがって、わたくし共は既に一年以上前から婚約者という間柄ではございません」
話の展開についていけないのか、ポカンとした表情を浮かべる王太子とその隣にいる少女を置き去りにし、ジャンヌはなおも口を開く。
「ほかの女性を妻に娶る? よろしゅうございました。殿下がそのご慧眼で以ってお選びになられた女性ならば、きっとこの国の良き国母となりましょう」
パチン、パチン。ひどくゆっくりとした動作で扇を閉じながら、ジャンヌは一つひとつの言葉を丁寧に突き付ける。もちろん慧眼だなんだとは微塵も思っていないので、ただの嫌味だ。
月の光を一身に浴びる銀の髪。夜空の星を集め、砕いて瞳にはめ込んだのかと思うほど美しい輝きを放つ金の瞳。この国一番の美姫でありながら、社交辞令の薄い笑みしか浮かべないジャンヌは、氷の姫として社交界でも有名であった。
そんな彼女のことを、「咲かぬ月下美人」と揶揄する声もあったが、そんな彼女が今、満面の笑みを咲かせていることに、大広間に居た人々は別の意味でざわついた。
王太子が発した「婚約破棄」と言うショッキングな言葉は、既に脳内から除外されつつあるようだ。
パチン。とうとう最後まで扇を閉じ切ったジャンヌは、口元で広げていたそれを降ろし、両手に持つ。
ニコニコと本当に嬉しそうに笑みを浮かべたジャンヌは、またもこの場に集った一同を凍り付かせる一言を放った。
「これでわたくしも安心して、あの方の元へ嫁げますわ。今後、シュヴァリエ公爵家から殿下へ支援の手が伸ばされることは金輪際ございませんが、想い合う女性と手を取り合った殿下であれば、なんら問題なきこと。どうぞその方と支え合い、幸せになってくださいまし」
「え? え、いや、ちょっと待て。支援がないとはいったい」
「あら? 当然のことでございましょう? 我がシュヴァリエが殿下への支援を行っていたのは、わたくしが婚約者であったからです。ですがそれももう遠い過去のこと。殿下がわたくしとの婚約が白紙撤回されていることに気付けるか、と言う王家との賭けにも、我がシュヴァリエが勝ちました。これを以って我が家は、王政の一端から退かせていただきます」
「ま、待て。待ってくれ! 私はそんな話聞いていないぞ! 第一シュヴァリエ公爵家が政から手を引くなど……そんなことをすれば、この国は大混乱に陥る!」
「大丈夫、現宰相と現財務大臣がちょっと居なくなるだけですもの。まさか一年以上の時間があって、父と兄が後任を育てていないとお思いで? 優秀な殿下のことです、きっと後任の方々と一緒にこの国を盛り立ててくださいましょう」
あからさまに狼狽える目の前の元婚約者の心情を慮ることなく、ジャンヌはニコニコと笑みを浮かべる。王家とシュヴァリエ公爵家の賭けは既に一年以上前から成立していて、彼自身も婚約撤回の書類に間違いなくサインをしている。直筆で書かれた現物が残っているのだ。今更この撤回が揺らぐことはない。
ちょうど今となりに立っている少女との、いわゆる「禁断の恋」とか、「真実の愛」とやらに夢中だったこの男は、その書類が婚約撤回のものであると、まったく気付いていなかったらしい。シュヴァリエ家としては予想通りだが、頭を抱えたくなる現国王の気持ちも、ちょっとは解らないでもない。
しかも現宰相と現財務大臣の父と兄は、今頃書類を放り投げて大喜びで領地に帰る準備を進めていることだろう。シュヴァリエなくして国は回らず、とは、いつの時代の王の言葉だったか。
それぐらい数々の功績を積み上げてきたシュヴァリエ家の現当主と次期当主が揃って国政から退くというのだから、現国王が不憫だとは思う。思うが、それよりもジャンヌは一秒でも早くこの茶番劇を終わらせて、大好きで愛しいあの人の元へ行きたくてウズウズしていた。
目の前の「元婚約者殿」の進退など、はっきり言ってもうどうでも良いのだ。彼女はもう彼との縁はスッパリサッパリ切ったと思っているので。
だからこの選択、行動によって、彼が王太子の椅子から引きずり降ろされようと、本当に、心から、心底どうでも良い。なるほど、確かに元婚約者殿が自身を「人形」と称するのも無理はないな、と思うが、つまりは彼がジャンヌの中で唯一絶対の特別になれなかった結果だ。
こればかりは当人同士の相性などもあるので、是非諦めて頂きたい。
ニコニコと笑みを浮かべた表情の下でそんなことを考えながら、指先一つ、零れ落ちるその髪の一房すら美しい極上のカーテシーで持ってこの大広間から退く挨拶とし、後ろで「何よこれ、ここ、乙女ゲームの世界じゃないの!? あの女、どうりで何のちょっかいも掛けてこないと思ったら、悪役令嬢じゃないワケ!? ふざけないでよっ! これじゃ私が当て馬じゃない!!」と喚いている女性の声に、何のことやらと内心で首を傾げつつも、その場を後にした。
コツン、と王立学園の敷地内に敷かれた石畳に踵を打ち、淑女としてなんとかはしたなくない速度の早歩きで、淡い水色のドレスの裾を持ちながら黙々と正門を目指す。
ジャンヌが辞した後の大広間は、卒業パーティーどころではないほどに静まり返っていたのだが、それは彼女にとって与り知れぬこと。
逸る気持ちを抑え紅潮する頬をそのままに、彼女は正門の前に立つふわふわの蜂蜜色を見付け、パアッと顔を輝かせた。
「ヨシュア様っ!」
「あ、おかえりジャンヌ。早かったね。もう卒業パーティーは終わったの?」
「いえ、いえ。まだ他の卒業生の方々は大広間におりますわ。でもわたくし、少しでも早くヨシュア様の元に帰りたくて、抜け出して来てしまいました」
「ええ? んん、ジャンヌにそう言って貰えるのは嬉しいけど、こんなに綺麗な君は人気者だろうから、なんだか俺が独り占めしちゃって申し訳ないなあ」
「まあ、まあっ! そう仰ってくださるのは、ヨシュア様だけでしてよ。この一年、なごうございましたが、漸くわたくし、ヨシュア様の元へお嫁にゆけます。うれしくて嬉しくて、卒業パーティーどころではなかったわたくしを、どうぞ許してくださいまし」
その言葉に困ったように眉を下げたジャンヌの現婚約者――ヨシュア・ジュベールは、「君は本当に俺を喜ばせるのが上手いよねえ」と垂れた眦の端を僅かばかり赤く染め、ぱっと両腕を広げた。
「卒業おめでとう、ジャンヌ。俺も君をお嫁さんにできて、凄く嬉しいよ」
「っ〰〰! まあ、まあっ!」
氷の美姫の面影はどこへやら。
へにゃっと形相を崩したジャンヌは、広げられた腕の中へ躊躇うことなく飛び込んだ。ぎゅう、とお互い抱き締め合って、彼が額へ落としてくれる優しい慈雨みたいな口付けがあまりにも嬉しくて、またへにゃりと微笑んだ。
約5年前に短編として書いた「よろしくてよ、旦那様」に連載化希望のコメントをいただいていたので、大変今更ながら加筆・修正して連載開始します。
相変わらず不定期更新ですが、1,2週間に1回は更新できるよう頑張ります。。。




