EP4 『転化』(てんか)
保護区の硬貨は少し変わっている。
エクストラという虫の体液、エーテルを凝固させたものだ。
硬貨を専用の液に溶かせばそのまま燃料として使える。硬貨の値段が高いものほど濃縮率が高い仕組みだ。僕が生まれる前は金属や紙のお金が使われていたらしいが、僕はこの「エーテル硬貨」しか知らない。
僕たちの生活は何をするにもエーテルが必要だ。
明かりを灯すのも、家電を動かすのも、車を走らせるのも、すべてエーテルに頼っている。
そこで生まれたのがエーテル硬貨だった。金属の硬貨でエーテルを買うくらいなら、最初からエーテルそのものを通貨にしてしまおうということ。
エーテル硬貨は赤い。
体液を握っている、という感覚が嫌でも伝わってくる。
EP4 『転化』
「俺は、エーテル硬貨は嫌いだな」
なぜパラドが僕のアパートにいるのかという疑問は、ひとまず放っておいて。
「なんで?」
「赤くて気持ち悪いじゃん」
「そう? 僕は綺麗だと思うな」
僕が一人暮らししているこのアパートを教えた記憶はないが、どうせオーカーから聞き出したんだろう。
「あ、ピアノ置いてんじゃん。何か弾けよ」
「安売りはしないんだ」
「じゃあ、今日も店に行こうかな」
残念、今の僕はマスターから"休養命令"が出ている。
「元気じゃん」
「また倒れたら皆に迷惑かけるだろ」
「お前も大変だなあ」
人の苦労も知らず、パラドはそう言ってソファに横になった。さっきから冷蔵庫を開けるわ引き出しを探るわ好き勝手やってくれている。こいつの無遠慮さにはもう慣れた。
「今から出かける」
「どこ? 買い物?」
「病院」
「元気なら行かなくてよくね?」
「普通の人はね」
合鍵をパラドに渡して部屋を後にした。彼を信頼したわけではないが、もし何か盗まれたり壊されたりしていたら、こいつがガーディアンだと書いたチラシを街中にばら撒くだけだ。
◇
運転もできないせいで今の僕の移動手段は電車しかない。
たいした距離ではないが緊張する。いつどこで気を失うか分からない身で、人に囲まれた逃げ場のない場所にはいたくない。
それにこの街は、色々な物で溢れすぎている。派手な街頭スクリーンとか耳にキンキンと響く音楽とか。芸術に良し悪しはないがどうも体質に合わない。この街を上から眺めるのは好きだけど、その中に入るとなると途端に疲れてしまう。
「君、顔色悪いけど」
つり革に掴まり揺られていた僕は、その声にはっと顔を上げた。
「降りたほうが──」
「大丈夫です」
「いや危険だ。あまり目立つことはしない方がいい、降りよう」
確かに吐き気とめまいで具合が悪かったが我慢できないほどでもない。
そう伝えたが、男は執拗に車内に留まるのを拒んだ。まるで、僕がこのまま車内にいると都合が悪いとでも言いたげだ。次の駅で腕を引かれ電車を降りた。男はそのまま僕をベンチに座らせると、これからどこに行くのかと尋ねた。
「オリジン中央病院です。見ての通りなので、診察を受けに」
「本当に言ってる? 今までそこに掛かってた?」
「お世話になってる先生がいるんです。というか、今から電車を乗り直しても間に合わないんですけど……」
今降りたのがちょうど、診察時間に間に合う便だった。
男は頭をかきながら困ったような素振りを見せた。僕を見ながらブツブツと何かを呟いたかと思えば、ため息を吐いて舌打ちをしたあと煙草に火を点ける。イライラしたいのはこっちなんだが。
「ごめん、今いろいろと考えをまとめている。とりあえず君をその病院まで連れて行くから、診察が終わったらすぐ出てきなさい」
「なんで……診察は結構長いですよ」
「終わったらすぐに出てくるんだ」
最近は色々な出会いがある。共通しているのは、誰も人の話をこれっぽっちも聞かないということだ。ただ何となく……彼には見覚えがある気がする。顔をまじまじと見たわけじゃないがどこかで耳にしたことがある声だ。
とにかく電車は良くない。
車ならこんな面倒ごとには巻き込まれないのに。
遅刻したせいでいつもの診察室は使えず、手術室のような部屋に通された。文句を言う権利はないし言うつもりもない。
「調子は? 退院後も変わりない?」
「電車の中で具合が悪くなりましたが、知らない人に助けてもらいました」
「そうか、よかった」
最近の僕は、倒れてはケロっと回復しまた倒れてを繰り返している。第2保護区屈指の大病院でも治療できないとなると、もう手の施しようはないのだろうか。
一生この症状と付き合っていくのか……。
そうこうしているうちに診察時間が終わってしまった。
そういや、今朝会った謎のお節介男。本気で待っているんだろうか。
いつもなら廊下まで見送ってくれる先生が今日はついて来なかった。支払いを済ませてロビーにいたところ、また今朝と同じ頭痛に襲われる。
こんな気分のせいだろうか、何か僕一人取り残されているような感覚になった。
最近の不可解な出来事はすべて関係があることのように思えた。何事も嫌な方向にばかり考えてしまう。
「リダ! 見つけた!」
「スオミ? どうしたのそんな急いで」
ロビーで立ち尽くしていた僕の元に、額に汗を浮かべたスオミが駆け寄ってきた。僕を探し回っていたようで、この寒い時期に彼女は汗だくだ。
「まだ病院にいたのね! 早くこっちへ来て、あなた危ないわよ!」
どういう意味か聞き返す暇もなく見慣れた診察室へと連れて行かれた。異常でも見つかったのかと思ったがそんな様子でもなく、スオミは周囲を注意深く見て水色のカーテンを閉めた。
慌てないで聞いてね、と念を押され、僕は頷く。
「さっき受付に、あなたの友達だって人が来たの。パラドっていう名前」
スオミは涙目になりながら、こう続けた。
「"ルース"って人を探してるって言われたの。この病院に来てるはずだって」
◇
スオミから聞けたのは、隠された真実のうちのほんの一部分に過ぎなかっただろう。それでも今の僕にとっては重要な情報だった。パラドは間違いなくあのパラドだ。僕につきまとい強引に仲良くなろうとしている不審者。
そして「ルース」は僕の昔の名前だ。両親を亡くしオーカーに引き取られた後、僕はリダへと名前を変えた。それを知るのはごく一部の人だけだ。オーカーだって会ったばかりの他人にそこまで話すわけがない。
「さっきから病院の外が騒がしいの。見かけない車が停まっていて、人がたくさんいるの……」
スオミは、僕が何か事件に巻き込まれているんじゃないかと心配していた。それで僕を探して走っていたのだ。
「でも、パラドはあなたがルースだということに気づいてないみたい。だから今すぐここから──」
そこまで言いかけたスオミは、はっと口を閉じた。足音が近づいてくる。僕の昔の名前を知っているくせに、僕がまさにそのルース本人だということには気づいていないのか。意味が分からん。
床とカーテンの隙間から見慣れた足元が覗いた。彼の年齢には分不相応な高級ブランドのスニーカーは見間違えようもない。
「あ、リダじゃん! 病院ってやっぱここのことだったか」
僕とスオミは息を潜めていたが、彼は迷うことなく僕たちのいるカーテンを開けた。僕を見て安心したように笑うのは、今一番会いたくない男パラドである。
「ちょっとあなた、今この方の診察中なのよ」
「あ、さっきの受付のお姉さんじゃん。そいつちょっと貸してくんね?」
スオミは頑なに僕の腕を放さない。だが、僕にある考えが浮かんだ。
パラドは僕の正体に気づいていないのだ。それを利用してこの病院から脱出できる方法がある。
「大丈夫。また来週来るよ」
「でも……」
「大丈夫」
パラドに見えないよう、彼女にピースサインを見せた。察しの良いスオミなら分かってくれるはずだ。スオミが何かを僕の手に押し付けてきた。
「じゃあね、また今度」
「ええ……」
渡されたのはスオミの車の鍵だ。まさか彼女もこの状況で「危ないから運転はダメ」などとは言うまい。
「……で。病院にまでストーカー?」
「違うわ」
「いい加減通報するぞ」
「リダ、何も聞いてねーの? ルースがこの病院にいるってマリセラから連絡あったろ」
マリセラとは、統括官のことか。
そうだ思い出した。電車で助けてくれた男は、ここ第2保護区の統括官マリセラに似ていた。彼は眼鏡をかけて帽子を深くかぶっており、テレビで見る姿とは違ったので気づけなかった。
なぜ、政府が僕を探している?
小さい脳ミソで必死に考える。
マリセラは、僕がルースであることに気づいているんだろう。別にそれ自体はどうでもいいし、事実だし、何も後ろめたいことはないのだが、マリセラとパラドは一緒になって僕のことを追っている。
パラドは僕がルースであることに気づいていない。
そしてこれも理由はわからないが、彼は僕のことを"ルースを探す仲間"だと思っているようだ。
「聞いてるよ。ちょうどよかったから、僕も診察が終わったらそのルースって人を探そうと思ってた」
「お、そうだったか」
「君はどこか見張ってた?」
「北側の非常口、今は誰もいないけど」
「僕が代わりにそこに行くよ」
少々強引すぎただろうか……しかしパラドは納得したようだ。
「助かる!」
「いいよ、友達だろ」
友達と言ったら途端に機嫌を良くした。単純な奴でよかった。外に出たらスオミの車に乗って、とにかく遠くへ逃げるしかない。
パラドとすれ違う時、彼が何か飴のようなものを舐めているのに気がついた。
口からすごく良い香りがしたのだ。
「パラド、何食べてんの?」
何故こんなことを聞いたのか自分でもわからない。
気づいたときにはそう口にしていた。
「何って、エーテル」
彼が舌を出して見せつけてきたのは飴ではなく、よく見慣れた真紅のエーテル硬貨だった。
やっぱり彼はおかしい。
僕は彼らの仲間ではない。
わけのわからない状況の中、それだけは確信する。




