EP5 『一本道』(いっぽんみち)
保護区の街は空が狭い。
限られた土地の中で増え続ける人口を補うため、人々は上へ上へと違法な増改築を繰り返した。他人の家の屋根を足場にし、知らない店と壁を共有し、ここに通路があればいいなと思えば誰かが鉄を持ってきて道を作る。政府もいつからか、四方八方に成長する鉄の森の統制を諦めた。
どの道は安全とかここは崩れて死人が出たとか、そういう道に関する話題は雑談の定番だ。
そんな街では、突き抜けた青空の下で風を感じるのも一種の娯楽と言える。
病院を脱出した僕は車で隣街コライユ市のバーに向かっている。
市街を抜け、高速道路に入ったところで車の窓を開けた。ここは空が綺麗に見えるし空気もうまい。何となくCDプレイヤーの再生ボタンを押すと、この車の持ち主であるスオミの好きな歌手の曲が流れ始めた。
コライユ市で高速を下り、目についた酒屋に寄った。量販店では気の利いた銘柄は買えないが手ぶらで訪ねるわけにもいかない。
適当な通路に車を置き、目的のバーの扉を押した。
この店には同業の知り合いがいる。今家に戻るのは危険なので、ここで時間を潰してあわよくば誰かの家に匿ってもらえないか……厚かましいが、今はそれほど困った状況だ。
EP5 『一本道』
「あー! リダが来た!」
真っ先に気づいてくれたのは、このバーでギターを弾く女の子ソルティだ。
Rizのマスターのツテで、この店には何度か訪れて演奏した。ゲストと言うほど大層なものじゃなく、客には「今日はなんか知らない奴がいる」くらいに思われるだけだが、店の人がこうして覚えていてくれるのは嬉しいものだ。
「今からマスターに言ってメンバー組んでもらおうか!」
「大丈夫……たまにはこっち側もいいかなと思って」
本当は誘いに乗りたいが目立つのは避けたい。
「マスター、お久しぶりです」
「どうした。Rizはクビか?」
「今悪い人に追われてて、着の身着のまま逃げてきたんです。これ、そんな僕がなけなしのお金で買ったお土産です」
「うちに来るのはお尋ね者ばかりだな」
ジョークだと受け取られたがまったくそれで構わない。ソルティが「じゃ、私今から出番だから」と立ち上がる。
ステージにはギターがない。
「ここのお客さん、ギターあんまり聴いてくれないんだよね。最近はピアノばっかり」
「本当? ソルティのギター、僕は好きだけどな」
「一回しか聴いたことないじゃん」
「一回で分かるくらい良かったんだよ」
というか、ピアノも弾けるのか。
聞けば「気乗りしないけどそれなりにはね」とあっさり言う。どちらも金が稼げるほどの才能とは恐れ入った。
それに、彼女は本当に上手だった。正直僕の負けだと思う。ギターをやってる人間が、金のため渋々弾くピアノに負けた。
この店にまた呼ばれることはないだろうな。前に会った時、いつかピアノを教えてあげるなんて彼女に言った記憶があるが、あの時どんな気分で聞いてたんだろう。
それからはソルティの演奏を聞きながら、マスターや客と他愛のない話をし、そろそろ閉店というところで本来の目的を思い出した。そう、僕はただここに遊びに来たわけじゃない。
「へー、本当に家に帰れないのか」
事情を話すと客たちが食いついた。僕がどんな悪行をかましたのか興味津々という顔だ。
どうするかな、一応顔を売る商売だし評判に響くような嘘は避けたいが……。
「か、彼女と喧嘩しちゃって。家を追い出されたんです」
「何があったの?」
「ほら……誕生日を忘れてて」
「それだけで!?」
客がケタケタと笑う。
すると一人の女性が「うち来れば?」と提案してくれた。
「うちに彼氏もいるけど、まあ君なら大丈夫っしょ」
彼女は僕の身体を見て鼻で笑ったが気にしない。この時初めて、ひ弱そうな見た目で生まれて良かったと思った。
彼女は名をアビゲイルといった。
「アビィ、二軒目行かないの?」
「この子を家に置いてから」
「オッケー。三丁目のいつもんところね」
仲間の女の子たちを見送って、アビゲイルと僕はネオンの街を歩きだす。
「こんな時代なんだし、困った時はお互い様じゃん?」
僕は何も返せるものがないというのに、彼女はそう笑ってのけた。アビゲイルはぽつりと「彼女と仲良さそうでいいね」と言った。
「いや、喧嘩したんです」
「誕生日がどうのこうので喧嘩できるって羨ましいわ」
「そうですかね?」
分からない。
だって全部嘘なんだから。
積み木のような鉄骨の中に彼女の家はあった。途中「ここ通れば早いんだけど、足滑らせて死んだ奴いるんだよね」と指さされた通路は、帰りは絶対に通らないでおこう。
ところで、彼氏と同棲していると聞いたが本当に大丈夫か。コンクリートむき出しの玄関で身構える。
「ザンク~。バーで拾った子、今日泊めるから」
扉の向こうから「おう」と返ってくる。それだけだ。
「お邪魔しますー……」
控えめに声を掛けたが返事はない。
「本当にいいんだ?」
「うん。てかアタシめっちゃ浮気してるから。今さら誰連れてきてもどうでもいいって感じ?」
「はえー……」
どう返していいか分からず、間抜けな声が出た。
いろんな人がいるもんだ。
リビングに通され水を貰った。アビゲイルは「ちょっと休憩してから行こっかな」と、向かいに座って煙草を取り出す。物音がしたので振り向くと、ドアの前からこちらを見る彼氏がいた。目つきが怖い。
やっぱり怒ってるじゃん!
助けを求めるようにアビゲイルを見ると、彼女も彼女でむっとしている。
「何よ。いいでしょいつものことなんだから」
「……いや」
「何なの? はっきり言えば?」
彼氏は答えず、ソファに座ってテレビを見始めた。
帰ろうかな。
帰る場所ないけど。
「意味分かんない。もう行くわ」
半分も吸っていない煙草を灰皿に押し付け彼女は立ち上がった。手早くコートを羽織り「貰うね」と僕のコップを手に取る。どうぞどうぞ、あなたの水ですから。
直後、彼氏が立ち上がりアビゲイルの腕を掴んだ。
勢いでコップからは水がこぼれ、驚く僕たちに「やめろ」と低い声ですごむ。
アビゲイルもぽかんと口を開けた。一触即発かと思いきや、静かにコップを置き「……ミースたちと三丁目のバーに行ってくる」と呟いてリビングを去った。
僕は慌てて後を追う。なんか分からな過ぎて、二人の関係性が複雑すぎて、ただ謝ることしかできないけれど。
アビゲイルは意外にも嬉しそうだ。
「嫉妬してくれたのかな」
玄関でコートのボタンをとめながら、急にしおらしくなる。
「え?」
「間接キス、嫌がったってことじゃん?」
「はあ……」
「ごめん、君は全然悪くないから。じゃ!」
彼女はさっそうと夜の闇に消えた。
つまり……僕はますますこの家にいちゃいけないということでは?
嫉妬に狂った彼氏に殴り殺される前に逃げよう。
そう決意した時には背後に人影があり、振り向いた僕の顔に重い衝撃が走ったのだった。




