EP2 『回帰』(かいき)
仲間になるなら不問にしてやると言われた。
聞こえはいいが、要するにボスやナイラ姉さんの情報を売れってことだ。あわよくば組ごと乗っ取るつもりなんだろう。別にそれでも構わないが、そのあとの俺は用済みだ。どうせ殺される。
だったら今ここで、仲間のために犠牲になった義理堅い男として終わる方がマシだ。俺は死後の世界を信じているので、死んでいった連中が空から見てると思ってる。命乞いでもすれば笑い者だ。それだけは嫌だった。
冷たい地下室に転がされた。俺が何も吐かず寝返りもしないと分かると、一人が赤い液体の入ったボトルを持ってきた。
エーテルだ。
人を殺すのはこれが手っ取り早い。力もいらない、血も流れない、飲ませて放っておけばすぐに死ぬ。
「顔の傷、どうしたんだ?」
「あぁ? お前らが殴ったんだろうがよ」
昨日から殴られっぱなしでどの傷のことか分からない。「火傷か?」と言われてようやく、耳の下から頬にかけての痕のことだと気づいた。これは昔、親から油をかけられてできたものだ。もう顔も名前も思い出せないが一緒に住んでいたから多分親だった。
「若いのに可哀想だな。いや……そうでもないか。終わらせてやるから感謝しろ」
こいつの言う通り。
俺たちなんかどう足掻いても、長く薄く引き伸ばした死刑を味わう人生だ。どうせならもう少し意味のある死に方がよかったが。
数人に押さえつけられガラス瓶を喉に突っ込まれた。俺がえずくとさらに奥へと押し込まれ、中身を最後の一滴まで飲み干すよう強いられた。
全身が焼けつくように熱くなり、手足が勝手に震えはじめ──そこから先は覚えていない。
EP2 『回帰』
よくもまあ、こんな簡単に人を殺せる物が野放しになっていると思う。
誤飲に気をつけろとか言っといて、実際は犯罪に使われ放題なのは政府も分かって黙っているのか。貴重な燃料だから仕方がないのか。
エーテルは、保護区の外にいるデカい蜘蛛「エクストラ」の体液でできてるらしい。初めて飲んだが味は悪くなかった。甘くて妙にスッとする。
で……なんで俺は生きてる?
「レグ、という名前らしいね」
「あ? ……うっ、いてて……」
体を起こそうとしただけで激痛が全身を駆けめぐった。
ベッドの横には白衣の女の子が立っている。
「ここは病院だ。私はエリカ」
「俺……助かった?」
「まだ分からない」
なんだそれ。
いや、待て。まさかこの女もグルか?
助けたふりして客の情報を吐かせる気か。
「はは。君たちの仕事に興味はない。私は医者だ」
「あっそ……は? 医者?」
どう見てもガキだ。俺より年下にしか見えない。
しかし俺を治療したのはこいつらしい。
エリカはこんな見た目だが、どうやら第2保護区の売人連中とは繋がりがあるらしい。裏で始末された遺体を引き取って処理することで小銭稼ぎをしているというのだ。
そこに俺が運び込まれ、まだ息があったので治療をした。優しいのかイカれてるのか分からん奴だ。
「エリカ先生、結果が出ました」
看護師がやってきた。こいつ、本当に医者なのか。
書類を受け取ったエリカは息をのんだ。何かとんでもないものでも見たような反応だ。奥歯をかみしめてうつむいて「やったよ、パパ……」と震える声で呟き、顔を上げた。目には涙が浮かんでいた。
「君は助かった」
「おう……ありがとう。治療費は払えねーけど」
「今すぐここを出ていきなさい」
そこまで手のひら返さなくたっていいだろ。こちとら金目の物は全部剥ぎ取られたんだから。
「病院からじゃない、第2保護区から出ていくんだ。名前を変えても顔を隠しても無駄だ。奴らはいつか必ず君を見つけ出す」
「なんだよ、ムース売ってただけでそこまでか?」
「違う。行き先は、そうだな……第5保護区がいいだろう。新しい保護区だからまだ統制も不安定なはずだ」
「無理だよ、金ないし」
エリカに目配せされた看護師が小走りに部屋を出る。
まもなく戻って来た彼女から受け取ったのは、ずっしりと重い小銭袋だ。中を見ると……。
「こ、これ貰っていいんすか!?」
思わず敬語になってしまうほどの大金。
ただし、まだ信用はできない。綺麗な金なんかないと俺はこの身をもって学んでいる。
納得できるまでは誰の命令も聞く気はない。
一度死んだ身だ、失うものなんかないが、俺はもう何にも縛られず自由に生きていきたい。
◇
エリカはパスワードを入力してドアのロックを解除する。俺は、背後からその指先をこっそり盗み見た。ここに忍び込むことは今後一生ないだろうが、ついやってしまう癖だ。
連れてこられたのはエリカの私室だ。病院の最上階にあり、大きな窓からは保護区の夜景が一望できた。ここまで高いと煙の影響も少ないのか室内は綺麗に整っていた。
「すげー! 金持ち!」
「そんなことはない。院長だからだよ」
「へー」
もう何を言われても驚かないぞ、俺は。
「何これ。あんた猟師もやってんの?」
「登山に行った時の写真だよ」
「トザン?」
「山に登るんだ」
写真の中のエリカは、ジャケットを着こんで大荷物を背負い、おっさんたちと並んで笑っていた。山に登るのが趣味らしい。トザンについてはよく知らんが、高いところに登ると気分がいいのは同感だ。
「父も登山が好きだった」
「どれが親父?」
「そこには写っていないよ。父も母も、私が幼い頃に事故で亡くなった」
「そっか。ワリぃ」
こいつもそれなりに苦労してきたようだ。
……となると一つの疑問が浮かんだ。エリカは、親がいないのにどうやって医者になるための勉強をしたんだ?
第2保護区じゃ学校が無い代わりに、親が子どもに勉強を教える仕組みがある。だから、親がいなきゃどうしようもないはずだが。
「子どもの頃は第1保護区の学校に通っていた」
「マジで!? 俺も学校に行きたいんだよ、今から行けっかな?」
「だめだ。奴らに見つかる」
またそれか。
「SQRだ。政府には君を追う理由ができた」
「いやいや、俺はただの売人だぞ? 下っ端一人捕まえたくらいで薬なんてなくなんねえよ?」
「薬物の話じゃない。もう君の仕事のことは忘れてくれ」
ソファに座らされてコーヒーを貰った。
「どうだ?」
「何が?」
「コーヒー。飲んだ感じは」
「馬鹿にすんなよ、これくらいいつも飲んでたし」
「変な感覚は?」
「ねえよ。なんか入れた?」
「……問題なさそうだ」
エリカは勝手に納得し向かい側に座った。
そして、ぽつりぽつりと身の上を語り始めた。
エリカの父親は、エーテルを飲んでしまった患者の治療法を研究していた。
エーテルを燃料として使うことにも反対していた。ある日、意見交換の名目でSQR本部に呼び出された父親は、車で向かっていたところをタンクローリーに突っ込まれ即死。精神的に追い詰められた母親はエーテルを飲んで自殺した。後になって、夫の研究の成果を証明しようとしていたことが分かったが、試作段階の治療薬では何にせよ助からなかった。
とにかく、俺が生き残ったおかげでこいつの薬は完成に近づいたらしい。もうエーテルで死ぬ人間がいなくなるってことだ。
「二人とも上で喜んでんじゃねえの?」
「上?」
「死んだ奴らは空から俺らを見てるんだぞ」
「はは。君って意外と……」
エリカは言い切らずに、半笑いでコーヒーを一口含む。
「私の目的は、SQRが隠している真実を突き止めることだ。父の死は事故じゃない。SQRに殺されたんだ。そもそも、エーテル燃料でなくたって電気を作る方法はあるはず。それでもエーテルを使い続けて、人が誤飲で死ぬのをまったく問題視していない」
「……考えすぎじゃねえの?」
頭の良い連中って、たまにめちゃくちゃなこと言い出すよな。
そんなこと考えてどうなんのってことをさ。
食事も寝る場所も心配がない生活なら余計なことを妄想する余裕があるんだろうか。正直羨ましい。
エリカは、俺の他にもう一人存在する生還者の話をした。
今から十六年前の春。エーテルを飲んだ子どもがこの病院に運び込まれた。いつも通り看取るつもりだったが、試作段階の治療薬をダメ元で打ってみたらしい。
「彼は生き延びた。ただ……血液が理解不能な構造になってしまってね。とんでもないことをしてしまったと思ったよ」
子どもの名前は「ルース」。
エリカはルースを隠し続け、定期的に病院に呼び出し経過を見守った。
そしてある日──疑いは現実になった。
「彼はSQRに捕まった。何の罪もない善良な市民だったが、前触れもなく連れ去られた」
「エーテルを飲んだから?」
「そう」
「え……てことは俺も捕まんの?」
「もしバレたらね。奴らにとって、君は貴重な研究対象になる」
エリカは右足のズボンをまくり、膝からふくらはぎにかけての傷痕を見せた。
「彼が見つかったあと、私も尋問を受けた。手はやめろと言うと足を折られたよ」
俺が絶句していると、苦笑しながら服を元に戻した。尋問と聞けばそれだけで済んでよかったと思うが、見た目はいたいけな少女だ。さすがの俺も女の子にそこまではできない。
SQRが何かを隠しているという話が一気に現実味を帯びてきた。つまり俺は二人目の生還者として、SQRにとって格好の獲物になってしまうのか。
「頼む。私だって君をここに置いて研究を続けたい。でも駄目なんだ。君まで奴らの手に渡ってしまえば、いよいよ……」
続く言葉はノックの音で遮られた。
さっきの看護師だ。「先生、車が」の一言で、エリカは立ち上がり窓に駆け寄る。
「まずい、ザンクだ」
「誰?」
「もう嗅ぎ付けたのか……まるで野良犬だな」
ザンク。どこかで聞いたことのある名前だ。
そうだ、思い出した。ムースの流通ルートがどうだこうだで、ボスが何度か会話に出していた。保護区の薬物取引のすべてを握る男だと聞いた記憶がある。
カーテンを握るエリカの手がガタガタと震えていた。
息は荒く唇も青い。
「先生、大丈夫ですよ」
看護師がエリカの肩に手を置き、いたわるようにさする。
「あれもSQRの手先だ。君が確実に死んだか確かめに来たんだろう」
「やべぇじゃん」
「今までこんなことはなかったが、やけに神経質だな……」
「俺は逃げりゃいいんだな?」
「できるかい?」
「任せろ!」
よく分からんが、正義の政府が実は闇の組織で俺は追われる側ってわけだ。上等じゃねえか。ちっぽけな売人やって終わるよりよっぽど面白い人生だ。
看護師が教えてくれた出口から病院を抜け出した。
俺は夜の街を走る。途中、お気に入りのカジノの前で足が止まった。いや、たまたま通りすがっただけだ。
手の中の小銭袋を見つめる。
第5保護区へ行くだけならこんな大金はいらないし……飯代だけ残して一勝負してみるか? もしかしたら大穴を当ててそのまま億万長者になれるかも。売人どもをまとめて裏社会のボスに成り上がって、ついでに政府の連中もぶっ潰す――そんな未来だってなくはない。
ここは勝負だろ、俺!
振り返って駆け出すと、角から飛び出してきた男とぶつかった。男のフードが脱げてベージュの髪があらわになり、緑の瞳と目が合った。
「……っ!」
慌ててフードを被った男は謝罪の一言もない。
なんだコイツ。感じ悪ぃ。
……待て、なんかまさにな奴じゃないか? 放送で言っていたアイツだ。「リダ?」と俺が口にした瞬間、奴の目の色が変わったように見える。
「すみません、ぶつかってしまって。ちょっとこっちに来てもらえますか」
路地裏に連れてこられた。なんだ、やる気か?
俺よりも少しだけ背が高いが体は細い。こういう奴は足を狙えばすぐ転ぶ。
そんなことを考えていたが、気づけば俺の体は地面に打ち付けられ、奴の腕で首を絞められていた。
「うっ──!」
こいつ、弱っちそうな顔してやりやがる!
本当に「殺人犯のリダ」なのか。
力は弱い。踏ん張れば抜け出せそうだが全身の怪我が痛すぎてそれどころじゃない。
「痛ぇって、ギブギブ!」
「僕は元々こうじゃなかった……本当の僕はこんなことはできない……」
「意味わかんねえし!」
「早く行かなきゃいけないんだ、ごめん」
「待てって、お前がリダなら俺は味方だ! だってあんた、偉い奴らを殺したんだろ!? ヒーローじゃん!」
リダは力をゆるめ「殺した?」と首を傾げる。
「放送で聞いたぜ」
「……そういうことになってるのか」
「本物かよ! 殺し屋なのか? 弟子にしてくれよ、なぁ!」
「ごめん」
「いでででで!」
マズい、本気で俺を殺りにきてる。
「お、俺も悪い奴らから逃げてるところなんだ! 俺なんかもっとすげぇぞ、病院で取り囲まれたところを──」
「病院? この近く? オリジン中央病院?」
「そりゃ知らんがSQRの奴らが来て──」
「病院にSQRがいる? 本当に?」
クソ、いちいち俺の話に割り込みやがって。
「その前に解放してくれよ。何もしねえから! な?」
ようやく拘束が解かれた。普段の俺ならここで反撃するが、ヤバい殺し屋相手にそれはやめておく。
リダは、SQRがどのくらいいたか、病院以外でも見たかなど矢継ぎ早に聞いてきた。なんだか必死そうだし教えてやってもいいが、俺を弟子にするって条件を飲んでもらわないとな。
リダは渋っていたが、俺が第5保護区を目指していると知ると態度を変えた。どうやらこいつも第5へ行くつもりだったらしい。
「いいルートがあるぞ。シエナ区から下水に入るんだ。あそこはスラムだから余裕で出入りできる。そっからヴェルデ市っていう第4保護区の田舎まで行って、あとは管理外地区を抜けてもいいし、廃棄物用の搬出通路を通る手もある」
仕事柄、こういう情報はいくらでも知っている。なんとリダは馬鹿真面目に列車で移動するつもりだったらしい。どうしても列車がいいなら偽の通行証くらい用意したほうがいいが、そんな時間はない。俺の提案のほうが百倍マシだ。
「……襲って悪かった。僕にその道を教えてほしい」
これは「了承」ってことでいいのか。
やったぞ、俺は指名手配中のヒットマンの弟子だ! 俺の第二の人生は急展開で面白くなっていく!
「リダ……いや、リダの兄貴! ちょっくら資金作っていきませんか?」
「置いていくよ」
「冗談っす! 待ってください!」
リダの兄貴は、配管の煙を手で払いながら気だるげに歩き出した。
俺はその背中を追う。カジノから漏れるメダルの音も俺を誘惑するネオンの看板も、今は全部どうでもいいと思えた。




