EP1 『降下』(こうか)
『SQR本部、市民生活局よりお知らせします。
現在、重大な事件に関与した容疑者が保護区域内を逃走中です。
この放送は全保護区の都市を対象としています──』
冷たい風と放送の音が駅のホームを吹き抜けた。
降りてくる乗客と肩をすれ違わせながら、停車中の列車に乗り込む。行き先は、第1保護区の中心都市オルセイユ。冷え切った指先をこすり合わせて温め、空いている席に腰を下ろした。
中間地点のバルダイ駅を過ぎた頃、黒い制帽を被った車掌が俺のいる車両の扉を開けた。一番前の客に「観光?」と声を掛け、身分証を回収する。俺の番が回ってきた。前よりも事務的な口調で「観光?」と尋ねてきたその車掌は、俺の頭からつま先をまじまじと見る。
「……なんだ?」
「第2で何かあったらしくてね。上からの指示なんで、身分証を見せてもらえますか」
「ああ……なるほどね。仕事でオルセイユまで」
車掌に偽の身分証を渡す。
次の客、次の客へ。車掌の声はだんだん小さくなっていく。
外の景色を見るのも飽きてきた。赤茶色の土と簡素な道路が広がった大地に寂しく取り残された家、針葉樹の林、ジャガイモの畑、家、林、畑、その繰り返し。退屈な景色もそうだが、窓から差し込む暖かい日差しのせいで猛烈な睡魔が俺を襲う。ほとんどの客は眩しそうにカーテンを閉めたので、薄暗い車内で俺の席だけスポットライトを当てられたように明るくなっていた。
あと一時間もすれば、終点のオルセイユ駅で身分証を返され、無事に第1保護区へ到着だ。
EP1 『降下』
第1保護区は他の保護区とはまるで違う世界だ。
ここで暮らす子どもは、昼間は学校という場所に集まる。同じ服を着て大人の話を聞いているだけで飯が食えるのだ。だから、俺のような子どもがこんな時間にうろついていると不審がられる。ワックスで髪を固め、スーツを着て大人のふりをし指定された銀行に向かう。
電力不足の第2と違い、眩いばかりの蛍光灯に照らされたロビーが俺を出迎えた。
「アシスト証券のルドルフです。ミスター・ソーンはいますか? ゼロライン・モーターズの再配分の件と伝えてください」
予め用意していた台詞を告げると窓口の行員は席を立ち、まもなく目的の男が現れた。ソーンはヘラヘラと頭を下げながら俺を奥の部屋へと案内した。
こんな真面目そうな奴がなぁ。
第1保護区に住めるだけでも大した身分だと思うが、恵まれた生活の中でも不満やストレスは絶えないらしい。
「君たち、第1にも拠点を作ってくれよ。良い空き家があるんだ」
世間話に付き合っている暇はない。机に目的の物を置き「5,000Plt」と告げればソーンはあからさまに眉をひそめた。
「3,500Pltの約束だったはずだ。どういうことだ?」
「払えないなら帰るぞ。もうここには来ない」
「待ってくれ、それじゃ困る……4,500はどうだ、今は持ち合わせが」
俺が瓶を取って立ち上がると、ソーンは「わかった、わかった」と財布を取り出した。
◇
「レグおかえり! どうだった?」
第2保護区の拠点に戻ると、ナイラ姉さんが「ムース」を吸っていた。俺は苦手なので部屋には入らず真っ先にボスの部屋に向かった。
売り上げを置くと、ボスは「余裕だっただろ」と不敵に笑う。聞いた通りソーンは押しに弱く、あれから揺さぶりをかけて6,000まで値上げできた。けれど組織には5,000だけ入れ、あぶれた分は俺のポケットへ。
「来週は第5保護区に行ってもらうぞ、レグ」
「ええ? また第1に行きたいです、俺」
「第1の客は楽だが何度も他保護区の人間が出入りすると怪しまれる。お前はまだ若すぎるしな」
俺の取り分は500Plt。これと臨時収入を合わせりゃ一ヶ月は暮らせるが、貯金なんて意味はない。適当に女引っかけてカジノで遊んで帰るつもりだ。
ナイラ姉さんが部屋から転がり出て、俺を見るなり「お前が悪い!」と叫んだ。そしてその場にうずくまり、機械のアラームみたいに叫んでスッと立ち上がると「あんたも大変だろうから」と呟いて部屋に戻った。
彼女には何が見えて、何が聞こえているんだろうか。
ナイラ姉さんも売人として雇われているが、最近はムースにハマりすぎだ。第1保護区の生まれで勉強ができ、うちでは貴重な女の売人なのでボスも黙認しているが、いずれ彼女も厄介払いされる日がくるだろう。
夕暮れの街に繰り出し露店でコーヒーを買った。
店主のおっちゃんは目が見えない。踏み倒そうと思えばいくらでもできるが、俺はやらない。恵まれている連中から奪うのは構わないが、おっちゃんみたいな弱い奴からは取らない。それが俺の流儀だ。
『SQR本部、市民生活局よりお知らせします。
現在、重大な事件に関与した容疑者が保護区域内を逃走中です。
この放送は全保護区の都市を対象としています』
柱にもたれて一服していると、真上のスピーカーから声が降り注いだ。
『容疑者は20代男性、リダ・ウィンスレッド。
本日正午ごろ、保護区施設内で発生した殺人事件に関与した疑いがあります。
身長170cm、ベージュ系ブロンドの頭髪、目は緑色です。
容疑者は現在も逃走を続けており、武装した協力者と合流している可能性があります。発見した場合は速やかに、各都市の治安窓口へ通報してください。
本件に関する有力な情報を提供された方には報奨金が支払われます』
放送が途切れると、おっちゃんが「珍しいな」と呟いた。
確かに、殺人ごときでこんな放送が流れるなんて滅多にない。政府の高官か貴族階級が被害にあったのだろうか? だとしたらその犯人は俺にとってヒーローだ。
「レグ坊、今からお仕事か?」
「おう! 今日は勝てると思うんだよね」
「ほどほどにな」
おっちゃんは、ヤニで黄ばんだ歯を見せて笑った。
数時間後の俺は億万長者になっているかもしれない。そしたらおっちゃんには豪邸と高級車を買ってやる約束をし、職場のある大通りに向かって歩いた。
『容疑者への不必要な接触、隠匿行為は処罰の対象となります。
繰り返します。容疑者への接触、隠匿行為は処罰の対象となります』
放送は陽が落ちても止まず、街の隅々にまで繰り返し流れ続けた。
◇
翌朝、目を覚ますと知らない女が二人、あと男が一人床で寝ていた。部屋も見覚えがない。女がのっそりと起き上がり脱ぎ捨てた上着のポケットをまさぐる。
「ここ、あんたの家?」
「ん~……そうだけど」
窓から見える景色はだいぶ高層だ。この街は高ければ高いほど、エーテル発電機の煙を浴びせられ通路も壁も煤で汚れてしまう。カーテンの裏は真っ黒だった。
次に男が目を覚まし、何か言われたら面倒なので俺はさっさと退散することにした。「帰んの?」と呼び止められたが無視して服を着ていると、女はポケットから取り出したムースを吸い始めた。最悪、こいつらもかよ。
「なぁ、売ってくれないか?」
男がにこやかに言う。何を?とは聞かなくても分かる。
「えー……何を?」
「しらばっくれるなよ」
「俺は売人じゃない。人違いじゃ?」
「嘘つけ、自分で言ってただろ」
マジかよ。全く思い出せないが、なんだかやらかしたみたいだ。
昨夜はカジノでつい熱くなって、飲み代は取っておこうと思ったのに結局使い果たし、誰か奢ってくれそうな優しいお姉様がいないか手あたり次第声をかけた。そこまでは覚えている。
「客以外に売れねえから」
「買うんだから俺らも客だろ?」
「客はこっちが決めんの。てか、今まで売ってた奴に声掛けろよ」
男が「馬鹿言うんじゃねぇ」と立ち上がる。
「お前が、ムース売ってやるっつって俺らに近づいたんだろ! じゃなきゃテメーみてえなクソガキ誰が相手にするか!」
「言ってねえ! 絶っ対言ってねえ!」
男の右ストレートが顔面に飛んできた。
この動きは何かしらやってたに違いない。よく見りゃ体格も良いし、さすがに大人相手じゃ分が悪い。
昨夜からとことんツイてないみたいだ。「わかった、わかった」としおらしくすると、気を良くした男が「いや、俺も悪かったよ」なんていけしゃあしゃあと言いやがる。
馬鹿め。
俺は正義の売人、暴力なんかに屈しない。
開けた窓から身を乗り出し、思いのほか地面が遠かったが戻る選択肢もないので勢いのまま飛び降りた。
「いてっ!」
排煙ダクトに腰を打ち付けながら広めの通路に着地した。上から、殺すとか死ねとか叫ぶ男の声が聞こえてきたが、この街じゃ日常の風景、通行人は誰も意に介さない。
ベッドサイドにあった煙草をパクってきたが中は空だった。こんだけツイてなきゃいつかとんでもなく良いことが起きるに違いない。血の味がする唾を飲みこみ、空箱を潰して投げ捨てる。
事務所に顔を出すと、ナイラ姉さんが昨日と同じ格好でソファで寝ていた。まさか昨日からこのままか。誰か声をかけてやればいいのに。
「姉さん、姉さんー! 朝!」
「ん? ああ……レグ。その青あざどうしたのよ、可哀想に~」
「いいから帰れよ」
「もうちょっと寝てから……」
彼女は放置して事務所のシャワーを借りた。俺の家は水道も電気も止まってるし、家賃の取り立てがウザいからあまり帰りたくない。
「うわ、冷てっ」
「ねー。昨日から調子悪いのよ」
いつの間にか後ろにいた姉さんが、遠慮なく服を脱ぎ捨て隣のブースに入った。
ギリギリ浴びれなくもない程度のぬるま湯だ。給湯器が壊れたわけではなさそうだが。
「燃料不足のせいかしらねぇ。ついに50パーセント切ったみたいだし」
「そうなの?」
「あんたが第1保護区に行ってる間に放送があったわよ」
「はーん……第1じゃあ、電気なんかあり余ってそうだったけどな」
流し続けるとどんどん冷たくなるので、こまめに止めて頭を洗う。
「初めての第1はどうだった? てかお土産は?」
「あんたはムース以外貰って嬉しいのかよ」
「はは、確かに。いらないかも」
「……姉さんって学校行ってた?」
鼻で笑われ、「行ってたらこんなとこにいないでしょ」と返ってくる。
「第1保護区で暮らしてたのに学校行ってねえの?」
「別に、個人の自由でしょ」
「学校に行くとどうなんの?」
「どうなるって……頭が良くなる?」
「姉さん頭良いじゃん」
「あのね。ここの人たち皆そう言うけど、かけ算もできないほうがありえないんだって」
「俺はできなくても困ったことねえけど」
姉さんはワシャワシャと髪を洗う手を止め、何かを考える。
「んー……あんたギャンブル大好きでしょ? 勉強ができると当たる確率が分かるようになるかもね」
「マジで!?」
「マジマジ」
なんだ、学校に行けばそんなことができるようになるのか。
一気に第1保護区の奴らが羨ましくなった。俺も金持ちになって第1に家を買って……そういや昨日会った客、第1に空き家があると言っていた。
午後、やってきたボスに掛け合った。
「第1保護区に拠点を作る?」
「ですです。行ったり来たりするのも面倒だし、第1の客を増やすなら拠点があったほうがいいっすよ」
「今日もお前が馬鹿で安心した」
その一言とともに、強めにおでこを弾かれた。
「レグ、今日も運べ」
「いいっすけど……誰かバックレました?」
「ナイラを行かせる予定だったが、今日は具合が悪いと」
なんだそれ。俺がそんなこと言っても殴られて終わりなのに。
シャワーだけ借りて帰るつもりが仕事をする羽目になってしまった。それに、ナイラ姉さんの客はロクでもないのが多いから気が滅入る。
「俺、こんな顔で大丈夫ですかね?」
今朝殴られた箇所が腫れて目も半開きだ。ボスは「関係無い」と俺に商品を渡し、これで朝飯でも食って行けと珍しくお小遣いまでくれた。
指定されたのは隣街の溶接工場。客はこの工場の社長だ。
「ナイラです。フェデル社長はいますか?」
「面会のお約束が?」
「そうです、ナイラという名前を伝えてください」
受付は怪訝な顔で受話器を取り、数十秒後「そのような者は知らないと言っていますが」と答えた。
そんなはずは。
ナイラ姉さんの名前を出せばすぐに済むと言われたのに。
「社長はいらっしゃるんですよね?」
「ええ、ですが、何のことかまったく心当たりがないと」
「わざわざ呼び出されたんですから、俺もこのまま帰るわけには……」
「そう言われましても」
埒が明かない。
嫌な予感がした。俺だって伊達に何年も売人をやってない。
ロビーに数人の男がやってきた。
肌を埋め尽くすタトゥーに高級ブランドで固めた全身、一目で「俺たちと同じ存在」だと分かる。受付の女は何かを察したか、小さいため息とともにその場を去った。
「お前がナイラ?」
「違うけど……」
「でもセイブルんとこの奴だろ」
セイブルとはボスの名前だ。
「社長はうちの客だった。困るんだよね、こういうの。何事にもルールがあるだろ」
「だから俺はナイラじゃねえし、ここに来たのは今日が初めてで──」
「来い」
男の一人がこちらに銃口を向けた。
──なるほどね。どうやら俺は嵌められたらしい。
ナイラ姉さんがやらかしたんだろう。こいつらがどこの連中かは知らないが、この世界にも守るべきルールがある。ひとつ、人の客には手を出さない。姉さんは知ってか知らずかそれを破ってしまい、こうなることを恐れて行きたがらなかったんだろう。
そしてボスも全部分かっていた。ただ、組織にとって重要なナイラ姉さんを失うわけにはいかない。だから代わりに俺を差し出した……ってところか。
両腕を縛られ、抵抗する間もなく車に押し込まれた。




