EP6 『離別』(りべつ)
リダをARWへ送ることが決まった。
その日の彼は庭園から出てこなかった。職員たちもまた、誰一人そこに近寄ろうとはしなかった。パラドをはじめ私やアッシュ、リダと関わりのあった者はその日をもって彼との接触を一切禁じられた。
私と数名のパイロットは、今日も捕猟のために森へ向かう。
地表の水分は乾ききり、ひび割れた大地を寒風が吹き抜けていく。
私はかじかむ指先を温めようと、グローブをはめた手を何度か握ったり開いたりする。極寒の外に比べればコクピット内はいくらかマシだが、冷蔵庫か冷凍庫かの違いでしかない。計器盤の継ぎ目には結露した水滴が溜まり、そこを触れる指先は常に湿って冷たいままだ。
「パラド。大丈夫か」
《何が?》
「君はリダと仲が良かった」
返事はなく、静かに通信が切られた。
パラドのMeXRがスラスターを噴射し離れていく。機体の背から吐き出された熱気は濃い白煙となって尾を引き、彼の後ろに位置していた私の視界の邪魔をした。
EP6 『離別』
「ケルン所長ー!」
ハッチを開けてMeXRの上に立ったパラドは、鉄塔に向かって大きく手を振る。
我々は捕猟の前に、パラドの指示で「前哨基地」に立ち寄った。
砂に覆われた地面の上に、鉄骨と配管で組まれた巨大な施設がそびえ建つ。煙を吐き出すいくつもの塔には無数のケーブルが縫うように張り巡らされていた。
ここは保護区から離れたもう一つの拠点。十数名のネイヴルが常駐し、エクストラの生息域や行動パターンに関するデータを収集している。
「パラドじゃないか! どうした?」
「いや。所長、生きてるかなって」
「馬鹿言え。暇じゃないんだぞ」
「それは嘘だろ」
私と他のパイロットは、機体の中でその会話に耳を傾ける。
「前に、人間からエクストラになった奴がいるって話をしただろ。来週、そいつをARWに移すことになったんだ」
「ほお。ついにか」
「って伝えに来ただけさ。所長、巣統に嫌われてるから何も知らないだろ」
「ああ。こんな僻地にゃ便りの一つも来ない」
「羽化計画が成功すれば、所長もお役御免かもな」
「ははっ! 確かにそうだ」
パラドは機体に戻り、《行くぞ》と通信をよこした。
「一体何のつもりだ?」
《いいだろ、田舎のじいさんに構ってやるくらい》
「燃料だって無駄にはできないんだぞ」
ブツ、と雑音が走りまたも一方的に通信を切られた。
寄り道のせいで予定よりも遅れた行軍となった。目的地の森の前で《さっさと済ますか》とパラドが言った。
《ノイアー。森にいた頃は何を考えて暮らしてた?》
「何って……飢えと恐怖しかないが」
《楽しい思い出はないか》
「気遣いなら無用だ。衛生局のトラウマプログラムは完了している」
柔らかい草地に機体の足跡が刻まれていく。空を覆う巨木の間から木漏れ日が差し込み、霧の立ち込める森の中に白い光の柱を作っていた。
《エクストラ同士が共食いするのを見たことがある。あいつら、一度負けたと思ったら抵抗しないんだ》
「そうだな」
《それが、俺たちなんだろうな》
今日の彼は様子がおかしい。
この会話は私の手に余る。別のパイロットに助けを乞うため、回線を切り替えようとしたその時。
ふと、一番後ろを歩くパラドの機体が止まる。
私はつまみに伸ばしかけた手をレバーに戻した。なぜか、そうすべきだと直感が言った。
《知能があろうと関係ない。俺たちの本質は共食いだ》
次の瞬間、私の後ろにいたディールの機体が轟音と共に崩れ落ちる。
《ディール!》
私ともう一機はすぐにパラドから距離を取る。鳥たちがけたたましい鳴き声を上げ、一斉に木から飛び立った。
すぐにディールから《ブースターがだめだ》と通信が入る。私はまだ状況しか理解ができない。もう一人のパイロット、ビスタが声を上げる。
《なぜだパラド! まさか……あの転化体か! こんなことをしても決定は覆らないぞ!》
《俺が癇癪を起こしてるとでも思ってるのか?》
《今なら事故で済ませられる!》
《……わかった》
目も触手もない岩虫が、私をまっすぐに捉えた。
《これは事故でいい》
閉ざされたコクピットの中では、森を吹き抜ける冷たい風も彼の表情も何も分からない。けれど湿った土の匂い、流れる水の音、岩と倒木の間に咲く花の香り──どれも昨日のことのように思い出せる。
私はまだ覚えている。
こうなった相手に、対話は意味がないということを。
ビスタから通信が入った。
《ディール、動けるなら撤退しろ。ノイアー、あいつを止めるぞ》
「了解したが、それは排除か?」
《やむを得ん》
通信は引き続き機体の無線を使用した。
共振の方が手っ取り早いが、どれだけこちらが暗号化しようと、何十通りとある暗号波すべてを熟知するパラドの前では手の内を大声で明かすに等しい。
パラドもそれを察したか、共振装置を積んだ肩部を執拗に狙い始めた。
森を抜けたディールから通信が入る。
《通信局と連絡が取れた。本部では転化体が脱走したらしい。今、後を追っていると》
《あいつら最初からそのつもりで……!》
《パラドを絶対に逃がすなとの指令だ》
リダが逃亡した。
ARWからの通達以降、我々がリダと接触できる機会は一度もなかった。二人はずっと前から逃亡を決意していたのだろうか?
定例会の日。リダの死を前提に語られる素晴らしい未来の話にも、二人は落ち着いた表情で前を向き動揺した様子はなかった。
パラドを正面に捉えて引き金を引くが次の瞬間にはもういない。弾は木の幹や岩肌を削り、周囲には失敗の痕だけが増えてゆく。
《ノイアー、これではっきりした、パラドは──》
ビスタの言葉を遮るように、パラドの機体の銃身が火花を吹いた。弾が当たったビスタの機体が衝撃と同時に崩れ落ちる。
「ビスタ!」
《まずい──》
MeXRは、MeXR同士の戦闘を想定して設計されていない。
装備はすべてエクストラの捕猟を前提としており、銃身の可動域も広くない。あの巨体が相手なら、向きさえ合わせればどこかしらに弾が当たるからだ。正確に狙うには機体ごとその方向を向くしかない。
だから互いに背中を見せられなかった。パラドはもう十分だと判断したのか、背を向けて逃走を開始する。私はパラドに聞かれるのも承知で、ビスタとディールに「彼を追う」と共振した。林を抜け、苔に覆われた見通しの良い岩場に出た。
この戦いは必要だろうか。
私は誘引剤のドローンを彼めがけて射出する。今回の作戦でこれを装備しているのは私だけだった。起爆すれば周囲にエーテルを散布し、エクストラをおびき寄せるためのものだ。
彼の機体にエーテルが降り注ぐ。たとえ私を倒せたとしても、その先に待つのはエクストラとの戦いだ。牽制が止み、パラドはあからさまに弾を温存し始める。
彼が動揺した隙を突いて距離を詰めた。
ただ、そう簡単に崩れる相手でもない。
パラドは、銃弾を込めずに機銃を空回転させる。何のつもりかと疑問を抱く間もなく、その振動音が機体から大音量で吐き出された。
その直後、私の見える世界がノイズで埋まった。
視界は正常だが体がどちらへ傾いているか分からない。地面の感覚が消え、狙いを定めたはずの銃弾が全く違う方向に飛んでいった。
私はすぐに理解した。
彼は機銃を回転し生まれる音を、私が知覚しやすい周波数と完璧に合わせている。外部スピーカーで音を拾い、警告音装置を通して拡散することで私の感覚器を混乱させた。
視界と身体感覚が一致しない世界を言葉で表すのは難しい。スコープから見える景色は上下が逆転したように見え、地面だと思ったものは空で、とにかく共振装置を切ろうとレバーに手を伸ばすも平らな壁に指をぶつけた。私は、平衡感覚を失っていた。
そうか、私は。
この森で狩られる立場であることに変わりはなかったのか。
今度こそ死ぬのかと思ったその時、轟音と共に森が揺さぶられる。
《こっちから、なんかすげー音しなかった?》
《しましたね》
《聞こえるか? おい? そこの……何だこの機体?》
《Mediatorじゃないっすか?》
知らない男の声だ。
「聞こえている! 私はSQRの──」
そう応答する間にもパラドの機体は離れていく。
高周波が止み感覚が元に戻った。二機のMeXRがこちらに飛んでくる。
《どうした? 喧嘩かぁ?》
《先輩、聞いてる場合じゃないです》
《男なら正々堂々、拳でやれや》
《言ってる場合でもないです》
SQRの機体ではない。増援かと期待したが別保護区のパイロットだ。
距離を取ったパラドは、こちらを威嚇するように数発撃ち込んできた。
《わっ!? どういう状況!?》
片方の機体が私の前に出る。
《ギルム先輩、ここは僕が──》
《すまんなシュイ君!》
《僕がMediatorを援護しますんで、先輩は囮お願いします》
《シュイ君!?》
ギルム、と呼ばれた機体を残してシュイは後退を始めた。悪いが私もそれに続く。
パラドは獲物を品定めするようにギルムの周囲にまとわりついた。
《待て待て待て》
ギルムの焦りがスピーカー越しに聞こえる。
「……危険だ。撤退する」
そう告げると、シュイが答えた。
《いけるでしょ。三対一です》
「あの機体に誘引剤を当てた。じきにエクストラが集まるだろう」
《あ……そりゃマズいですね。てことで先輩、俺ら逃げますんで先輩もキリのいいところで》
《待って! 助けて!》
シュイはぶつぶつとぼやいて飛び立ち、パラドの横に回った。
さすがに不利だと悟ったか、彼は最後に狙いの分からない一発を私に向けて撃つと全速力で森の奥へ逃げ込んでいった。
助かった。
ズキズキと痛む頭を抱え、二人に礼を言う。
《よく分からんが喧嘩は良くないぞ。腹を割って話せばきっと分かり合える》
「いや彼は」
《じゃあな、Mediator》
「待て──」
《おっと、俺らを見たことは内緒にしてくれ。道を間違えただけなんだ。早く部隊に合流しないとフロストに殺されてしまう》
二機のMeXRは向きを変え、木々の合間を滑るように去って行った。
彼らは一体何者なのか。通信記録に識別コードが残るはずだが、確認は基地に戻ってからだ。
《はぁ……先輩がこっちだって言ったから来たんですけど》
《止めなかったシュイ君も悪いと思うね》
《そうかもしれませんが》
《あっ、シュイ君待つんだ! 右のサーボがいかれたかもしれん》
《じゃあ左も──》
《待て──》
通信機越しの二人の声は、徐々にノイズが混じりやがて途絶えた。
◇
リダとパラドは脱走した。
やはり計画は以前から練っていたようで、リダは本来持っていないはずの地上エレベーターのパスを使っていた。調べると、パラドが「紛失した」と偽りゲスト用のパスキーを入手していた記録が見つかった。
ARWへの移送が決まった時点でリダの私物はすべて押収されている。彼は着の身着のまま何一つ持たず、今ごろどこかで誰かに匿われているのか、それともまだ逃亡を続けているのか。捕猟任務のない日は連日地上に駆り出され二人の捜索を行った。
彼らの離反がもたらした影響は決して小さくはない。
羽化計画はいよいよ絶望的となり──いや、そもそもSQRは最初から無理だと言っていたのに、他の保護区の奴らが勝手な妄想で期待しすぎていただけだ。
それでも結果として、SQRの立場は悪くなった。
もしARWの実験が成功すれば面目が立たないため、意図的にリダを逃がしたのではないかという言いがかりには、怒りを通り越して呆れるしかなかった。
「ノイ、その……気にするなよ。誰もお前のせいだとは思ってない」
私がふさぎ込んでいると、アッシュは決まってこのように慰めてくる。
それさえも私を苛立たせる。
この私が止められなかったのだから、他の誰にも不可能だったはずだ。傲慢に聞こえるかもしれないが、パイロットとしての腕も格闘術も、パラドを除いて私を上回る者はここにはいない。皆、繭の段階で回収され保護区の中で平和に育てられた者ばかりだ。森を知らないネイヴルたちが私の実力に口を出すなど心底嫌気がさす。
「当たり前だ。あと気遣いはいらない」
「……わかったよ」
アッシュはかすかに微笑んで手を振ると、気だるげに機体に乗り込んだ。
【Chapter4 ノイアー】 fin




