EP2 『油の海』(あぶらのうみ)
人間という生物が保護区という囲いの中で暮らしている。第1から第5までの保護区があり、我々は第2保護区を管轄するSQRという組織である。
森から離れた場所で、仲間たちがこんな世界を築いているとは夢にも思っていなかった。
文化にも言語にも一か月で慣れた。なんせ二十年間、森の中を一人で生き抜いたのだ。私の適応能力を舐めてもらっては困る。
「いてて……やっぱ野生にいただけあるな」
彼の名はアッシュ。野良だった私を見つけてくれたパイロットで、ここでは私の教育係だ。
「もし触手と後肢が揃ってればパラドでも勝てないんじゃないか」
「はぁ? あり得ねーから」
腕を組んで笑うこの男は、同じくパイロットのパラド。格闘演習では彼に負けてしまったが、アッシュの言う通り体が万全なら私の圧勝に違いない。衛生局のクレインに頼んで早く触手と中間肢を作ってもらわねば。
「来週には、ノイにもMeXRに乗ってもらうぞ。統括官の許可は下りてる」
「了解した」
私には「ノイアー」という名前が与えられた。アッシュにはノイという愛称で呼ばれている。
ここでの私の使命は、MeXRという兵器に乗って同胞を──エクストラを狩ること。私が岩虫と呼んでいたものは彼らが発明した兵器だった。私にはそれを動かす才能があるらしい。
「その前に、ノイもそろそろ地上に出てみるか。人間の生活を知るのも大事だ」
「了解した」
「パラドとリダも来ないか?」
パラドは「俺はパス」とそっけない反応だ。
EP2 『油の海』
アッシュと二人で初めての地上へ行くことになった。
地上へのエレベーターは、コライユ市の中心にあるホテルに繋がっている。地下と地上を行き来するための偽装施設だ。
「教えた通り、俺たちはこの街で正体を隠して生きている。外では人間らしく振る舞うんだぞ」
ホテルを出た私は久々の太陽に息を呑んだ。
地下が鉄の巣なら、地上は鉄の森だ。土や植物が見当たらないのはどちらも変わらない。
『SQR本部、市民生活局よりお知らせします』
街中のスピーカーから大音量で、人間の声が鳴り響く。
『本日、第2保護区内の燃料備蓄率が70パーセントを下回りました。
安定した電力供給を維持するため、本日正午より保護区全域で節電措置を実施します。
不要な照明、電熱機器の使用はお控えください。
区民の皆さまのご理解とご協力をお願いいたします。
繰り返します。本日──』
アッシュが「最近は捕猟もさっぱりだしなぁ」とぼやいた。
エクストラの体液、エーテル。
専用の希釈液で何百倍にも薄めたものを流通させているが、それでも十分な熱量を持つ。車、家電、街を縦横無尽に走るレールポッド──保護区での生活は何においてもこのエーテルが必要だ。
私も一歩間違えれば、あの看板を照らす明かりの一部になっていたということだ。
「他の保護区は大丈夫なのか?」
「第5が一番まずいな。余裕のある第1から電力を回してるけど、数年前からそれが常態化してる」
駅の構内でハーブティーという飲み物を買い、柱にもたれて人波を眺める。
アッシュは「人間が増えすぎた」と小さく言った。
「六つ目の保護区を作るという話も出てる。まあ、それで燃料不足が解決するわけじゃないけど」
食料と寝る場所さえあれば、私は十分だと思うのだが。
私とアッシュは電車に乗り「海」という場所へやって来た。
「酷い臭いだな……」
「あんまり近づくなよ」
海岸沿いには、真っ黒いドロドロしたものが一面に浮かんでいた。
「なんだこれは?」
「使わなかった歴青をここに捨ててるんだ」
「海とは……酷い場所なんだな」
防波堤の上から濁った波を見下ろした。政府が歴青を捨てるだけでなく、ついでと言わんばかりに住民たちもゴミを放り込んでいるらしい。
「歴青とはなんなんだ?」
「難しいけど……道路の材料になるやつだよ」
「黒いやつか?」
「そう、アスファルトっていうんだ」
アッシュは地面を指さした。
「他にも、これを建物の隙間に塗って雨を防いだり、石や鉄をくっつけるのに使ったり」
「よくそんなことが思いつくな」
「先人の知恵だね」
アッシュが防波堤から飛び降りる。
海の悪臭が鼻をつき、あまり居座ると具合が悪くなりそうだ。
「そうだ、歴青にはもうひとつ使い道があった。"薬物"だ」
「薬物とは?」
「うーん……嫌なこととか、難しいことを忘れさせてくれるものかな」
「何のために?」
「そうしないと生きていけない人間もいるんだよ」
よく分からないが、その薬物とやらも歴青からできているらしい。
一種の娯楽として人間社会には出回っているという。我々ネイヴルが薬物を使えば命に関わるため、絶対に使うなと釘を刺された。
「人間たちは歴青について何も知らない。採掘場で働く人間も、自分たちが何を集めているのか理解していない。自分たちが何も知らないということさえ知らないんだから何の問題もないんだ」
海の先には大地も森も見当たらなかった。アッシュは、水の塊がどこまでも続いていると教えてくれた。
「俺たちの目的は人間社会の発展じゃない。人間はエーテルに頼りながら生きて、海の先や森の外には興味を持たず、最期は柔らかいベッドの上で、悪くない人生だったと思いながら死んでくれればそれで十分だ」
濁り切った汚泥の海。
その先に行ってみたいなど、微塵も思わなかった。




