EP1 『鉄の巣』(てつのす)
我々は仲間を食う。
この森では珍しいことではなく、誰かが腹を空かせれば弱い者から食べられる。同じ群れの仲間だろうと生みの親だろうと関係ない。私のように体が小さく力もない個体は、群れにいること自体が危険だった。離れた場所で息をひそめ、食い散らかされた残骸を食べて生き延びた。
この森にはもう一つの脅威がある。
たまに、二足歩行の甲殻の虫が、我々の住処を襲うことがある。
私はそれを"岩虫"と呼んだ。岩虫は我々を狩ると食べることもなく死骸をどこかに持っていく。岩虫の独特な振動は、遠くにいてもすぐに分かる。私は意を決して「奴らが来るから逃げろ」と仲間に伝えたが、やはり私の言葉は分からないのか、はたまたちょうど腹を空かせていたか、獲物がやってきたと言わんばかりに私に襲い掛かった。
仲間が私の肢を噛む。逃れようと暴れた衝撃で片方の触手が折れ、私もついに死ぬのかと思った時、仲間の胴体が明るい光とともに砕け散った。
岩虫だ。
彼らは太陽のように熱く明るい石で、我々の外骨格を軽々と粉砕する。群れは岩虫によりあっけなく壊滅させられた。
《お前、知性があるのか》
脳内に言葉が響いた。岩虫はこちらを襲わず、私も彼らを襲わない。
「私は……」
岩虫が、もう一匹の岩虫の方を向いて《高知能だ。連れていくぞ》と言う。
《繭になれなかったのか?》
「まゆ?」
《どうやって生きてきた?》
「分からない……死なないようにしていた」
《幸運だったな》
私が長年望んでいた"対話"だ。千切れた肢の痛みも、この感動の前では何も感じない。
光を吹きながら別の岩虫がやってくる。
《どうした、アッシュ》
《パラド、こいつはネイヴルだ。言葉が通じる》
《マジで?》
《野良の群れの中にいた。分遣隊も気づかなかったんだろう》
岩虫が《そりゃ大変だったな》と私を見て言う。
《行くぞ。ついてこい》
行くとはどこへ?
聞き返した私に、最初に話しかけてきた岩虫が静かに答えた。
《君のいるべき場所だ》
EP1 『鉄の巣』
四本の肢に柔らかい表皮。硬い殻も牙もなく、感覚毛は頭のてっぺんにだけ生えている。
これが私の新しい姿だ。私はもう虫ではなく「人間」という別の生き物になったらしい。
「人間の姿を借りているだけで、人間ではない。我々は"ネイヴル"だ」
彼はクレインという名のネイヴル。クレインは「やられたのが中間肢でよかったね」と私の背中に手を添えた。
「君の前肢は腕となり、後肢は足となった。中間肢はまぁ、あってもなくてもこの身体では困らない」
「触手は……」
「一本でもどうにかなるよ。望むなら作ってあげるけど」
額の辺りにある感覚毛(ではなく髪と呼ぶらしいが)に混じって、一束飛び出ているのが私の触手だ。
クレインの触手がどうなっているか気になったので、髪をわしづかみにして探ってみた。彼は「はは。野良育ちが俺に触るな」と私の手を払いのける。
「お腹を見てごらん」
「……?」
「臍。人間の腹にある無意味なシワのことだ」
「ほう」
これは何に使う器官なのか。
「別に何にも使わない。でも、ないと不自然だ」
「ふむ」
「俺たちは人間そっくりの姿になれるが、臍だけは再現できないんだ。だから俺が手術で作ってやってる」
意味はないが大事なものらしい。
クレインの表皮(ではなく服と呼ぶらしいが)をめくって確認した。確かに、腹の真ん中に同じような窪みがあった。
「はは、お前は率直に言って不快だな。マリセラが戻ってくるまでどこかで時間を潰していろ」
そうして私は小さな洞窟から追い出された。
この森は川のせせらぎも小鳥のさえずりもない。光にあたっても暖かくはない。すれ違う仲間がいつ襲い掛かってくるかと身構えるが、私をちらと見て通り過ぎるだけだ。
「見ない顔だね。もしかして、野良育ちのネイヴルって君のこと?」
弱そうな匂いのネイヴルに話しかけられた。
なんとなく、彼についていく。
「パラドから聞いたよ。よく森にいて無事だったね」
「時間を」
「何?」
「時間を潰せと言われた」
「へぇ」
彼が四角い葉で岩の壁をこすると、驚くべきことに目の前に花畑が広がった。真ん中には黒くてツヤのある三本肢の虫がおり、触手を向けたが生命の匂いはしない。
「僕の名前はリダ。ちょうどよかったね、僕は人の時間を潰すのが得意なんだ」
リダが黒い虫に触れると心地よい振動がした。私は倒木に座り肩の力を抜く。
「私はおかしな世界にいたんだ。親が子どもを食う。友が友を食う。……この鳴き声はなんだ?」
リダは「これはピアノだよ」と黒い虫の名前を教えてくれた。
「リダは、どれくらいこの森にいるんだ?」
「三年」
「さんねん?」
彼は少し間を置いて、「君たちが孵化してから大人になるまでくらいの時間だ」と付け加える。
音を聞いていると眠たくなってきた。目を閉じ、触手を震わせリダにいくつか質問をする。ここはどこか。私は何者か。
「もしかして共振しようとしてる?」
「ああ」
「僕には触手が無いから分からない。普通に話してほしいな」
触手が無い、とは。
そうか、彼も私と同じように過酷な環境にいたのだろうか。「あなたも大変だったようだ」と言うと、リダは「君ほどじゃないさ」と笑った。
本当に触手が無いか髪をまさぐってみると、リダは「ちょっと……」と手を止める。そして、背後から「おい」と低い声がしたのと同時に私の腕を掴まれた。
「何やってんだ」
近づかれたのに気づかなかった。
私が答える前に、リダが口を開く。
「パラド、彼に悪気はないんだ」
「分かってる」
リダの頭から手を引き離され、鋭い眼光で見下ろされた。パラドという名に聞き覚えがあり、私が「あの岩虫の!」と言えば、パラドは「岩虫?」と苦笑いする。
「リダ、悪かった。クレインには、マリセラが来るまで面倒見とけって言っといたんだけど」
「構わないよ」
「おい、行くぞ」
私はまたどこかへ連れていかれるらしい。パラドに肩を叩かれ立ち上がった私にリダが声を掛けた。
「音楽が聴きたければ、またここに来なよ」
リダは口の端を上げた。その仕草で心が落ち着いたので、私も同じように唇を持ち上げてみた。
パラドやクレインと違い彼はとても優しい。
森で私が求めていた"思いやり"を持ったエクストラだ。




