EP3 『虫の知らせ』(むしのしらせ)
リダの家で漫画を読みながらレコードを聴いていると、マリセラから共振が入った。
《ルースが見つかった。ザンクが本部に連れてきたようだ》
ザンクって確か、うちの元職員じゃなかったか。
レコードの針を持ち上げ触手を震わせて答える。
「ザンクがですか?」
《ああ。経緯は本部で聞くとしよう》
「俺もすぐに戻ります」
俺たちネイヴルは、遠くにいる者と空気の振動で会話ができる。リダに「直せ」と言われた寝癖はまさに触手の名残なので、ジェルを付けたりピンでおさえたりもできない。
人間に擬態しても、エクストラとしての機能は所々に残っているということだ。
《パラド、今どこにいる》
「リダの家です」
《なぜ?》
「なぜってほら……逃走先が分かるような手掛かりがないか探してるんですよ」
漫画をパラパラとめくる。本棚から適当に持ってきたものだが何が面白いのかさっぱりだ。
《やつの親も一緒か?》
「リダに両親はいません。親代わりの人間が近くに住んでいますが」
《ルースは一週間ほど家に戻れないだろう。怪しまれそうか?》
どうだろうか。養母は、独り立ちしたリダとはあまり会わなくなったと言っていたが不安要素は潰しておきたい。
「しばらく俺と旅行に行く、とでも言っておきましょうか?」
《そうしろ》
共振を聞いていた他のネイヴルが、《では、病院と職場には自分が手を回します》と割って入る。
いやぁ、リダが見つかって一件落着。
とはいかず。
《パラド。無知なお前に教えてやるが、レコードとはその回っている円盤に針を置いて使うものだ。本は右から読むものだ。戻ったら覚えてろよ》
最悪だ。帰るのが一気に億劫になった。
空回りするディスクの振動、紙をめくる空気の揺れ、すべて俺を通して感知したようだ。というか右から読むのか。どうりで話が滅茶苦茶だと思った。
会話が終わったので針をレコードの上に戻した。音楽は良い。人間の言う音色というものは俺たちには分からないが、空気を伝って感じ取れるこの振動は好きだ。
EP3 『虫の知らせ』
俺たちはリダを広い部屋と豪華な食事でもてなした。
彼は、ゼリーに見立てたエクストラの幼虫の体液を「美味しい」と平らげた。ザンクがヴァルミリン(エクストラの脂肪体を精製した栄養液だ)を飲ませたと聞いたから、おそらく成虫を食っても問題はないだろうが、まずは毒性の低い幼体から与えてみる。
「リダ、体調は?」
「元気だよ」
彼は今までエクストラを食べていなかった。肉や野菜など、人間の食べ物から得られる栄養では限界があっただろう。
彼の体はエクストラに変容している。あの毛むくじゃらのデカい蜘蛛になるわけではなく、要は俺たちと同じ存在になったという話だ。
元人間だと言われなければ気づかない。
今回のリダのケースは、保護区の歴史を変えかねないレベルの大発見と言える。俺たちネイヴルが、理論上は可能だとされた人間のエクストラ化にここまで固執するのは、まさにそれが『羽化計画』に必要な要素だったからだ。
エクストラ化した人間の血はエーテル燃料になる。
人間を家畜として利用する考えは昔からあった。ネイヴルの目的はあくまで「自分たちにとって安全な生存圏を作ること」であり、人間の保護や人間社会の発展はその副産物でしかない。人間が増えれば増えるだけ燃料の需要は増加し、ネイヴルが必要以上に危険を冒して捕猟に行かなければならない今の状況は本末転倒だ。
人間を燃料源にすれば人口も調整でき、森でエクストラと戦うよりもはるかに安全だ。この計画を実現すべく、人間をエクストラ化する研究が進められていたが大した成果は得られていない。SQRも過去に数多くの人体実験を行ったが、エーテルを投与された被験体は例外なく死んでいった。
今後の政府の目標は、リダの体に起きた変化を再現可能な技術に確立することだ。
「え、僕がSQRの専属ピアニストに?」
食後、マリセラの執務室でそう告げられたリダは当然ながら驚いた。今はとにかく彼をここに縛り付けておく理由が必要だ。
「どういうことですか……?」
「職員のメンタルケアも必要だと考えていたところでね」
「良いことですね……でも、それなら僕よりも上手な人はたくさん」
「パラドが君の演奏を気に入ったと言うんだ。どうしても君じゃないと駄目なんだよ。どうしても」
リダは、あからさまに嫌そうに俺を見る。
「お言葉は嬉しいんですが……Rizを辞めろということですか? メリディアルタワーの近くにあるジャズバーに勤めているんです」
「いずれは辞めてもらう。我々は政府だ。私やパラド含め、他の職員もそうであるように、ある程度閉鎖的な生活は受け入れてもらうことになる」
マリセラの笑みは不気味なことこの上ない。
この男、外面だけは良いから厄介だ。
かくしてリダはSQRの職員となった。
しばらく隔離し様子を見たが、エクストラを食べ始めた彼の体調はすこぶる良い。急に倒れることもなく、本人も「薬を飲まずにここまで調子が良いのは久々だ」と喜んでいる。
医療担当である衛生局のクレインは、リダの頭痛の原因を特定した。
「体組織はエクストラ化しているが触手がない。市街で我々の共振が行われるたび、傍受はできるが処理できず頭痛や動悸などの不調として現れたんだろう」
そういえば俺もリダと話した時、面倒くさがって何度か共振を使っていた。やたら俺の目の前で倒れる奴だと思っていたが、言われてみればどれも共振をした直後だった。
知らなかったとはいえ悪いことをした。
「よく人間の薬で抑えられたもんだ。人間にも頭の良い奴はいるんだね」
クレインは感心した。
こいつが他人を、それも人間を褒めるのは珍しい。
「触手がないと、これからも具合が悪くなるのか?」
「そうならないよう処置しておいた」
「触手は作ってやれねえの?」
共振ができないのは不便だし。
クレインは「その必要はないだろ」と鼻で笑う。
「我々の目的は人間を家畜化することだ。家畜に耳はいらないよね」
「……お前のそういうところが嫌いだ」
「そちらこそ、家畜と友達にはなれないぞ」
いけ好かない奴ばかりだ、ここの連中は。
一週間後にはリダの外出許可が下り、引っ越しが進められた。
俺は「部外者に秘密を洩らした」として外出禁止を言い渡されていたため、引っ越しを手伝ってやることはできなかった。確かにあの時の俺はリダを仲間だと勘違いし、自分がガーディアンだの定例会がどうだのとペラペラ秘密を喋りまくった。
リダは名目上はうちの職員ということで、所属は「衛生局」となった。俺の所属する防衛局とは部門も異なるが、部屋は特例で隣にしてもらった。
「漫画読みに来るわ」
「……」
本人は相変わらず複雑そうな顔をするが、少しでも仲の良い奴が近くにいたほうがいいと思う。
「……読みたい分だけ持ってけよ」
リダは段ボールを抱えたまま、覇気のない声で言った。
◇
それから一か月後。
リダが所望したグランドピアノが本部に届いた。SQRが提供するという話だったが、なんと彼は自腹を切った。
「すごい! 大きい~!」
「中古だけどね」
「リダくんってピアノ弾けるんだ! かっこいい! 私ってば音楽なんて全然分からないからほんとダメな子。リダくんに何ひとつ勝てないよ!」
リダは引きつった笑みを浮かべ「そんなことないよ」と返すので精一杯だ。悪いが慣れてもらうしかない。
月に一度の外出日だった今日、彼はRizへ顔を出しピアノを買ったことを周囲に自慢したらしい。皆に羨ましがられていたことを、俺の代わりに付き添った同僚のビスタから聞いた。
SQRに入ったことを公言しRizを退職しているが、外出日には店に立ち寄り交流を続けているようだ。
一か月もたてば検査も落ち着き、彼は当初の予定通り本部の庭園でピアノを弾く日々を送った。リダがここで弾くのは、店で聴いたのとは違う眠たくなるような曲ばかりだ。
そのうちSQR職員の悩み相談窓口のようになり、庭園のベンチにはいつも誰かが座って彼と談笑していた。ここにいる職員はみんな何かしら役割を持った者同士、忙しい日々を送る。リダだけは何だか暇そうだから話しかけやすいんだろう。
とはいえ、彼はまだ自分がここにいる本当の理由を知らない。彼の元を訪れる職員の中には監視目的である者もいる。羽化計画の核心に迫るような発言は制限され、すべての職員がそれを守っている。
リダが鍵盤を叩くたび、空気の震えが頭の触手を通して心地よく伝わってきた。仮に羽化計画が実行されたとしても、政府はリダやその周囲の人間が無事でいられるよう取り計らうだろうし、社会の上位者であるネイヴルの仲間でいられるなら本人も本望だろう。
【Chapter3 パラド】 fin
※エクストラとネイヴルの違い
作者自身にも、分かりづらいという自覚があるので補足します。
■エクストラ=大きい蜘蛛
■ネイヴル=人間の姿をしたエクストラ
つまりネイヴルはエクストラの一種です。
大きいエクストラ、小さいエクストラ、肢の短いエクストラ…生き物なので様々な個体がいますが、その中でも「人間の姿になったエクストラ」を、特別に「ネイヴル」と呼んでいます。
リダがネイヴルと呼ばれない理由は、「元々がエクストラではない」ためです。




