2章の1 王の従兄の謀
第2章
ハリユ王国は建国からおよそ四百年を数える。
国土の半分は沙漠に覆われ、ゆえに水源に恵まれた緑溢れる都ロンは、乾いた道を渡ってきた旅人が文字通り生き返る気持ちを味わうと評判だ。
初代の王がロンを都に定めたのは、利便性のためだった。
有事であれば、攻めるにも守るにも適した用地。太平であれば、海と陸との交易で豊かな国を築けるだろう。
その読みの通り、現在ロンは交易の要所として栄えている。
しかし建国当時、この地には悪しき魔神が溢れ、疫病が流行り、旱魃が続き、人々は恐々と生きていた。
王は神に祈り続け、ひとつの壺を授かった。
そして王はロンの四方を巡り、その壺にあらゆる災いを封じ込め、この地を健やかなものにしたという。
その伝説をなぞり、五年に一度、国王は壺を持ち城壁にある四つの門を回って、守護を繰り返す。
ゆえに都は平穏である――と歴代の王は主張し続けた。
事実から遠いにしても、外敵の侵入を許したのは二百年前と百年前の二度だけ。
旱魃は数回あったが乗り越えている。
守りは十分に役に立っていると言えよう。
少なくとも王家はそう考えていたし、民衆はそれを信じていた。
「陛下?」
呼ばれて、サヒードは書類から顔を上げた。
侍従の取り次ぎを待たずに入ってきたらしい、父の弟の息子――従兄のイクレムがにこやかに立っていた。
縁のない白い帽子に大きな碧玉が飾られている頭部から、金糸銀糸で飾られた靴を履いた足元まで、一分の隙もない装束に身を包んでいる。
細面の貴公子然として、一部の侍女がのぼせ上がっていると聞く。
およそ一年前、父王サウィルの崩御に伴い、王太子であったサヒードは即位した。
幸い太平の世であり、この一年は何事もなく政務を執ってきた。
もっとも、南のビジで起きた代官の横領の始末や、海賊被害が頻発する西の海の警戒など、考えねばならないことは山のようにある。
役目を果たし損ね恐縮している侍従を下がらせ、サヒードはイクレムに声をかけた。
「どうかしたのか、イクレム? 歴史書の制作に何か問題でも?」
イクレムの肩書きは、文書省に三人にいる大臣のひとりであるが、主な仕事は国の歴史書の作成だ。
古文書や異国の本を集め、この国の歴史をできる限り忠実に残すための部署だった。
大切な部署ではあるが、権力欲の強い者にとっては閑職に等しく感じられるだろう。
サヒードは、イクレムにその地位を与えた。
政の中心に遠く、そこそこ重要な役であり、王の従兄の地位として無難だと思ったからだ。
イクレムは、サヒードを恨んでいるに違いない。
だが、サヒードが王なのである。
「歴史書のほうは専門家がしっかりやっているから、わたしはできあがりに目を通すだけだ。墨だか筆だかが入り用だと言っていたから、あとで一覧になって届くだろう」
「そうか」
「その歴史書に記載されるべきハリク王子について、そろそろ立太子の儀ができるんじゃないのかと思ってね」
サヒード国王の第一子であり長男でもあるハリク王子は、日々健やかに成長している。
国王の長男が生まれてすぐに王太子となった例も多いが、サヒードはそうしなかった。
父王の崩御一年内の喪中にハリクが生まれたからである。
そして喪が明けたここしばらくは、様々重なってなかなか時間が取れなかった。
「国王が若いからといって、いつまでも王太子不在というのも、心許ないだろう。王子がいるのだし、わたしとしては正式に世継ぎとして知らしめることをお勧めする」
そう真剣に訴えるイクレムに、サヒードは表情を変えることなく告げた。
「案じてくれたことに感謝するよ。この祭が終わり次第と、ワクトとも相談しているところだ。なんやかやと、することが多くてな」
「そうか。いまは祭のほうが大変か。母上とも話をしていたんだよ」
「イスヴァ叔母上が何か?」
「いや、祭の準備はどうだろうと思ってね。きみが即位してからはじめての儀式だ」
何か手伝えることがあったらなんでも言ってくれ、とイクレムは胸を叩く。
「ありがとう。だがわたしもワクトも要領は心得ている。問題なく準備は進んでいるよ」
「そうか、なら安心だ。そうそう、肝心の壺は――。ああ。それかい? いつもは王の私室に置いてあるんだろう?」
イクレムは寄って行って、物珍しそうにぐるりと眺め回す。
サヒードの脇には、水差しほどの大きさの壺が、赤い天鵞絨の布の上に置かれていた。
首が長く、腹の部分は丸みを帯びた青銅の壺。口のところに六芒星を刻んだ鉛の封印があり、手形のような模様がついている。
「実際持って歩くのはワクトだからな。一度見せておいたほうがいいだろうと思って、出してきたんだ」
「宰相閣下は大仕事だな。ああ。そういえば、弟君に母が見合いを勧めたら、はぐらかされたようだよ。きみはどう思う?」
「ラシードよりきみのほうが年長だ、イクレム。先に話をまとめなければならないのは、きみだろう?」
「さすがに兄弟だな。弟君は同じようなことを言ったそうだよ。まあ、確かに。年齢順で行けばね」
肩をすくめるイクレムに、サヒードはほんのかすかに目を細くする。
「本来なら、一歳とはいえ年長のきみのほうが、わたしより先に妻を迎えるべきだったのだろう。申し訳ないことをした」
「いいや、まさか。世継ぎをもうけなければならない国王の責務があるからね。きみとわたしでは優先順位はきみが上だよ、もちろん」
イクレムはどこまでもサヒードを立てる。
「しかし、わたしと弟君でもまた立場が違う。彼は王弟だし、あの瞳は使いようによって」
「イクレム」
ふいに不穏なまでに低い声を出したサヒードに、イクレムは慌てて両手を上げた。
「ああ、わかっているよ。きみが彼を可愛がっていることは。だがきみも気を付けたほうがいい。彼はいつも図書室にこもっていて、何を考えているのかさえわからない。わたしは臆病者ではないつもりだ。しかし、数回会っただけが、彼の瞳はなんともいえず、恐ろしかった……」
「わたしにとってラシードは唯一の、しかも同腹の弟だ。二度と口にしないでくれ」
サヒードは半ば本気で顔をしかめていた。
がっしりとした体つき同様、サヒードは父親似で、美男子の部類に入るわけではない。とはいえ、セフィアの血ももちろん入っているため、ふとした表情にひとを惹きつけるものがある。
その表情は闘うときのものだ――と宮廷人にはまことしやかに囁かれていた。
イクレムはそれを思い出し、顔色をなくした。
「す、すまない。では、わたしはこれで失礼するよ。あ、やあ、ワクト宰相閣下。大役を頑張ってくれたまえ」
「これはイクレム様」
そそくさと挨拶をして、恰幅の良いワクトの脇を、イクレムは素早く通り過ぎていく。
「――陛下?」
「大丈夫。問題はない」
何事もなかったように、サヒードは壺を眺め、書類に目を戻した。
◇ ◇ ◇
イクレムは王宮をあとにして、自分の宮殿に着くや、母の居室に赴いた。侍女を下がらせ、腹心の従者であるギーライを呼びつける。
「まだ見付からんのか!」
「申し訳ございません」
その剣幕に、白いターバンを床にこすりつけそうなほど頭を下げ、三十歳ほどの男性――ギーライはただひたすらに平伏する。
従者の見習いをさせるために、しばらく前に見つけた同郷だという十三、四歳の少年――ミラルも脇でそれに倣っている。
「わたくしが王太后のところにいるときに、ラシードを急に呼びつけていましたから、あちらも慌てているには違いないでしょうけど」
ゆったりと座椅子にくつろいだイスヴァがそう言うところに、イクレムはギーライを叱責する。
「母上のお手まで煩わせおって!」
「あの気味の悪い子と目が合うかと思うと、恐ろしくてたまりませんでしたけれど。これもあなたのためだと思えばこそ堪えられましたわ、イクレム」
「ありがとうございます、母上」
麗しい母子の会話だが、イスヴァの持ってきた情報など、なんの役にも立たないに等しい。
国王たちが慌てふためいているのはわかっていることだ。
そして、それを必死に隠そうとしていることも。
ギーライは、しかしただ沈黙を守る。
「祭までに見つけ出せ。それと偽物を作った職人を探せ。サヒードの元に壺があった」
「まさか。盗むことには成功しておりました。陛下の私室からはちゃんと」
「ああ。だからこそ、いまあるあの壺は偽物だ。よくできた壺だったぞ。それなりの職人でなければ無理だろう。さもなければ、それ相応の商人をあたれ」
その推理に、イスヴァがころころと声を上げて笑った。
「なるほど。さすがわが息子です、イクレム。わかりましたね、ギーライ?」
「はい、承知いたしました」
壺が失われたことに気づいた王が、密かに職人に命じて偽物を作らせたに違いない、とイクレムは考えているのだ。
「ザフラめ――。まったく余計な手間をかけおって!」
盛大な舌打ちが響く。
歪んだ表情が、青年の本性を現しているようだった。
「ギーライ! おまえの計画は穴だらけだな! 少しも順調に運ばん! おまえの言う通り、危険をおかして三ヶ月かけてザフラをたらし込んだというのに!」
王の侍女をたぶらかすという火遊びを、喜々としてやっていたのは高い棚の上に放り投げている。
その怒りをかいくぐるように、ギーライは報告する。
「ザフラが逃げ込んだ魔術師を、探している者がいるそうです」
「アイディか? サヒードのそばにいなかったな」
「いえ、少年だとか。ミラル?」
ギーライが促すと、少年が無表情に小さく頷く。
「はい……」
薄気味悪そうにしながら、イクレムが問う。
「では、ラシードではないのか?」
「ラシード様もアイディと城下へ出ているようですが、どうやら別人のようです」
「魔術師を探して何をしようと言うのだ」
苛々とイクレムは部屋を動き回る。
ギーライとその手下だけでは人数が足りないが、堂々と探せるものではない。
しかしそれはサヒードも同様のはずだ。
「その魔術師を探しているガキを締め上げて関係を吐かせろ。何かこちらの知らない手がかりがあるかもしれん。とにかくさっさと探し出せ」
「励みなさい、ギーライ。遊牧民出身のおまえが、十五年以上もかけて手に入れた地位を失いたくはないでしょう」
「は」
ギーライは十三の年に、存命だったジャリルの屋敷の下男になった。
遊牧民の出身だが、父母はなく、一族ともそりが合わず都に仕事を求めて出てきたのだ。
イクレムが九歳のときだった。
ちょうどジャリルが出かけようとしていたときに、門前で行き倒れていたところを救われたのだ。
下男から始まり働きぶりが目を引いてジャリル付きの小姓になった。
そうしてジャリルは十歳を過ぎた息子に、ギーライを従者として与えたのだ。
五年前、亡くなる直前に、ジャリルはギーライの手を握って、イクレムのことを頼みいままでの感謝を述べた。
「あなたがいまあるのはイクレムのお陰でしょう? 誠心誠意努めるのですよ」
イスヴァの言葉に、黙ってギーライは頭を下げた。
基本的に水曜日と土曜日に投稿しています。
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