2章の2 祖父と孫娘
東門寄りの自宅にファリーヤが戻ると、祖父が買い付けから戻っていた。
老齢のためあまり遠出をしなくなったが、今回は異国の商人との大切な取引があり、自ら出向いていたのだ。
実に十日ぶりの帰宅である。
「お帰りなさい、お祖父様。もう少しかかるかと思ってたわ!」
「おお、ファリーヤ。順調に商談がまとまったのでな、早く戻ったよ。おまえに、お土産もあるぞ。大粒の真珠が手に入ったんだ。首飾りを作ろうか、それとも腕輪にするかね?」
立派なあごひげを蓄え好々爺にしか見えない祖父が、商人仲間には切れ者だの識者だの言われているとは、にわかには信じがたいものがある。
「お祖父様。真珠の首飾りならもう三つもあるし、腕輪も五つあるわ」
「では、それをしまう小箱の装飾にでもしようか」
孫娘に目尻を下げっぱなしの姿は、使用人にはなかなか見せられない。
女中が用意してくれた甘い珈琲を飲みひと息ついてから、タリクはファリーヤを向いた。
「さて、わしがいなかった十日のことを教えておくれ。今日も出歩いているようだし、何があったね?」
「え、えっと、あの」
言い淀みつつ、ファリーヤ正直に告げた――少々、黙っている部分があるにしても。
「三日前に、ダレイスのところへ行ってきたわ。そしたら、ダレイスはちょっと出かけてるみたいでいなかったけど、ラシードに会ったの」
「ラシード……。どこのラシードだね?」
「アビアドの離宮にいたでしょう? ラシード王子様」
ああ、と祖父が合点し、思い出したように笑う。
「そういえば、アビアドの旅行から戻ったあとしばらく、おまえは荒れて大変だったな」
「……子供の頃の話でしょ」
「ラシード様に手紙を書くと言って、文字の勉強をしたな。あれほど勉強嫌いだったというのに。そしてやっと覚えたものの、手紙を出すことはできないと知って、ずっと泣いておった」
自分でもよく覚えているため、気恥ずかしい。
あの頃は、手紙を出せない大人の事情など、さっぱり理解できなかった。
しかし、いまならわかる。
セフィアは国王の不興を買っており、第一妃とはいえ昵懇になるには、それ相応の覚悟が必要だったのだ。
そしてタリクは、その覚悟を持つわけにはいかなかった。
彼には守るものが、多くあったから。
「そうか。セフィア様とラシード様を、サヒード陛下が都に呼び戻されたんだったな。そういえば、殿下方がお帰りになっても、おまえは手紙手紙と騒がなかったな。まさか忘れてしまっていたわけではないだろうに」
「忘れてなんかないわよ、もちろん。でも相手は王宮に戻った王子様よ? そんな簡単に出せるとは思ってないし、向こうが覚えてるとも思ってなかったもの」
「再会した殿下は、おまえのことを覚えておいでだったのかね」
「うん」
ふわりとファリーヤが笑うのに、つられたようにタリクも笑う。
「そうか。それで、殿下がダレイスのところになんの用だったのかね?」
「えと……。探し物の依頼みたいよ?」
視線を泳がせた孫娘を明らかに疑っている様子だったが、祖父はただため息をつく。
「何度も言うが、おまえが奴のところに行くのは反対だよ。わしは魔術師に用はないし、おまえが魔術師になりたいなぞ、とんでもない話だ」
「でもダレイスは薬屋でもあるのよ。あたし、ちゃんと売り上げてるわよね?」
「商売相手は選ぶべきだ。信用のないもの相手では、商売そのものがなりたたん」
「信用できるわよ」
「魔術師が?」
お祖父様、とファリーヤが軽く頬を膨らませる。
「ダレイスはいい魔術師なのよ。一昨年はさらわれた貴族の子を無傷で取り戻したし」
「親から随分と謝礼があったそうだな」
「去年、ひどい風邪が流行ったときもよく効く薬を格安で」
「薬の材料はおまえが小遣いをはたいて持って行った」
ふんとタリクは鼻を鳴らす。
「そもそも腰が据わっておらんのだ、あれは。ふらりふらりと女癖も悪いというのに、おまえにおかしな噂でも立ったらどうするつもりだね」
「そんな噂になんかならないわよ」
「絶対とは言い切れんだろうが」
孫娘は小さくため息をついた。
今回ばかりはすべてを包み隠さず話すことはできそうもない。
ダレイスが壺を盗んだ侍女と共謀していると疑われています、とはとてもではないが言い出せない。
「ええと、あ、そうだ。ラシードがね、本が欲しいって言ってたわ」
孫娘が話を逸らそうとしていることは明白だったが、タリクはそれに乗った。
「ほう、そうかね。あの方は幼い頃から書がお好きなようだね。ちょうどいい。薬草の本や東海の探険記があったはずだ。おまえ、明日にでも見繕ってうかがいなさい」
「え。薬草の本は、あたしがお願いしておいた本じゃないの?」
「もちろん、お客様優先だ」
商人の性とはいえ、悲しいものがある。
気を取り直して、ファリーヤは祖父の指示を確認する。
「でも、王宮よ? これからのことも考えて、お祖父様が行ったほうがいいんじゃない?」
「ラシード様はおまえに注文なさったんだろう? なら、おまえが行くべきだよ。わしは帰ってきたばかりで疲れているし、留守のあいだの店の確認もしたい」
それとも、とタリクは意味ありげに続ける。
「おまえは、他に何か忙しいのかね?」
「……行ってくるわ」
そう答えるしかなかった。
主人の帰宅に、料理人も腕を振るった。
鶏肉の炊き込み飯、香辛料を利かせた山羊肉の串焼きや玉葱と豆の炒め物、食後には木の実と砂糖をたっぷり使った焼き菓子が並ぶ。
久し振りにゆっくりと祖父との会話や食事を楽しみ、満足して部屋に戻る。
夜着に着替えながら、ファリーヤは夜空を眺めた。
低い位置にある月は、まだまだ満月を待っているところだ。
「次の新月までは随分あるわよね」
それでも手をこまねいている場合ではないと、この三日間探し回っていたのだが、特に情報は得られなかった。
祖父がいなかったのは幸いだったものの、もう少し交渉がこじれればよかったのに、と商人にあるまじきことを思わずにはいられない。
ダレイスが行きそうな場所を書き出しておいたのだが、三日でようやく半分ほど回ったところだ。
時間帯によってはひとがいない店もあるし、日が落ちてしまえば、ファリーヤとてさすがに出歩くのは躊躇われる。
「残ってるのは夜の営業のとこが多いのよね。でも探さなくちゃ」
ダレイスを見つけ、その口から何が起こったかをきちんと聞くつもりだった。
「ダレイスのこと、ちゃんとお祖父様に認めてもらうんだから」
そして、行きそうな場所の一覧をじっくり眺めはじめたものの、すぐに集中力が切れた。
「……まさか、あたしが行くことになるとは思わなかったけど」
商売のことだから、王宮へは祖父が行ってくれるものと思っていた。
確かにファリーヤへの依頼だし、祖父にも疲労はあるだろうが、ダレイスに関わらせまいとする意図もないわけではないに違いない。
「正直に言って、やっぱり王宮にはお祖父様に行ってもらおうかな……」
ダレイスの件も壺の件も、急を要している。
しかしラシード所望の本は、こちらもファリーヤを排除するために用意されたものだ。
「もう! 誰も彼もひとを除け者にしようとする!」
確かに考えはきっと甘い。
しかし行動力は人並み以上にあるとファリーヤは思っていたし、危険を回避する最終手段も持っている。
「わかったわよ。どっちもやってやろうじゃないの」
とりあえず、明日は王宮だ。
タリクは先王サウィルに嫌われ、商売がしにくい時期もあったが、現王サヒードには厚遇されている。
サヒードに代替わりしてから出入りが許され、食料品の扱いをはじめてはいたが、それは厨房へ直接出向くため、宮殿内へ足を踏み入れるのははじめてのことだ。
王太后セフィアとは以前一度会っているが、あちらが一介の商人の孫娘を覚えているとは限らない。
ラシードは、記憶力がよかっただけだろう。
「……無礼のないようにしないと」
ファリーヤとて子供ではないのだ。
祖父の商売のことも手伝いはじめている。
怒らせてはいけない相手というものが存在する。
折り合いをうまくつけ、自分自身を守ることは当然ながら、使用人のこととて守らねばならない。
ファリーヤはぺしぺしと頬を叩いた。
祖父はファリーヤに商売を任せてくれたのだ。
しなければいけないことは、順番にやっていくしかない。
基本的に水曜日と土曜日に投稿しています。
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