5章の1 封印の儀式と民衆の祭り
第5章
雲ひとつない蒼天は、どこまでも続くかに思えた。
世界を明るく照らす日輪はむろん、目を凝らせばその中に、朧に霞む昼の三日月の姿を見る者もいることだろう。
そんな空と月と太陽の下で、王が王であることを知らしめるために、この都が神によって守られていることを知るために、儀式は五年毎に繰り返される。
揃いの砂色の長衣を翻す親衛隊に囲まれ、封印の壺を捧げ持った宰相の前で、儀式用の翡翠色の装束に身を包んだ王は、自然な威を纏い道を進んでいった。
王が手にするのは魔神が嫌うクエンの苗木だ。
王宮の庭で育てられていたそれを門の脇に植え、魔神の侵入を阻むという。
夜明けとともにはじまった儀式は、昼過ぎには終わる。
そのあとは、民衆の時間だった。
広場には串焼き売りや甘い菓子、異国の布や小物など所狭しと出店が並んでいる。少し開けた場には、笑劇を演じる芸人や軽業を披露する一座、それを眺める客相手の水売りもいた。
そんな広場の片隅で、ファリーヤとラシードは並んで座り、買った石榴を半分に割り味わっていた。
隣国から仕入れた石榴は、やや赤味は薄いものの、種が小さく瑞々しい。
ずっとアビアドにいたラシードにとって、この祭ははじめて体験するものだ。
あちこち眺め歩いて、いまは足を休めているところだった。
そして会話は、魔法の壺の一件になっていた。
「結局、あの壺は偽物だったのね?」
「そうらしい」
ラシードは憮然としている。
レイヴァーナによって壊れてしまった壺を持ち、ラシードはサヒードの元に戻った。
そのときサヒードは、ラシードの行方が知れぬと、いまにも飛び出して行きそうな勢いだったのだ。
警護のアイディも倒れ、王弟を守る者がいないという知らせに、常の冷静さが消えかけていた。
そこへひょっこりラシードが戻り、イクレムやイスヴァ、ギーライの件を報告する。
諸事聞き終えたワクトは、壊れた壺を悔やむラシードに、非常に申し訳なさそうにかしこまっていた。
『ラシード様。その壺は偽物でございます。壊れたところで惜しくなどございません』
どういう意味かと、アイディとラシードは怪訝にワクトを見やった。
それはサヒードも知っていることだった。
あれはもともとイクレムを狙っての計略だったのだ。
ハリクが生まれて焦っているのは知っていた。だから、手出ししやすそうなところに罠を張っていたのである。壺はそのうちのひとつに過ぎない。
わたしにも内密で、と呟くアイディは非常に衝撃を受けていた。サヒードの信頼を得ていないと思ったのだ。
しかしそれはラシードも同様だった。
知っていたのはサヒードとワクトのみ。
謀は密なるをもってよしとする、という言葉を徹底して行っていたらしい。
ワクトはひらたすら謝り、サヒードも頭を下げるにいたって、ふたりもいつまでも拗ねているわけにはいかず、早々に許すしかなかった。
「でも、封印の力を持っている壺だったわ。誰かに作らせたの?」
わかっていたことだが、タリクが納品した壺は後宮にすべてあり、拘束はいいがかり以外の何物でもなかった。
しかしあの壺は、ダレイスを封じる力を持った壺であったことには違いない。
最初に腕だけを封じたのは、ダレイスの血の濃さによるものだろう。
煙になったダレイスがすぐに封じられなかったのは、本来は強力なダレイスが、ギーライを相手にしながら相当抵抗したからだ。
ではそんな壺は、どこから来たのか。
「王宮の宝物庫にあったそうだよ。ワクトが見つけて、形が似ていたから、今回の件にちょうどいいと思ったんだって」
「なんて危ない宝物庫……」
「それを言ったら、世の中危険に満ちてるんだけどね」
ラシードが何を言っているのか思い当たったファリーヤは、悪びれもしなかった。
「このあいだの女魔神はひいお祖母様。でも内緒よ? あたしは平気なんだけど、お祖父様がね。あたしが悪く言われるのは嫌なんですって」
大切な孫娘が、魔神の子と恐れられるのも遠巻きにされるのも、我慢ならないのだ。
今日のファリーヤは波打つ髪を自然に垂らし、身につけている物も含めてどこから見て少女である。
祭に行くなら娘らしい格好で、といつになく祖父に強く言われての装いだ。
しかしすぐさま動きにくいと文句をつけて、『どんな格好をしていてもきみはきみだな』とラシードの苦笑を誘っていた。
「ひいお祖母様はね、ひいお祖父様が亡くなったときに、ネイラお祖母様と一緒に魔神の国へ帰ろうとしたんですって」
ネイラは少々勘がいいだけの、普通の女性だった。
タリクと結婚し、人間として生きることを望んだ。
しかし、自分も反対を押し切って人間を夫にしたというのに、レイヴァーナはそれを許さなかった。
「それでお祖父様たちは都に来たの。魔神は入ってこられないって思ったから」
「あの儀式で都に魔神が入れないっていうのは、本当だったんだな」
「そうね、招かれなければ入れないって、ひいお祖母様は言ってたわ」
ミラルはギーライに脅されるがまま招かれ、レイヴァーナはファリーヤに招かれた。
ギーライに関しては、少々波紋を呼んでいた。
『ギーライがルゥルゥ夫人の――。ジャリル様のご子息レイヒム様だったとは――』
絶句したのはワクトであった。その当時の経緯を知っているのはワクトだけだった。
しかし、公に身分を明かしたところで、どうなるものでもなかった。
ジャリルはすでに亡く、ギーライは謀反に手を貸した――ある意味、主犯なのかもしれない。
あのあと、ザフラは王宮から解雇されたが、それだけですんで感謝していた。
イクレムとイスヴァは、王宮の片隅にある小宮殿で幽閉された。
行動の自由は制限されるが、それなりに優雅な余生が送れるに違いない。
ギーライも同じ扱いだ。
それがサヒードにできる最大限の譲歩であり温情であった。
『殺せばいい。おれもイクレムも。その方が後顧の憂いがないぞ。以前は兄弟殺しなど当たり前のことだったはずだ。この王家は血塗れだ』
イスヴァがルゥルゥを追い出しさえしなければ、ギーライは王族の一員として何不自由のない生活をしていただろうか。
そうなっていても結局は王位を望み、反乱を起こしただろうか。
サヒードはなんの感情も見えない声で、ギーライに言った。
『それは過去のことだ。わたしは身内を殺すようなことはしたくない』
『甘いことだな。そこの凶眼の小僧とて、おまえに禍をなさんと言えるか』
『言える』
即答に、ギーライはくつくつと笑う。
『兄弟揃って愚かだ』
サヒードはそれ以上、何も聞きはしなかった――。
「兄上は、哀しそうだった。できればこんなことはしたくなかったけど、三人とも放置しておくには野心がありすぎた、って」
次は11日(土)です。最終回となります。
よろしくお願いします。




