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解放者たち 第二部  作者: habibinskii
第六章
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15

 ふたりが戻ると、執事がにっこりと出迎えた。


「背広はお役に立ちましたでしょうか? お疲れでしょう、お茶をご用意してお待ちしておりました。アズハーさまもお戻りになっていますよ」


 ティセは名残惜しさでいっぱいだったものの、普段の白衣に戻って部屋を出てきたリュイを見て、なにやらほっとしてしまった。

 茶の香りに満ちた居間へ出向くと、怒気を含んだアズハーの低声が、まず耳に飛び込んだ。ティセはギクリとした。


「寄付はしてもいい、いくらでもするがいい! しかし何故ここへする!?」


 アズハーは手にした領収書を反対の手のひらでパシパシ叩きながら、いらだちを露わにしている。向かいには妻がいて、困ったような呆れたような顔をして夫を眺めている。夫婦喧嘩のようだ。


「この協会の活動を支持しているからに決まってるじゃない。素晴らしい活動をしてるのよ、ここ」


 入り口で足を止めたふたりには気づかず、夫婦は立ったまま言い争いを続ける。


「素晴らしい活動をしている慈善団体なら、ここでなくともほかにいくつもあるだろう?」

「私がしたいところへするのがどうしていけないのよ。……いいえ、分かってるわ、ラムチャンドラ家一門の方が代表を務めている協会だから厭なんでしょう、莫迦莫迦しい」


 妻は少しも負けていない。すっと切れ上がった目元が示すとおりの気の強さだ。アズハーはいっそう怒気を込めた声で、


「分かっているなら尚のこと何故ここへするんだ? 私への厭がらせか? 返してもらえ!」

「なに言ってるのよ、しょうもない子供みたいに。もういい加減あのことは忘れたらどう? いつまでも根に持って陰湿よ、アズハー」


 とても入室しづらい、ふたりは困惑顔を見合わせた。すると執事がやって来て、ふたりの背後から、


「ウォッホン!!」


 盛大に咳払いをして注意を促した。夫婦はようやくふたりに気がついた。


「……おっと。これは失礼」


 夫婦揃って決まりの悪そうな顔をする。ティセのほうでも決まりが悪くなり、


「……出直しましょうか?」

「いやいや、その必要はない、どうか掛けてくれたまえ」


 アズハーは右手を伸べて肘掛け椅子を勧めた。そして、自らも着席する。妻は溜め息をついてから静かに腰を下ろした。

 喧嘩の原因はおおよそ把握できた。富裕層の婦人たちが嗜みのようにするという慈善事業への寄付を、アズハーの妻も積極的にしているのだろう。が、アズハーは寄付した先が気に入らない。代表を務めている人物が、仇敵ラムチャンドラ家の誰かなのだ。

 アズハーは気を取り直すように茶を口にしてから、


「図書館に行ったんだってね、なにか分かったのかい?」

「いいえ、ただヴィヤティッサという名の人物は見当たらないことだけは分かりました。ランタリアに行ったらもういちど調べてみようと思います」


 答えたティセは、どうにも聞いてみたくてたまらなくなっていた。


「……あのう……」

「なんだね?」

「…………最近の紳士録を見てきたんですけど……昨日の夜のあのひとは、ベルガム・ラムチャンドラというひとですか?」


 アズハーはおおいに顔を引きつらせた。その反応を見て、ティセは「やっぱりな」と思った。あまりに単刀直入に尋ねたのでリュイは呆れたのか、「ちょっと……」と言いたげにティセを横目で見遣る。

 妻が意外そうに目を見開いた。


「あら、ふたりとも、もうアズハーのラムチャンドラ家アレルギーを知ってるの?」

「ちょっとだけ…………じつは言おうかどうか迷ってたんですけど…………私たち、ランタリア周遊号で働きながら向こうへ行くんです」


 良い機会なので告白してしまった。アズハーは耳を疑うことを聞いたとばかりに驚愕を顔に表し、


「なんだってえええ、きみたちぃぃぃ――――……!」


 呆れ返ったように非難の声を上げた。


「いや、だって知らなかったんですよ、運航会社のことなんて。アズハーさんのアレルギーも知らなかったし……」

「そんなインチキ会社の船で、しかも働くのかい……。いや、その発想はいい、大変おもしろい、きみらしいよティセ、だがしかし船がよくない……!」

「インチキ……」


 予想以上の動揺ぶりに、ティセは吹き出しかけた。


「冗談ではない、ラムチャンドラ家は由緒ある詐欺師みたいなものだ。不正を巧みに重ねて今日まで繁栄している悪党一族だ」


 執事が部屋の隅から険しい声で諫める。


「アズハーさま、お言葉が過ぎます」

「過ぎるものか。これでも婉曲に言っている。ラムチャンドラ家は昔からひとの事業を巧いこと乗っ取ることで富を築いてきたと、口にしないだけで誰もが知っているだろう」

「そうなんですか」

「そうだとも。そのランタリア周遊号の運航企画も他社から奪い取ったものだ」

「へえ!」

「きみたちが向かうというクルネーガルが茶の一大産地なのは知ってるだろう。あそこにあるもっとも有名な茶園はラムチャンドラ家の所有なんだが、あれだってかつてラムチャンドラ家が地元の領主から騙し取ったものだともっぱらの噂だ。ほかにも――……」


 止まらないアズハーを妻が厳しく制する。


「アズハー! いい加減にしなさいよ、おふたりとも困ってしまうじゃない」


 確かにそうだと思ったのか、アズハーは小さく舌打ちをして口をつぐんだ。束の間、室内は沈黙に包まれる。

 妻はティセにやれやれ顔で笑みを向け、


「不正を許せないみたいに言っているけど、本当は単に私怨があるだけなのよ」


 すると、アズハーは再燃し、妻に向かっていまいちど声を尖らせた。


「私はね、きみが怒らないことにも腹が立つんだ。本来怒るべきなのは私ではない、きみだろう?」

「腹も立たないわよ、あちらでは対面を汚されたと思ってるんだから、厭味のひとつやふたつ言わないと気が済まないでしょう」


 ご立腹の理由を教えてあげる、と妻は冗談めかしてふたりに訳を話し始めた。

 じつはアズハーには、ラムチャンドラ家の令嬢との縁談があったという。親同士がそれぞれの事業のために考えた政略結婚だ。しかし、そもそも家業に関心がなかったうえ、父親との間に不和を抱えるアズハーがその決定に従順に従うはずもない。父親と相談もせず自ら破談を申し込み、学生時代から交際していたいまの妻とすみやかに入籍したのだった。

 父親も激怒したが、ラムチャンドラ家の大旦那の怒りは凄まじかった。ラムチャンドラ家のほうがずっと格式が高く、相手はただの成り上がり一族で自分の足下にも及ばない、寛大な心をもって縁を結ばせてやるのだと、内心思っていたのだろう。にも拘わらず、高貴な令嬢はにべもなく振られてしまった。そのうえアズハーが妻に選んだ女性はそれほどの家柄ではなく、中流に毛の生えた程度だった。大旦那からみれば、それは庶民と変わらない。こけにされたと怒り心頭に発したという。

 ラムチャンドラ家アレルギーが発症したのは、それから半年後のことだった。上流社会の交際には滅多に顔を出さないアズハーだが、どうしても出席しなければならない宴席があった。その席でラムチャンドラ家の大旦那と顔を合わせてしまった。大旦那は周り中が聞き耳を立てている手前、怒りを露骨には表さず、けれど不遜とも思えるほど悠然とした態度をもって、アズハーにこう言った。


「貴君のような奇人変人には、どこの馬の骨か牛の骨か分からん洗濯女がふさわしい」


 アズハーはまたも声を荒らげる。


「周り中が嗤っていたぞ、きみが莫迦にされたんだ、何故怒らない!?」

「たいした家じゃないのは、まあ事実でしょう。だけど、あなただって莫迦にされてるのよ、分かってる?」


 するとアズハーは「奇人変人は褒め言葉だ」と大真面目に返した。

 ティセは夫婦のやりとりをニヤニヤしながら眺めていた。結局、アズハーの私怨は自身のことよりも妻を貶められたことなのだ。仲のよい夫婦だと知ってはいたが、思っていた以上にかなりの愛妻家なのかもしれないと、ティセはアズハーをさらに好ましく思った。

 やれやれ顔で夫を眺める妻が、ふいに思い出したように言う。


「そうよ、分かったわ。このまえ見せてもらった首飾りの細密画、どこかで似てるひとの絵を見たように思ったけど……」


 ティセはソファから身を乗り出すようにして、


「なになにっ、なんですかっ?」

「寄付をしにあちらの協会へ伺ったとき、お部屋にヴァルサ・ラムチャンドラという昔いた女政治家の肖像画を掲げてあってね、彼女は慈善事業に熱心だったことから篤志家の代表者のように思われているひとなんだけど、あの絵に似てるのよ。と言っても、首飾りの絵と違ってもう少し歳を取っていたけれど、目元なんかよく似ていたように思うわ」

「へえ、そうなんですか」


 秋頃リュイが読んでいた本に載っていた、ヴァルサ・ラムチャンドラの肖像の挿絵を思い出してみる。が、挿絵の女性はすでに中年の体型をしていて、もう少しどころかずっと年配に見えたうえに、印刷があまりきれいではなかったため顔立ちははっきりしていなかった。似ているのかどうか、ティセには判断がつけられない。

 妻は無念そうに眉尻を下げて、


「けれどそれなら、たんなる他人の空似ね。首飾りのひとはアヌラ・ヴィヤティッサさんに間違いないでしょうしね」


 お役に立てずに申し訳ないとばかりに、肩をすくめて見せた。






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