大誤算
「あ────────」
俺は大の字になって、ベッドへ倒れ込んだ。
自由気ままに生きると誓ってから、しばらく経つ。
だが、どうやら聖女様は、自己鍛錬に時間を費やすのがお好きらしい。
豪勢に遊んでみせたのは、最初のうちだけだった。
今では俺の持つ知識を活かし、効率的なトレーニング方法を試すことにすっかりハマっている。
身体強化に体術、魔法の鍛錬。
自由を謳歌するはずが、気付けば毎日せっせと身体を鍛えている始末だ。
……まあ、楽しいからいいんだけどさ。
聖女については辞任するつもりだった。
しかし、教会と王家の双方から胃を痛めたような顔で猛反対されてしまい、うやむやのまま肩書きだけは据え置きとなっている。
と言っても、籍を置いているだけのお飾り状態だ。面倒な公務は一切免除され、すべて自己判断での単独行動が許可されている。
教会と王家の双方からすれば、天啓を得たとされる聖女を手放すなど、何としても阻止したいのだろう。
その結果、俺はお飾り聖女として、実に気ままな生活を満喫している。
それなのに、毎日、精力的に鍛錬へ励む姿がシスターたちの目には神々しく映るらしく、妙に感心されているのだから不思議なものだ。
セレスティアに転生して、それなりの時間が経った。
その間に、いくつか気付いたことがある。
その一つが、精神と肉体の意向が一致しなければ、身体をうまく動かせないということだ。
精神面には俺の意思が強く反映される。
一方で、肉体面にはセレスティアの意思が反映されるようだ。
自然と口調や所作が女性らしくなるのも、その影響なのだろう。
もっと気ままに怠惰に生きたらいいのに……なんて思いつつも、真面目な聖女様の意向に振り回される形で、肉体改造や魔法の鍛錬に打ち込む充実した日々を楽しく過ごさせてもらっている。
そんなことを考えながら、ふと壁に掛けられた暦へ目を向ける。
(そういえば……今日は、主人公と初めて出会う日だったか)
原作の流れを思い出す。
行方不明になった聖女、ルナ=セレスティア。
その行方を追っていた主人公は、彼女がマルクス伯爵の屋敷で目撃されたという噂を耳にする。
伯爵邸では、毎夜怪しげな催し物が開かれているという。
主人公は夜陰に乗じて屋敷へ侵入し、内部の情報を探る。
そして、そこで初めてセレスティアと出会うことになるのだ。
……あれ?
俺は眉をひそめた。
(ん……?)
何かが引っかかる。
何か、大事なことを忘れているような――。
「あ…………ッ!!」
思わずベッドの上で飛び起きた。
セレスティアになった俺が捕まってもいなければ、行方不明にすらなっていない以上――主人公たちがマルクス伯爵宅に潜入する理由そのものが存在しないじゃないか!!
……いや、待て。そもそも、主人公たちは旅立ってすらいない可能性があるんじゃないか?
物語の冒頭は、こう始まる。
駆け出し冒険者として生計を立てる主人公のもとへ、ひとりの少女が駆け込んでくる。
彼女の名前は、ステラ=ルシエラ。セレスティアを姉と慕う妹分の聖女だ。
『行方不明になったお姉様を探してほしい』という彼女の切実な依頼から、物語は始まる。
主人公は最初から大きな事件に関わるわけではない。
小さな依頼をこなしながら情報を集め、やがてならず者退治へ。
そこから少しずつ事件の核心へと近づき、最終的にはマルクス伯爵邸へ潜入する。
そして、行方不明になったセレスティアとようやく出会うのだが……。
というのが、本来の本筋なのだが、現状はどうだ?
俺は捕まっていなければ、行方不明にもなっていない。
これでは、ルシエラが主人公へ依頼する理由がない。
そもそも、主人公が旅立つきっかけすら失われている可能性が高い。
……まずいな。
思わず、冷や汗混じりに額を押さえた。
妹分のルシエラに最近の様子をさりげなく尋ねるか、あるいは主人公の拠点へ直接足を運べば、ストーリーの進行状況は確認できるだろう。
で、肝心のマルクス伯爵宅についてだが――まあ、俺が直接首を突っ込むような話じゃないな。
うん、関わらないのが一番だ。
そう結論づける。
そう、結論づけたはずなのだが……。
『……』
頭の奥に、抗議するような念が響いた。
(やれやれ……聖女様は、正義感がお強いらしい)
俺としては、わざわざ危険地帯に飛び込む必要など無いと考える。
マルクス伯爵は、先日の王国裁判をきっかけに厳しい立場へ追い込まれつつある。ならば、あとは国が調査し、然るべき対処をすればいい。
それに、伯爵邸で行われている催しは、聖女様にはあまりにも刺激が強すぎる。
できることなら、そんなものを目に触れさせたくはない。
そう考えながら、彼女を宥めるように理屈を並べ立てていく。
だが──どうやら、まったく納得していただけないらしい。
(……仕方がないな)
俺は小さく息を吐いた。
現状の確認も兼ねて、マルクス伯爵邸へ向かうとしよう。
危険があるかもしれない場所へ、わざわざ自分から乗り込むことになる。
そう決めて、頭の中に響く抗議の念は、ようやく静かになった。
(まったく……お優しい聖女様だことで……)




