甘美なる刻
裁判所を後にして真っ先に向かったのは、重厚で高級そうなレストランだった。
勝ち取った自由と勝利の晩餐として、メニューの中で最も高価なフルコースを注文する。
見るからに高そうな内装の店内で、見るからに高そうな料理を、遠慮なく堪能していく。
「……美味しっ」
コース料理として次々に運ばれてくる料理は、どれもこれも素晴らしいものだった。
素材の味を活かした一皿に、繊細な盛り付け。香りも食感も申し分なく、出てくる料理のすべてに店のこだわりが感じられる。
正直、料理の詳しいことなんて俺には分からない。
だが、これが凄い料理だということだけは分かる。
というか、こんな高級店の料理を食べる機会なんて、前世では一度もなかったからな。
それにしても、店員たちの慌てようは面白かった。
まさか、聖女ルナ=セレスティアが突然来店するとは思ってもいなかったのだろう。
予約の確認や席の準備、料理の手配に至るまで、店内はちょっとした騒ぎになっていた。
(ふぅ……うまい。もう教会へ面倒な献金をする必要もないんだと思うと、余計に味わい深いな)
なにせ、もう聖女の座は放り投げたのだ。
孤児院への寄付は……まぁ、続けてもいいだろう。
そもそも、教会については思うところがある。
この世界に、皆が崇めるような慈愛に満ちた『神』なんて存在しない。
そう、あんなものは『神』などと呼べる代物ではないのだから。
だからこそ、これまで当然のように納めていた献金も、もう必要ない。
その分の金は、これからセレスティアのために使えばいい。
美味しいものを食べる。
欲しいものを買う。
行きたい場所へ行く。
誰かに命じられることもなく、誰かのために犠牲になることもなく。
そう考えると――
懐には、随分と余裕があるということだった。
まずは、この勝利の晩餐を楽しもう。
これからは、俺たちの好きなように生きるのだから。
贅沢な食事を存分に堪能した俺が、次に向かったのは王都でも評判の洋服屋だった。
今着ている手持ちの衣服は、清廉潔白を絵に描いたような『聖女』らしい退屈なデザインのものしかない。
だが、俺が前世から愛してやまないのは――闇堕ちした後の彼女が見せた、あの清楚でありながらどこか妖艶でセクシーな二面性溢れる衣装なのだ。
「これもいいわね……あ、あれも素敵」
店内に飾られた服を次々に手に取り、姿見の前で一人ファッションショーを繰り広げていく。
それにしても、流石はセレスティアだ。
清楚なワンピースも、少し大胆なドレスも、身体のラインを強調する服も、完璧に着こなしてしまう。
白くきめ細やかな肌と、豊かな胸元からキュッと締まった細い腰へのライン、スラリと伸びた長い脚――この見事なスタイルがあってこそ成せる業と言えるだろう。
「ふふっ……いい買い物をしたわ」
満足いくまで服を買い込み、膨らんだ紙袋を抱えて街を歩いていると、ふと一軒の店が目に留まった。
高級感の漂うランジェリーショップだ。
(いやぁ……流石にここは入るのに度胸がいるな……)
思わず足を止め、入口の前で一瞬躊躇する。
「……やめておこう」
そう呟いたはずだった。
だが――まるで俺自身の理性を無視するかのように、身体が吸い寄せられるようにして店内へと歩を進めてしまった。
そして、無意識にラックから手に取った下着を目にした瞬間、俺は顔が火が出るほど熱くなるのを感じた。
(ま、待て……!これを俺が着るのか……!?)
今は確かに女の身体だが、中身はれっきとした男だぞ……?
手に取ったのは、透け感のある薄いレースと極細の紐で構成された、目のやり場に困る超セクシーなランジェリー。お尻への食い込みも凄まじそうだ。
こんなもの、神に仕える聖女が身につけるような代物では断じてない。
(いやいやいや。これはない。これは流石にないって)
そう言いながら、手放せない。
棚へ戻そうとしても、なぜか指が動かなかった。
まるで、自分ではない別の意思に、身体を突き動かされているような感覚。
俺の意思とは関係なく、別の商品へ手が伸びる。
こちらを手に取り、あちらを手に取り、店員に声をかける。
そして――
「ありがとうございました」
気づけば、会計まで済ませていた。
店を出た俺の手には、新たな紙袋が増えている。
中身については、わざわざ説明する必要もないだろう。
「…………」
紙袋を見下ろし、俺はしばらく固まっていた。
……いや、待て。
これ、本当に俺が着るのか?
そう思いながらも、紙袋を手放すことはなかった。
下着を買ってしまったことに対して、内心では複雑な思いを抱えている。
だというのに、胸の奥には奇妙な満足感が広がっていた。
俺が選んだわけではないはずなのに。
まるで、誰かが「これでいい」と、満足げに微笑んでいるような感覚だった。
買い込んだ大量の荷物を手に、自宅への帰路を歩んでいると、不意に足がピタリと止まる。
視線の先にあったのは、可愛らしい外観のスイーツショップだった。
「…………」
やれやれ。
さっきあれだけ食べたというのに、今度はスイーツか。
聖女様は、随分と食いしん坊でいらっしゃるようだ。
俺は両手に抱えた荷物へ視線を落とす。
早く帰って、この荷物を片づけたい。
そう思っているのに、足は一向に動こうとしなかった。
「おい。もう十分食べただろ?」
小声で語りかけてみる。
当然、返事はない。
だが、店から視線を逸らすことも、歩き出すこともできなかった。
どうやら、譲るつもりはないらしい。
……まったく。
これまで、どれだけ自分の欲望を抑え込んで生きてきたのだろう。
食べたいものを食べることすら、自由にできなかったのかもしれない。
そう思えば邪険にもできず、俺は苦笑交じりに折れて、身体の望むまま店内へと足を運んだ。
『甘いものは別腹』とはよく言ったものだが、我ながらよくもまあ、これほど盛り盛りの立派なストロベリーパフェを注文したものだ。
男の頃の俺なら見ているだけで胃もたれを起こしそうなボリュームだが、今の俺は期待で胸のざわめきが収まらない。
銀のスプーンで山盛りの生クリームと苺を掬い、おそるおそる口へと運ぶ。
「ん〜〜〜〜〜っ……!!」
舌の上に広がる濃厚な生クリームの甘み、フレッシュな苺の爽やかな酸味、そしてカスタードの深いコク。
それらが完璧なハーモニーとなって、脳を直接揺さぶるような圧倒的な快楽が駆け巡った。
女になったことによる味覚の変化なのか、それともセレスティア自身が大の甘党だったのか……これほど美味いと感じるとは夢にも思わなかった。
身体を満たす至福感に、気づけば頬がだらしなく緩み切っていた。
夢中でスプーンを動かし続け、ふと我に返った時には、あんなに巨大だったパフェの容器は跡形もなく空っぽになっていた。
お腹も心もすっかり満たされ、俺はスイーツショップを後にした。
そのまま帰路につき、ようやく自宅へ戻る。
「よいしょ……」
両手に抱えていた大量の買い物袋をテーブルの上へ置く。
いや、置くというより、ほとんど放り出すような勢いだった。
途端に、身体の奥からどっと心地よい疲労感が押し寄せてくる。
今日は本当に、いろいろありすぎた。
(ふぅ……波乱万丈すぎる一日だったな)
王国裁判では、こちらに向けられていた罪状をひっくり返した。
その勢いで、聖女の座まで投げ捨てた。
おまけに、高級料理を堪能し、服を買い漁り、下着にまで手を出し、最後は巨大なパフェまで平らげた。
……こうして並べてみると、なかなか濃い一日だ。
まぁ、大方の問題は片付いたのだ。
これくらい羽目を外したって、罰は当たらないだろう。
原作で待ち受けていた悲劇の結末からも、今のところ順調に遠ざかっている。
少なくとも、セレスティアがあの最悪の運命を辿る未来は、もう回避できたはずだ。
(うん。順調、順調)
俺は満足げに頷く。
これで、しばらくは自由気ままに暮らせる。
そう思っていた。
だが――この時の俺は、まだ知る由もなかったのだ。
己の欲望と気まぐれのままにやらかしたこれらの行動が、後にどれほど思いもよらない大事件を引き起こすことになるのかを……。
そうとも知らず、俺は心地よい疲労感に身を委ねていた。




