王国裁判
手首に重々しい魔導拘束具を嵌められ、冷たい石造りの被告人席に立たされている。
周囲をグルリと取り囲む傍聴席からは、蔑みと嘲笑、そして欲望の混ざった貴族たちの視線が痛いほど突き刺さっていた。
「静粛に!これより、聖女ルナ=セレスティアに対する王国裁判を執り行う!」
裁判長の金槌が甲高い音を鳴らす。
寝起き一番、頭が追いつかない俺を置き去りにして、罪状が読み上げられていった。
罪状は――『過剰防衛による惨殺』および『神聖冒涜』。
呆れ果てて、返す言葉もなかった。
人質を救出するにあたり、対話の試みを一切放棄して残虐に殺害し、さらに「教会の権威を傘に着て独断で動いた」ことが神への冒涜であり、国家への裏切りだという理屈らしい。
あの場にいた人質の安全を確保し、被害を最小限に抑えた結果がこれか。
傍聴席の貴族どもが、扇子で口元を隠しながらひそひそと悪意を囁き合っている。
「清廉潔白を気取っていた聖女が、まさかあのような残虐な殺人鬼だったとはな……」
「いくら聖女とはいえ、王国の法を犯したのだ。厳罰は免れまい」
「ふふ、聖女の地位を剥奪されたあとの『処遇』が楽しみですわね……」
下衆どもめ。チラチラと俺の身体を品定めするように舐め回してきやがる。
地位を剥奪し、罪人として身ぐるみを剥がして自分たちの慰みものにする――それが奴らの狙いか。
ふと、検察席の奥に座る一人の男と視線が交差した。
派手な刺繍の施されたシルクの服を着た肥満体の男――マルクス伯爵。
ゲーム『ロスト・セイント』において、セレスティアを買い叩いて手籠めにし、闇堕ちへと追い込んだ元凶たる悪徳貴族の一人だ。
男は汚らしい笑みを浮かべ、俺にしか見えない角度で優越感に満ちた視線を送ってくる。
その口元が、声もなく動いた。
(――『大人しく俺のペットになれば、減刑してやってもいいんだぞ、聖女様?』)
なるほどな。
昨日ならず者どもを返り討ちにして商品を解放させられたから、今度は『法』という権力を使って力尽くで俺を屈服させようというわけだ。
下衆な策略の底が透けて見えて、反吐が出る。
だが――奴らは決定的な勘違いをしている。
俺が、噂通りのおしとやかで慈悲深い『聖女』のままだと思っていること。
そして、この程度の拘束具や裁判という形式で、俺を縛り付けられると思っていることだ。
「まぁまぁ、皆さんそう熱くならんと。まずはちゃんと聖女様の申し開きを聞いて差し上げませんと」
弁護人という名目で傍らに立つ男が、如何わしい薄笑いを浮かべながら軽薄な声を張り上げた。
狐のような細い目をニヤつかせ、俺の耳元へと顔を寄せて囁いてくる。
「まま、お気持ちはよ〜く分かります。けどね、ここは僕の言う通りにしておいてください。ぜ〜ったい悪いようにはしませんから!」
見た目も、声も、立ち振る舞いも――何もかもが胡散臭い。
この見るからに怪しさの塊であるこの男も、当然ながら黒幕グループの片棒を担ぐ一人――名を『ヴァニタス』という。
一見するとこちらの味方であるかのように振る舞い、安全な場所から他人を操る。
そして、相手が絶望へと堕ちていく様子を愉快そうに眺める。
それが、こいつの役割だった。
主人公たちを扇動し、ときにはセレスティア側に立って彼女を誘導する。味方なのか敵なのかも分からない立ち位置から、人々を思い通りに動かしていく。
……あと、妙にセレスティアに対する身体的距離が近くて不快な奴だった。
俺は俯いたまま、口元に静かな笑みを浮かべた。
「……?」
俯く俺の顔を覗き込もうと、さらに距離を詰めてくるヴァニタス。
だが、視線が交差した瞬間、俺の瞳に宿る真紅の殺意に気付いた奴は、引きつった顔で咄嗟に一歩引こうとした。
――だが、もう遅い。
「ガッ……ぐ、はっ……!?」
拘束された状態のまま、俺はヴァニタスの首を掴んだ。
そして、そのまま力任せに引き寄せる。
ゴキリ、と。
鈍い音が、静まり返った室内に響き渡った。
誰も、何が起きたのか理解できていない。
想像すらしていなかった光景を前に、法廷は凍りついたように沈黙していた。
ああ。
実に、すっきりした。
こういう、いかにも悪者ですといったキャラクターに手綱を握られ、好き放題に操られる展開が、俺は昔から嫌いだった。
主人公たちがそいつの思惑に乗せられ、後手に回り続ける。
そして、こいつが画面に映るたびに思っていたのだ。
――いいから、早く殺せよ、と。
「き、貴様ぁッ!裁判の場で何を考えている!?これは紛れもない国家への反逆だぞ!!」
我に返ったマルクス伯爵が金切り声を上げ、周囲の近衛兵たちが一斉に槍を構えて俺を取り囲む。
俺はそれらを冷ややかな目で見下ろすと、両手首を縛る頑丈な魔導拘束具にグッと力を込めた。
バキバキッ――とけたたましい音を立てて金属が歪み、そのまま粉々に弾け飛ぶ。
「なっ……!?」
兵士たちの間から、驚愕の声が漏れた。
俺はゆっくりと顔を上げる。
「――静まりなさいッ!」
聖女としての声が、法廷全体に響き渡った。
先ほどまでの騒然とした空気が、一瞬にして凍りつく。
誰もが息を呑み、こちらを見つめていた。
「この程度の拘束具で、私を縛りつけられると思ったら大間違いよ」
俺は砕けた拘束具を床へ落とし、淡々と言葉を続ける。
「それに――よく御覧なさい」
俺が顎でヴァニタスの死体を示すと、絶命した男の肌がドロリと黒く蠢き始め、人間の皮を破って本来の異形――淫涜な魔物の姿へと変貌を遂げていく。
「なっ……!?ま、魔物だと……!?」
国王が椅子から身を乗り出し、愕然とした声を上げる。
「魔物が……王国内に入り込んでいたというのか!?」
ざわめきが広がる。
兵士たちは動揺し、貴族たちは恐怖に顔を引きつらせる。
「さて……そろそろ、こんな茶番には幕を下ろしていただきましょうか」
俺はそう言って、ぱっぱと手を払った。
まるで、つまらない芝居でも終えたかのような仕草だった。
「いつからだ……?」
国王が、呆然とした面持ちで尋ねてくる。
「いつから、この魔物の侵入に気付いておったのだ。聖女ルナ=セレスティアよ……」
もはや、当初の罪状など頭から吹き飛んでいるのだろう。
今、この場にいる誰もが、目の前で正体を現した魔物と、その背後にいる者たちへ意識を向けていた。
「天啓がありましたの」
俺は胸元に手を添え、恭しく微笑む。
「神より、英知を授かったのです。神はいつも、私を護り、導いてくださいますから」
そう仰々しく語りながら、両腕で自分の身体を抱く。
そして、その場でくるりと一回転した。
――どう考えても、頭がおかしくなったとしか思えない言動だ。
だが、誰もそれを指摘できない。
目の前には、人の姿に化けて王国内へ潜入していた魔物がいる。
死体と化した魔物が横たわるこの凄惨な現場においては、俺の奇行を追及する余裕など残っていなかった。
「ですが……これほどの大騒動を引き起こし、神聖なる法廷を血で汚してしまったのもまた事実。私は聖女として不適格であったと認め、これを機に『聖女』の座を辞辞させていただきますわ」
そこまで一気に言い切ると、優雅にスカートの裾をつまんで腰を落とし、聖女らしい礼を見せた。
「それでは、ごきげんよう」
顔を上げた俺は、そのまま身を翻す。
もう、ここに用はない。
――そう思った、その直後だった。
「待て!……いや、控えよ!者ども、この男――いや、この魔物と懇意にしていた関係者をただちに洗い出せ!貴族院も含め、怪しい者は徹底的に取り調べるのだ!!」
背後で国王の怒号に近い命令が響き渡る。
その声に応じ、兵士や文官たちが一斉に動き始める。
法廷は再び、混乱の渦へと呑み込まれていった。
ヴァニタスが、それだけ多くの要人と繋がりを持っていたということだ。
王国の中枢にまで魔物の手が伸びていた可能性がある以上、国王としても放置するわけにはいかない。
あちらこちらで怒号が飛び交い、貴族たちは互いに疑いの目を向け合っている。
もはや、俺に向けられていた一方的な罪状など、誰の意識にも残っていなかった。
結果だけを見れば、俺は神の導きによって魔物の侵入を暴き、王国を救った聖女ということになる。
聖女として不適格だと糾弾されていたはずなのに。
気づけば、法廷の主役は俺から魔物へと移り変わっていた。
――まぁ、これでいい。
俺は誰にも気づかれないよう、口元をわずかに緩めた。
あとは、勝手にやってくれ。
俺はもう、聖女なんて肩書きに縛られるつもりはないのだから。




