安寧
神殿の自室に併設された浴室に入り、扉に鍵をかける。
ようやく訪れた静寂の中で、俺は重い衣装を一枚ずつ脱ぎ捨てていった。
血と返り血、そして汗が混じり合った不快な臭いが漂う。
シャワーを浴び、全身にまとわりついていた汚れを洗い流す。
やがて身体を拭き終えた俺は、浴室に設置された全身鏡の前に立った。
そして、そこに映る自分の姿をじっと見つめる。
(おお……これが……セレスティアの身体……)
透き通るほど白い肌はみずみずしい潤いに満ち、指を滑らせればしっとりと吸い付いてくるようだった。
女性らしい豊かな胸元は呼吸に合わせてかすかに上下し、引き締まった腰からしなやかな脚へと続く曲線は、男として生きてきた前世の記憶からすれば、どうにも視線のやり場に困るほど魅力的だった。
濡れた長い金髪が肌に張り付き、鏡の中では、鮮やかな紅い瞳がこちらを見つめ返している。
前世では、女になったらしてみたいことを、あれやこれやと想像したものだ。
だが、実際に女性の身体になってみると、不思議なことに、そういった欲求はほとんど湧いてこなかった。
男としての象徴が失われただけで、ここまで思考や欲望に影響が出るのか。
自分のことながら、妙に感心してしまう。
精神も肉体の奴隷だったという事か。
そんなことを考えながら、改めて鏡の中の姿を眺める。
すると、遅れて喜びが込み上げてきた。
――この身体を、俺は守り切ったのだ。
もし、ゲームの筋書き通りだったら――。
この白く清らかな肌は、下衆な山賊や悪徳貴族どもの汚らわしい手によって傷つけられ、泥と欲望に塗れて汚されていたはずなのだ。
あいつらにこの身体を奪われ、心を壊される未来があったと思うだけで、腹の底から吐き気が込み上げてきた。
万が一、世界の強制力とやらが働いて未来を変えられず、あの下衆どもに陵辱されていたかと思うとゾッとする。
中身は男なのに男どもに輪姦されるなんて、どんな地獄絵図だよ……。
安堵と嬉しさのあまり、俺は己の身体を抱きしめたまま、思わずフリフリと小踊りしてしまった。
浴槽にお湯を張り、湯船へと身を沈める。
じわリと温もりが染み渡った。
湯を手に掬い、胸元や首筋、指の先まで丁寧に洗っていく。
「ふぅ……っ」
指が肌を滑るたび、これまでとは比べものにならないほど繊細な感覚が伝わってきた。
男の時とはまるで違う、柔らかくあまりに敏感な身体。
触れるたびに体の奥が疼くような違和感と、自分が完全に『女』の肉体へと置き換わったという実感が嫌でも込み上げてくる。
そういえば、下着の着脱も迷わず自然に行えたし、セレスティアとして生きてきた記憶や習慣もすっかり馴染んでいるようだ。
(まずは、第一関門突破……だな)
だが、ここで油断するわけにはいかない。
今後も聖女を闇堕ちさせようとする魔の手は、形を変えて幾度となく襲いかかってくるはずだ。
何せ、セレスティアを無力化し汚すことこそが、黒幕の最優先事項なのだから……。
浴室から出て、自室を見渡す。
聖女の居室と聞けば、豪華な調度品や贅を尽くした内装を想像するかもしれない。
しかし、実際の部屋は驚くほど質素だった。
必要最低限の家具と調度品。華美な装飾はほとんどない。
これまでセレスティアが、どれほど清貧を重んじて生きてきたのか。その一端が窺えた。
だが――それも、今日で終わりだ。
ベッドへ大の字に寝転がり、今後の基本方針を固めることにする。
見ての通り、これほど抑圧された環境で生きてきたのだ。
これからは好き勝手に生きさせてもらう権利くらいあって当然だろう。
娯楽も知らず、世のため人のために滅私奉公した結果があの惨惨たる末路など、冗談ではない。
彼女ひとりが犠牲にならなければ成り立たない世界なんて、俺の知ったことか。
これからは自分を脅かす邪魔者を片っ端から露払いしつつ、自由気ままに生きてやる。
そう考えた途端、不思議なほど次々とやりたいことが脳裏に浮かんできた。
行ってみたい場所。
食べてみたいもの。
やってみたいこと。
前世では考えもしなかったようなことまで、まるで堰を切ったように溢れ出してくる。
黒幕の相手なんて、どうせ原作の主人公たちが勝手にやってくれるだろう。
もし万が一、こちらに火の粉が降りかかってきたとしても――レベルを上げて物理で殴れば大抵のことは解決するはずだ。
我ながら、ずいぶんと雑な結論だった。
それでも、輝かしい未来を思い描いているうちに、次第にまぶたが重くなっていく。
まだ眠るには早い時間のはずだった。
だが、セレスティアの身体には、規則正しい生活習慣が染みついているらしい。
「……今日は、もう寝るか」
そう呟いた直後には、意識がゆっくりと闇へ沈んでいった。
夢の中、どことなく見覚えのある、けれど顔の分からない『誰か』と何かを語り合ったような気がした――。
――そして翌朝。
目が覚めると、俺はなぜか王国裁判の被告人席に引きずり出されていた。




