伯爵の最後
「ぐおおおおっ!?ば、馬鹿なぁぁぁぁ……ッ!!」
マルクス伯爵が呻き声を上げ、その場に突っ伏す。
片目は潰れ、右脚と左腕は根本からへし折られて捥がれ、腹は裂け、臓腑がこぼれ出ている。
「お、おのれぇ……!よもやこの私が……こんなところで……っ!」
激痛に顔を歪ませながら、伯爵は血に濡れた右腕を必死に伸ばす。
その視線の先にあるのは――先ほど身体から引き摺り出され、床へ転がった魔核石。
執念深く指先を伸ばし、再びその悪魔の力を掴み取ろうとした――その、瞬間。
パリンッ!!
指先が結晶に触れる寸前、俺はハイヒールの踵で冷酷にそれを踏み砕いた。
「ふっ、うぐぅぅぅぅぅ……っ!!」
魔核石の欠片が床へ散らばる。
唯一頼みの綱だった魔核石を粉砕され、伯爵は血を吐きながら悔しそうに拳で床をドンドンと叩きつける。
「くそっ……!くそぉぉぉっ!」
ジャラリ……。
その音に、伯爵の動きが止まる。
俺は連接剣を揺らし、その冷ややかな金属音を男の耳元で鳴らす。
「ひっ……!ひぃぃぃぃ!?」
先ほどまでの威勢はどこへやら。
伯爵は這いつくばったまま、必死に後ずさる。
「い、いいのか!?俺を……私を殺して本当にいいと思っているのか!?」
――言うに事を欠いて、何を言い出すのかと思えば。
「お、俺が死ねばこの領土の経済は破綻し、大市場も娼館も崩壊して無数の民が路頭に迷うのだぞ!?治安も悪化し、王国にとっても大痛手だ!!」
ふむ……。まあ、言い分としては確かにその通りだ。
人間としては救いようのない外道だが、奴がその卓越した商才と政治手腕でこの領地を繁栄させてきたのもまた紛れもない事実である。
だが――。
「お生憎様。ご自分にさぞや絶大な価値を感じていらっしゃるようですけれど……貴方お一人が死んだところで、この世界は痛くも痒くもなく恙なく回りますわ」
「そ、そんな……!」
「――どうぞ、安らかにお逝きなさい」
「い、嫌だぁぁぁぁぁっ!!」
伯爵の顔が恐怖に歪む。
「死にたくない!嫌だぁぁぁ!!た、助けてくれぇぇぇぇ!!」
――その叫びが、届いたのか。
ギィ……。
不意に、木製の扉が開いた。
そこに立っていたのは――カインだった。
やれやれ、随分と間が悪い。
このお人好しの事だから、心配になって様子を見に戻ってきたといったところか。
「お、おおお!き、君か! 助けてくれ!!私を助けてくれたら君の望む金でも地位でも何でも――が、がはっ……!?」
カインが制止の声を上げる猶予すら与えず。
高速で閃いた連接剣がマルクス伯爵の首を斬り飛ばし、噴き出した真紅の返り血が、呆然と立ち尽くすカインの顔と身体を容赦なく染め上げた。
(ふむ……。まさか、こんな形で『原作再現』が果たされることになるとは思わなかったな)
本来なら、ここでカインたちと聖女ルナ=セレスティアが初めて相見まえるはずだった。
凄惨な現場と化したマルクス伯爵邸の最奥。
先ほどのように醜く命乞いをして惨死する伯爵と、救いようのない絶望の中で完全に闇へと染まった聖女――。
つまり、マルクス伯爵はどんな世界線を辿ろうとどのみちここで死ぬ運命であり、奴が誇っていた社会的影響力など、大したことなどなかったという証左でもある。
「君が……ここまでのことをしたのか?」
「ええ。他に誰かいまして?」
「何も……ここまでのことをする必要はなかったんじゃないか?」
カインが周囲を見渡す。
その顔に浮かんでいるのは、怒りよりも困惑だった。
「こんな……人の命を一方的に奪うようなことまで……」
――やれやれ。
主人公様は、相変わらず綺麗事がお好きなようだ。
ヒロインたちに対してはイエスマンで、何をされても何でも受け入れるくせに、どういうわけか、セレスティアに対してだけは、いちいち否定から入ってくる。
闇堕ちするほど凄惨で悲惨な目に遭わされた果てに、綺麗事を並べ立てても、火に油を注ぐ結果にしかならないのも当然だろう。
「ふふっ……あはは!あら、一体何を仰っていますの?貴方もこの館で行われてきた非道の数々を目にしてこられたでしょう?――この場所に『人間』なんて一人もいませんわ」
「……まさか」
カインの表情が強張る。
「そんな……君は、本当にあの聖女ルナ=セレスティアなのか……!?」
「ええ、そうよ。他に誰に見えて?」
「だとしたら!君がこんな風に自らの手を汚す必要なんて無いだろ!!」
突如として距離を詰めてきたカインが、俺の血に濡れた手を生真面目に強く握りしめてきた。
(……!?)
なんだ?
こんな行動、原作では取らなかったはずだぞ。
「きっと……きっと、他に良いやり方があったはずだ!」
強く握られた手。
「君には似合わない……こんな、血に塗れた姿は……」
「…………」
思わず、口元が緩んだ。
「フッ、ふふっ……ふふふ」
笑いが込み上げてくる。
ドスッ――!!
「がっ……がはっ……!?」
拳が、カインの腹へ深々とめり込んだ。
カインの身体がくの字に折れ、その場に膝をつく。
「ふふっ、あはははは!何を寝ぼけたことを仰っていますの?似合わない? 他に良いやり方がある、ですって?」
「あ、ぐ……そうだ……。時間はかかっても、他にもやり方はあったはずだ……」
「甘いわね。あいつらは他者から奪うことしか頭にない化け物よ。奪って、踏みにじって、また奪う。それしか知らない連中よ。ただ生きていることそのものが罪なの」
「だが……!司法や国家に任せて、少しずつ正していけば……!」
「甘いわね」
今度は、冷たく言い放ち、俺はカインの顎へ手を伸ばす。
そして、くいっと顔を持ち上げた。
「……っ」
至近距離で、互いの視線が交わる。
「弱い貴方には……何一つ護ることなど出来はしないわ。弱者はただ、全てを奪われ、失い続けるだけ」
すっと立ち上がり、両手を広げて体内の魔力を解き放つ。
――ズウゥゥンッ!!
屋敷全体が激しく鳴動し、大気を歪ませるほどの圧倒的な魔力の奔流。
歴然たる次元の差、神聖にして禍々しい絶対的な威圧感を前に、カインは完全に言葉を失い息を呑んだ。
「私に何か物申したいのなら――」
俺は静かに彼を見下ろす。
「強くなりなさい」
それだけを告げると、背を向ける。
「それでは――ごきげんよう」
俺は翻したドレスの裾と共に窓枠へ腰かけ、夜の闇へと躍り出た。
そのまま夜の空へと溶け込むように、俺は伯爵邸を後にしたのだった。
人目を避けるように、月光の射し込む屋根の上を軽やかに跳躍していく。
――それにしても。
カインの思わぬ行動には驚かされた。
せっかく原作通りの台詞を並べていたというのに、急なアドリブはやめてほしい。
意識から払いのけようとしても、カインに力任せに握り締められた手の温もりと、あのまっすぐで真剣な眼差しが脳裏に焼き付いて離れない。
むぅ。
何故か頬が熱い。
(……おい、ちょっと待て聖女様!?嘘だろ……!?)
否定するように首を振る。
(クソっ!やはり顔が良い男は強いってことか!?ああいう爽やかイケメンが、無自覚に女性の心を持っていくって寸法か!?くそぉ……!!)
俺は必死に抗議し、脳内に、世の中に蔓延る男たちの浅ましい姿を次々と思い浮かべていく。
その抵抗が功を奏したのか、聖女様は心底呆れ果てた様子で沈黙し、頬の熱も、胸の奥で奇妙にざわついていた感覚もようやく落ち着きを取り戻していった。
(ふぅ……危ないところだった……)
しかし――。
(この身体で生きていくってことは……いずれ、男と恋愛することになるのか?)
そう考えた瞬間、背筋に嫌なものが走った。
(いやいやいや!そんなの冗談じゃない、冗談抜きでごめんだぞ……!?)
俺はどこか腑に落ちないモヤモヤとした感情を抱えたまま、月夜の街並みを風のように駆け抜けていくのだった。




