聖女ステラ=ルシエラ
コンコン、と控えめに扉を叩く音が響き、俺は自室の扉を開けた。
そこに立っていたのは、小柄で可憐な少女だった。
「お久しぶりです、セレスティアお姉さま!一日千秋の思いでお待ちしておりました!」
「ふふっ、大袈裟ね。ルシエラも元気そうで何よりだわ」
この少女の名前は聖女ステラ=ルシエラ。
セレスティアを「お姉さま」と慕い、若くして聖女としての優れた素質を認められた少女だ。
「お姉さまもお変わりなく……相変わらずお美しいです!」
「くすっ、ありがとう。貴女もますます綺麗になったわね」
俺の意識とは裏腹に身体が自然と動き、優しく彼女の頭を撫でていた。
ルシエラは照れたように頬を紅く染め、恥じらいと嬉しさが入り混じった表情で笑みを浮かべる。
(うっわぁ……なにこれ、かわええ……!!)
あざといなと思っていたが、生で対面したときの破壊力は次元が違った。
男としての意識が少しでも油断すれば、一瞬で心を撃ち抜かれてしまいそうだ。
こんな妹分がいたら、そりゃあ可愛がりたくもなる。
大切な妹分に好印象を抱いてもらえたからか、身体の主であるセレスティアの気配もどこか誇らしげである。
「それで、今日はどうしたのかしら?」
「あっ!そうでした!カイン君……えっと、お友達がお世話になったとお聞きしまして。それと、こちらお土産です!」
「あら……とても美味しそうなケーキね。ちょうど良い紅茶が手に入ったところなの。一緒にいただきましょうか?」
「はいっ!喜んで!」
「すぐに用意するから、少し待っていてちょうだいね」
――ふっふっふ。
こんなこともあろうかと、紅茶を淹れる練習はしておいたのだ。
茶葉の分量、お湯の温度、適切な蒸らし時間。そして忘れがちなティーカップの予熱まで抜かりはない。
完璧な手際で作業を進めるうちに、つい気分が良くなって鼻歌まで漏れ出てしまう。
「はい、お待たせ」
紅茶とケーキをテーブルへ並べる。
「うわぁ、すっごく良い香り……!あっ、もしかしてこれ、マリアンヌの茶葉ですか!?甘く熟した果実のような香りがとっても素敵ですよね!」
「それに、このティーカップはナルミヤの窯ですね。淡く清廉な光沢があって本当に美しいです……!」
「まぁ……よく気付いたわね。流石よルシエラ」
(ふふふ……凄いな。全然わからん)
俺自身はただ何か高くて良さそうなやつを適当に買ってきただけなのだ。
ルシエラは一見すると天然で親しみやすい雰囲気を纏っているが、非常に高い教養も持ち合わせている。
対面していると、その豊富な会話の引き出しと知識の深さを否応なしに実感させられる。
それでいて、こちらを気分良くさせてくれる返しが抜群に上手い。
「このケーキ、とても美味しいですね!」
「そうね。美味しいお土産をありがとう」
確かこのケーキも有名なブランドの物で、事前に予約しないと入手も困難な物だ。
実にしっかりしている子だ。
「お姉さまと一緒に食べると、もっと美味しく感じます!」
「ふふっ、そう言ってもらえると嬉しいわ」
何気ないやり取りの中で、彼女の艶やかな銀色の髪がさらりと揺れる。
楽しそうに輝く翡翠色の瞳に見とれつつ、ふと思う。
(……こんなに可愛くて愛想も良いのに、小柄な割に結構な『代物』をお持ちなんだよなぁ……)
思わず視線が彼女の豊満な胸元へと吸い寄せられかけた、まさにその時――。
(痛っつぅ~!?)
脇腹に走った鋭い痛みに、思わず顔を歪めそうになる。
「……?お姉さま、どうかされましたか……?」
「……ふふっ、ううん。何でもないわ?」
首を傾げるルシエラへ、ひきつりそうな顔をなんとか抑えて優しく微笑み返す。
どうやら、大事な妹分をそんな目で見ようとしたことが気に入らなかったらしい。
自分の身体に爪を立ててまで、抗議してきやがった。
(おいおい……手厳しいな……。毎日風呂場で自分の身体を見てるし、俺だって今は女として生きてる身だぞ?そんなに目くじらを立てなくたっていいだろ……)
「お姉さま?」
「ふふっ、本当に何でもないわ」
「そうですか?」
不思議そうに首を傾げるルシエラ。
その姿に、思わず苦笑する。
――それにしても。
本来のシナリオ通りなら、こんな風にお茶を飲み交わしながら穏やかに語り合う未来なんて、絶対にあり得ないはずだった。
原作の二人は、闇に堕ちたセレスティアと刃を交えて殺し合うか、あるいはルシエラを闇へ引きずり込もうとする、殺伐とした絶望的な関係にしかならなかったのだから。
それが今はどうだ。
目の前で嬉しそうに笑うルシエラ。
その姿を見つめながら、胸の奥がじんわりと温かくなる。
こうして穏やかに仲睦まじく過ごせているんだから感無量だ。
本題であるルシエラの近況についてそれとなく尋ねてみたところ、どうやら物語は原作とは異なる形で進行しているようだった。
本来なら「行方不明になったセレスティア」の捜索をカインに依頼する流れだったのだが――セレスティア(俺)が天啓を得てならず者や潜伏していた魔物を退治した実績に倣い、教会全体が治安維持へ積極的に動き出しているらしい。
その活動の一環として、ルシエラがカインに協力を仰ぎ、共に任務をこなしているのだという。
「……セレスティアお姉さま。この世界に恐ろしい危機が迫っているという噂は、本当でしょうか?」
ティーカップを静かにテーブルへ置き、ルシエラが真剣な面持ちで尋ねてきた。
「……危機?」
「はい、その危機に備えるため、お姉さまが自ら率先して奔走され、日々厳しい鍛錬に身を置かれているのだと……教会内でも噂になっております」
「……そうね」
自己鍛錬に励んでいるのは、ただの趣味なのだが。
とはいえ、カインたちには原作通りに動いてもらった方が都合がいい。
ならば、ここで余計なことを言う必要はないだろう。
「貴女の言う通り、この世界には大きな危機が迫っているわ。私もその日のために備えてはいるけれど……先行きはどうなるか見通せないの」
「そんな……」
「だからこそ――貴女の力が必要なのよ、ルシエラ」
そう告げると、俺は彼女の両手をぎゅっと包み込み、翡翠色の瞳をじっと見つめた。
「は、はわわわ……! わ、私に、そんな大役が務まるでしょうか……!?」
「そうね。確かに貴女一人では難しいかもしれないわ。けれど……カイン……さんや、信頼できる仲間たちと支え合えば、絶対に不可能ではないわ」
「……! カイン君たちが、そんな大きな運命を背負っていたなんて……。それも全て、お姉さまの『天啓』によるお導きなのですか……?」
「……まあ、そうね……」
「でも、お姉さまが一緒に付いてきてくださるなら百人力です! どんな恐ろしい敵が現れても、なんとかなっちゃいそうです!」
「……申し訳ないけれど、私は貴女たちと同行するつもりはないの」
「ええっ!? そ、そうなんですか……!?」
「ええ。私には私として成すべきことがあるわ。それに……私がずっと傍にいては、貴女の成長を妨げてしまうもの」
「は、はうぅぅ……」
俺の言葉に、自信なさそうに肩を落とし、俯いてしまうルシエラ。
「大丈夫よ。貴女なら絶対にやり遂げられるわ。まずは目の前にある小さなことから、一つずつ成し遂げていきなさい。いきなり大きな事をしようとしても、上手くいかないものだから」
彼女の小さな両手をぎゅっと握り、その言葉を胸に刻み込むように、ルシエラの瞳を見つめる。
「は、はいっ! 聖女ステラ=ルシエラの名に恥じぬ功績を、必ずや打ち立ててみせますわ!」
「……ふふっ。その意気よ」
よし、これで物語の軌道修正は概ね完了したと言っていいだろう。
カインたちには、これまで通り原作に近い道を歩んでもらえばいい。
そうすれば、俺が余計なところへ首を突っ込む必要もない。
だが――それは同時に、俺がこの街で享受してきた「自由気ままなスローライフ」に一区切りをつけ、旅立ちの時が来たことを意味していた。
(……とは言っても、これも考え方次第だな)
旅の途中で海へ寄り道して新鮮な海産物を味わったり、南国のビーチで羽を伸ばしたり、そして、各地の素晴らしい景色や観光地を巡る。
考えようによっては、極上のグルメ旅行を楽しむ絶好のチャンスではないか。
そう考えれば、むしろ楽しみになってきた。
どうせ旅に出るのなら、存分に楽しんでしまえばいい。
原作の軌道修正もできた。
ならば次は――。
俺自身の、自由気ままな旅の始まりだ!!。
「今日は長居をしてしまって……申し訳ありませんでした」
玄関先で、ルシエラが深々と丁寧に頭を下げる。
「ううん、気にしないで。私もとても楽しい時間を過ごせたわ。貴女ならいつだって大歓迎よ?」
「え、えへへ……ありがとうございます、セレスティアお姉さま……」
嬉しそうに頬を緩めるルシエラ。
――すると。
不意に、ルシエラが俺の身体へぎゅっと抱きついてきた。
「あら? どうしたのかしら。私とお別れするのが寂しくなってしまったの?」
俺はそっと背中に手を添え、愛おしそうに彼女の柔らかい銀色の髪を撫でてやる。
「……実は、酷い夢を見たんです」
「夢……?」
「はい」
俺の胸元に顔を埋めたまま、ルシエラが小さく呟く。
「お姉さまが酷い目に遭って……遠くへ行ってしまう夢を……」
「…………そう」
その言葉に、胸がざわつく。
(予知夢……だろうか?)
本来彼女たちが辿るはずだった、あの凄惨な世界の記憶。それを夢という形で垣間見てしまったのだろうか。
「カイン君も、お姉さまについて聞いていた印象と全然違うって言っていて……」
少しだけ身体を離し、不安そうに俺を見上げる。
「だから……今日、お姉さまに会うまで、ずっと不安だったんです」
「大丈夫よ」
俺はルシエラの身体を、ぎゅっと抱き締め返す。
「私はここにいるわ」
「…………」
「それとも……今の私はどこか変かしら?」
「えっと……その……。確かに以前と少しだけ雰囲気が変わられた気はします……。けど……!」
ルシエラは少し困ったように視線を泳がせる。
「けど……?」
「お姉さまはお姉さまです! 私の大好きなセレスティアお姉さまです……!!」
「そう……。ありがとう、ルシエラ。私も貴女のことが大好きよ」
「えへへ……っ」
顔を真っ赤に染め上げ、ルシエラは心底安心したようににっこりと微笑んだ。
やがて彼女は玄関を出ると、大きく手を振った。
「それでは、お姉さま! また遊びに来ますね!」
「ええ。またいつでもいらっしゃい」
「はい!」
最後まで笑顔を絶やさず、ルシエラは帰っていった。
その小さな背中が見えなくなるまで、俺は玄関先から見送った。
「…………」
さて。
(――よし! 俺もさっさと旅支度を済ませてしまうとするか!)
ただ、旅に出るとなると、流石に教会や王家へ筋を通すための報告くらいはしておかなければならないだろう。
想像するだけで今から胃が痛くなりそうだが、自由を手に入れるためなら背に腹は代えられない。
俺は一抹の寂しさを抱えつつも、これから始まる「自由気ままな一人旅」へと思いを馳せ、密かに口元を綻ばせるのだった。




