65 クイック
大豆から作る醤油の目処が立った。
つい先ほど仕込みを終えたばかりだ。
完成までには相当な時間がかかるらしいが、それもまた楽しみである。
先日仕込んだワインも同じだ。
しばらく寝かせなければ飲めるようにはならない。
さて、次は何をしようか。
そんなことを考えていると、二人が帰ってきた。
「お帰り。怪我はない?」
「た、ただいまです!」
「はい! 怪我はありません!」
雪乃さんが顔を真っ赤にしながら満面の笑みで答える。
走って帰ってきたのだろうか。
俺は首を傾げながらも、水を差し出した。
「お疲れさま」
二人は嬉しそうに受け取り、一気に飲み干していく。
相当喉が渇いていたらしい。
毎日巡回を任せているのだから無理もない。
そう思っていると、マナがニヤニヤしながら言った。
「健気ですよね、雪乃さんって」
「?」
今さら何を言っているのだろう。
俺が首を傾げると、雪乃さんがマナを睨む。
マナは慌てて話題を変えた。
「今日も素材がたくさん集まりましたよ!」
「あ、おう。いつもありがとうな」
そう言って本題に入る。
「あのさ、そろそろゼストへ行かないか?」
「素材もかなり溜まったし、冒険者ギルドで換金したい」
「ドライフルーツも大量に作れたから商業ギルドも探したいんだ」
「それと、パンと魔物肉を少し街の人に試食してもらいたい」
二人は顔を見合わせた。
「パンは分かりますけど……」
「魔物肉は抵抗がありそうですね」
「だよな」
俺も苦笑する。
だが実際に食べたことがある人間なら分かる。
「でも、美味しいだろ?」
二人は揃って頷いた。
「もし魔物肉が食材として受け入れられれば、冒険者はもっと稼げるようになる」
「安定供給できれば、みんな安く肉を食べられる」
「俺たちが将来やろうとしている店の幅も広がるしな」
すると雪乃さんが首を傾げた。
「幅が広がる、ですか?」
「例えば?」
「例えばパンと一緒に具だくさんの肉スープを出せば、それだけで立派な食事になる」
「それにマナの≪次元収納≫があるから腐敗の心配もない」
「大量に保存できれば流通にも使える」
二人は感心したように頷いた。
そこで俺は思い出したように言う。
「そうそう」
「実はさっき醤油の仕込みも終わったんだ」
「醤油に肉を漬けて焼くだけでも絶対美味いと思うんだよな」
するとマナが首を傾げた。
「醤油?」
「いつ食べられるんですか?」
「うーん、一年後くらいかな」
「発酵させなきゃいけないから」
するとマナが不思議そうな顔をした。
「時間をかけるってことですか?」
「それなら何とかなるかもしれません」
俺と雪乃さんは同時に首を傾げた。
「どういうこと?」
マナは少し照れながら言った。
「実はこの前、新しい時空魔法を覚えたんです」
「≪クイック≫っていうんですけど」
「指定した空間だけ時間を進められるみたいで」
俺と雪乃さんは固まった。
「……は?」
「醤油ってどこですか?」
俺は慌てて仕込み樽の前まで案内する。
「あれだけど」
「じゃあやってみますね」
マナは樽に手を向けた。
「≪クイック≫」
青白い光が樽を包む。
そして次の瞬間には消えた。
見た目は何も変わっていない。
だが、どことなく古びた気がする。
「佐伯さん、確認してみてください」
言われるまま樽を開ける。
中を覗いた瞬間、俺は固まった。
「……ある」
「え?」
雪乃さんが覗き込む。
俺は指先で少しだけ掬い、舐めた。
塩気。
旨味。
そして独特の香り。
間違いない。
「醤油だ……」
「本当に醤油になってる!」
思わず声が大きくなる。
「マナ!」
「これ本当に醤油だぞ!?」
マナは得意げに胸を張った。
「えへへ」
雪乃さんは呆然としている。
「マナちゃん……それ、神様みたいな能力だよ……」
俺も同感だった。
一年かかるはずの発酵が、一瞬で終わったのだから。
「待て」
「ワインは!?」
俺たちは慌ててワイン樽へ向かった。
マナが再び魔法を使う。
「≪クイック≫」
青白い光が消える。
恐る恐る樽を開ける。
香りが立ち上った。
俺は少しだけ試飲する。
「……ワインだ」
間違いなくワインだった。
雪乃さんにも飲んでもらう。
「本当にワインです……」
信じられないという顔をしている。
俺も同じ気持ちだった。
醤油もワインも完成した。
一年単位で考えていた計画が、一瞬で前進してしまったのである。
マナは本当にすごい。
そして俺たちの商売計画は、思っていたより遥かに早く動き出そうとしていた。




