40 別れ
翌朝。
俺は雪乃さんと茉奈ちゃんの部屋を訪ねたあと、三人で宿の食堂へ向かった。
朝の食堂はすでに多くの客で賑わっていたが、幸い壁際の四人掛けの席が空いていたので、そこに腰を下ろす。
茉奈ちゃんを奥の席に座らせ、俺と雪乃さんが通路側に座る。
食事を始めてしばらくすると、向かいの雪乃さんがそれとなく目配せをしてきた。
俺もさりげなく食堂の入り口へ視線を向ける。
そこにはトーマスがいた。
相変わらずのいやらしい目つきでこちらを見ている。
いや、正確には俺たちではない。
茉奈ちゃんを見ている。
その視線に気づいた俺は、茉奈ちゃんを隠すように少し身体の向きを変えた。
トーマスは不満そうに眉をひそめたが、それ以上は何もしてこない。
だが、その目だけは執拗に茉奈ちゃんを追い続けていた。
食事を終えた俺たちは席を立つ。
食堂の出口へ向かう茉奈ちゃんを、トーマスが舐め回すような視線で見ているのが分かった。
俺は立ち止まり、わざと大きな声を出した。
「トーマスさん、何か御用ですか?」
厳しい視線を向けながら尋ねる。
するとトーマスは一瞬だけ顔をしかめ、
「いや、なんでもない」
と答えて目を逸らした。
それでも俺はその場を動かず、無言のままトーマスを睨み続ける。
その隙に雪乃さんは茉奈ちゃんを連れ、自室へ戻っていった。
俺は周囲の騎士たちを一瞥してから、二人の後を追う。
部屋へ入ると、雪乃さんが頭を下げた。
「先ほどはありがとうございました」
「いえ」
「それより、少しお話があるのですが……」
そう言いながら雪乃さんは茉奈ちゃんの方を気遣うように見た。
「できれば二人で」
俺は頷き、茉奈ちゃんに向き直る。
「このあと村を散策する予定だから、その準備をしておいてくれるかな」
「はい」
茉奈ちゃんは素直に頷き、部屋を出ていった。
扉が閉まるのを確認すると、雪乃さんは昨夜耳にした話を一つ残らず語ってくれた。
扉が閉まるのを確認すると、雪乃さんは昨夜耳にした話を一つ残らず語ってくれた。
ヨシュア。
トーマス。
タリス子爵夫妻。
そして――茉奈ちゃんを追放し、その後監禁する計画。
話を聞いている途中から、俺は何度も言葉を失った。
追放だけでも十分異常だ。
だが、それだけでは終わらなかった。
監禁場所はすでに用意されている。
ギルセニアから離れた人目につかない民家。
そこへ茉奈ちゃんを閉じ込める手筈まで整っているという。
つまりこれは思いつきではない。
最初から計画されていたのだ。
追放したあと、どうするか。
どこへ連れていくか。
誰が管理するか。
そこまで決まっている。
俺の背筋を冷たいものが走った。
「……そこまでするかね」
やっとの思いで絞り出した言葉だった。
商人という職業そのものに強い偏見を持つ貴族がいることは理解できる。
だが、それは俺の話だ。
遅かれ早かれ、俺はここを去る運命だったのかもしれない。
だが――。
「茉奈ちゃんが何をしたっていうんだ」
思わず拳を握り締める。
十一歳の少女だ。
ただ異世界に連れてこられ、生き残ろうと必死に頑張っているだけの子供だ。
その子を恐怖で追い込み、仲間から引き離し、誰にも助けを求められない場所へ閉じ込める。
しかも、その後はトーマスの好きにさせるつもりだという。
思い出しただけで吐き気がした。
怒りで視界が赤く染まりそうになる。
もし昨夜、雪乃さんがあの話を聞いていなかったら。
もし俺たちが何も知らずに領都へ向かっていたら。
茉奈ちゃんは、ある日突然俺たちの前から消えていたかもしれない。
そう考えた瞬間、背中に冷や汗が流れた。
これはもう警戒だの様子見だのという段階ではない。
救出計画ですらない。
逃がさなければならない。
今すぐに。
雪乃さんも無言で頷いていた。
彼女も同じ結論に至ったのだろう。
俺は決意を固めた。
「計画を早めましょう」
雪乃さんが顔を上げる。
「神代君たちには俺から伝えます」
「決行は今晩でどうですか?」
「賛成です」
雪乃さんは即座に頷いた。
そのタイミングで茉奈ちゃんが部屋へ戻ってくる。
俺たちは昨夜得た情報をかいつまんで説明した。
もちろん、監禁の計画については伏せる。
そんな話を聞かせれば、必要以上に怯えさせてしまう。
「今夜、この村を離れようと思う」
「そのために昼のうちに必要な物を買い揃える」
「準備が終わったら移動する」
そこまで説明すると、二人とも力強く頷いた。
「それじゃあ、俺は神代君たちに話をしてくる」
そう言って部屋を後にする。
神代君の部屋を訪ねると、幸い彼は一人だった。
俺は雪乃さんから聞いた内容を包み隠さず伝える。
そして今夜、この村を離れることも。
話を聞き終えた神代君は目を見開いた。
「まさか、そんなことを……」
信じられないという表情だった。
しばらく黙り込んでいたが、やがて静かに顔を上げる。
「分かりました」
「それはもう緊急事態ですね」
そう言うと、神代君は覚悟を決めたように頷いた。
「太陽たちには俺から伝えておきます」
「そのあと、俺たちは少しでもあいつらを攪乱できるよう動きます」
そして少しだけ寂しそうに笑う。
「たぶん、これが最後の挨拶になると思います」
「どうか、お気をつけて」
俺は何も言わず右手を差し出した。
神代君も力強くその手を握る。
短い旅だった。
だが、確かに仲間だった。
固い握手を交わしたあと、俺は静かに部屋を後にした。
今夜。
俺たちは、この旅から離脱する。




