117 朝食の約束
神代君と太陽君も、ここ最近ほとんど眠れていなかったらしい。
心身ともに限界だったのだろう。
俺たちは、この日は無理をせず休むことにした。
それぞれ部屋を割り振り、ゆっくり休んでもらう。
俺たちも明日は自治区長への報告がある。
早めに休む予定だった。
だが――。
夜になると、いつものように俺は雪乃と茉奈と一緒に仕込み作業をしていた。
塩やシロップの補充。
味噌や醤油の確認。
翌日以降に使う食材の準備。
最近ではすっかり日課になっている。
そんな作業をしていると、廊下から足音が聞こえた。
振り向くと、太陽君が眠そうな顔でやって来る。
「すまん、起こしたか?」
そう声をかけると、太陽君は首を振った。
「いえ……少し目が覚めてしまって」
そして少し言いづらそうに続ける。
「若葉が心配で……」
すると雪乃が優しく微笑んだ。
「若葉さんなら大丈夫よ」
「今はぐっすり眠っているわ」
「真紀も一緒に寝ているから、安心しているみたい」
その言葉を聞いた瞬間、太陽君の肩から力が抜けた。
目に見えて安心したのが分かる。
「そうですか……」
小さく息を吐いたあと、自嘲気味に笑った。
「やっぱり妹とはいえ、女性のことはさっぱり分からなくて」
「どうしたらいいのか、本当に分からなかったんです」
「若葉には要らない苦労をさせてしまいました」
その言葉に雪乃と茉奈が顔を見合わせる。
そして雪乃が静かに言った。
「余計なお世話かもしれないけれど」
「太陽君も十分頑張ったんだから、少しは休みなさい」
続いて茉奈も頷く。
「そうだよ」
「太陽お兄ちゃんが元気ないと、若葉お姉ちゃんが心配しちゃうよ」
「だから今は元気を取り戻すことを考えて」
太陽君は目を丸くしたあと、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
俺は苦笑する。
「だから頭を下げるなって」
「仲間だろ?」
「仲間が困っていたら助け合うのは当たり前だよ」
すると太陽君は少し照れたように笑った。
「あの時……」
「あっちで佐伯さんと漣が、俺たちのことを仲間だって言ってくれた時、本当に嬉しかったんです」
その言葉を聞いて、俺は拳を突き出した。
だが太陽君は意味が分からず首を傾げる。
その様子を見て、茉奈が笑いながら拳を合わせた。
続いて雪乃も拳を重ねる。
「私たちね」
「困難に向かう前は、こうして拳を合わせるの」
「太陽お兄ちゃんも早く」
茉奈に促され、太陽君も恐る恐る拳を合わせる。
四人の拳が重なった。
その瞬間、自然とみんな笑顔になった。
しばらく笑い合ったあと、太陽君が周囲を見回した。
「ところで……」
「皆さんは何をされているんですか?」
俺たちは顔を見合わせて笑う。
「仕込み作業だよ」
そう答えると、太陽君は目を瞬かせた。
それから俺たちは、今までやってきたことを説明した。
塩作り。
シロップ作り。
味噌や醤油作り。
ワイン作り。
そしてレストランとスイーツショップの経営。
話を聞くたびに太陽君の目が大きくなっていく。
「今は近くの街でレストランとスイーツショップをやってるんだ」
そう言うと、太陽君は驚いた。
「え?」
「冒険者じゃないんですか?」
思わず笑ってしまう。
「冒険者もやってるよ」
「でも、やりたいことは一つじゃないからね」
「今一番やりたいことは食文化改革かな」
「それと雇用を増やすこと」
太陽君は深く頷いた。
「食文化改革は何となく分かります」
「正直、こっちの食事って心が躍らないんです」
「今日、久しぶりに米を食べましたけど……本当に感動しました」
「食事であんな気持ちになったのは久しぶりです」
その笑顔を見て、俺も嬉しくなる。
「それなら明日の朝食は期待してくれ」
「米と味噌汁と漬物」
「それにだし巻き卵の予定だ」
「久しぶりの日本の朝ご飯だからな」
「気合い入れて作るよ」
すると太陽君が驚いた顔をした。
「佐伯さんが作るんですか?」
「いやいや」
俺は笑って首を振る。
「俺と雪乃と茉奈の三人で作るんだよ」
「俺がお願いして手伝ってもらってる」
「この三人で料理するのが、今では毎日の楽しみなんだ」
「もともと料理も趣味だしね」
すると太陽君が少し考え込んだあと、遠慮がちに口を開いた。
「近いうちに……若葉も参加させてもらえませんか?」
「実はアイツ、元の世界ではお菓子作りが趣味だったんです」
その瞬間だった。
茉奈の目が輝く。
「本当ですか!?」
「私、スイーツショップの店長やってるんです!」
「最近、新しいアイデアが欲しいなって思ってたんですよ!」
大喜びである。
すると雪乃も負けじと口を挟んだ。
「新作スイーツができたら、私が一番最初に試食するんだからね」
その言葉に全員が笑った。
太陽君も久しぶりに心から笑っているように見えた。
だが笑い終えた頃には、彼の目がとろんとしてきていた。
やはり疲れが溜まっているのだろう。
俺は苦笑する。
「ほら、今日はもう休め」
「明日もあるんだから」
太陽君は素直に頷いた。
「はい」
「おやすみなさい」
そう言って部屋へ戻っていく。
その背中は、昼間よりずっと軽く見えた。
俺たちは再び仕込み作業へ戻る。
作業を終えた頃には、すっかり夜も更けていた。
寝室へ向かう。
最近は雪乃と同じ部屋で眠るようになっていた。
きっかけは、少し前の夜だった。
雪乃が俺の部屋を訪ねてきたのだ。
二人で他愛もない話をしていた。
今日あったこと。
これからのこと。
そんな話をしているうちに、雪乃はうとうとし始めた。
気付けば、そのまま眠ってしまっていた。
俺は慌てた。
起こそうとしても起きない。
仕方なくベッドへ寝かせ、自分は部屋を出ようとした。
その時だった。
背中に柔らかな感触が伝わる。
雪乃が起き上がり、後ろから抱きついてきたのだ。
少し震える声で。
不安そうに。
「私……魅力ありませんか……?」
そう呟いた。
その一言で、俺がずっと押し込めていた感情は簡単に揺らいだ。
ずっと好きだった。
ずっと大切に思っていた。
だからこそ踏み出せなかった。
傷つけたくなかったし、失いたくなかった。
けれど、その夜。
雪乃は自分から手を伸ばしてくれた。
だから俺も逃げるのをやめた。
今思えば、あの時の勇気は俺ではなく雪乃の方がずっと上だったと思う。
男として少し情けない気もする。
それでも――。
あの日、雪乃が勇気を出してくれたことには感謝しかなかった。
そして今も、その気持ちは変わらない。




