115 )閑話)ギルモア城の一室にて
時は、佐伯たちがエドワード領へ向けて旅立った頃へ遡る。
場所はギルモア城。
城内の一室には、ギルモア辺境伯、シルビア大司教、タリス子爵、ヨシュア、そして見慣れぬ一人の男が集まっていた。
重厚な扉は閉ざされ、室内には外部の者が一人もいない。
その場で最も異様だったのは、辺境伯とシルビア大司教の距離感だった。
シルビアは辺境伯の膝の上に腰掛け、その胸に身体を預けている。
辺境伯は当然のようにその肩を抱いていた。
「タリス子爵よ」
「奇跡の菓子とやらは、まだ手に入らぬのか?」
辺境伯は不機嫌そうに問いかけた。
タリス子爵は慌ててテーブルの上へ箱を置く。
中にはクッキーとプリンが並んでいた。
シルビアがそれを手に取る。
一口食べた瞬間、その表情が緩んだ。
「これは……」
「確かに奇跡と呼ぶに相応しい味ですね」
そのままスプーンで掬い、辺境伯の口元へ運ぶ。
辺境伯は満足そうに頷いた。
「うむ」
「素晴らしい」
「それで?」
「製法は手に入ったのか?」
タリス子爵の顔色が変わる。
額に汗が浮かんだ。
「も、申し訳ございません……」
「まだ製法までは――」
言い終わる前だった。
辺境伯はシルビアの手からプリンを奪い取る。
そして容赦なくタリス子爵へ投げつけた。
プリンは顔面に直撃する。
甘いクリームが顔中を汚した。
「商業ギルドは潰される」
「ゼスト攻略は失敗する」
「貴様はいったい何をしておるのだ!」
怒号が部屋に響く。
タリス子爵は顔を拭こうともせず、その場に平伏した。
「申し訳ございません!」
「次こそは必ず――!」
辺境伯は冷たく見下ろす。
「その次は無い」
「必ず製法を手に入れろ」
「この菓子を持って我は世に出る」
「奇跡の菓子の創始者としてな」
そう言いながらクッキーを摘まむ。
「帝国への献上品としても申し分ない」
「これほどの物ならば、我が名はさらに高まるだろう」
タリス子爵は震えながら答えた。
「御意……」
辺境伯は満足そうに頷く。
そして視線をヨシュアへ向けた。
「それで」
「エドワードの魔物どもの捕獲は進んでおるか?」
「異世界人どもが役立たずだと報告を受けておるぞ」
ヨシュアは即座に頭を下げた。
「魔物の捕獲は順調です」
「捕らえた魔物はアルステア教会へ運び込み、処置を施した後、各地へ送り出しております」
シルビアが微笑む。
「ええ」
「最近は本当に忙しいですわ」
「ヨシュア殿がたくさん運んでくださいますから」
辺境伯は満足そうだった。
「良い」
「実に良い」
そして再び問いかける。
「異世界人どもはどうだ?」
ヨシュアの口元が歪む。
「生意気にも反抗しておりますので」
「少々躾をしているところです」
その笑みには悪意が滲んでいた。
「食事を減らしております」
「加えて少量の毒も」
「死なぬ程度ですが、そろそろ身体が動かなくなる頃でしょう」
タリス子爵が顔を上げる。
「毒……?」
ヨシュアは鼻で笑った。
「安心してください」
「死なれては困りますから」
「動けなくなったらアルステア教会へ移送します」
「その後、魔石を植え込む予定です」
辺境伯が笑う。
「あの魔石なら素直になるだろう」
「最初からそうしておけば良かったな」
シルビアが恭しく頭を下げた。
「私の進言をお聞き入れくださり感謝いたします」
辺境伯は上機嫌だった。
シルビアの髪を撫でる。
顎に指を添える。
「お前は本当に役に立つ」
シルビアは微笑みを崩さない。
「光栄ですわ」
辺境伯はヨシュアを見る。
「任せたぞ」
「御意」
ヨシュアは短く答えた。
その後。
辺境伯は部屋の隅に座る男へ視線を向けた。
「それで」
「カイン子爵は何用だ?」
初老の男が立ち上がる。
「私は反王族派を代表して参りました」
「どうか我らを辺境伯様の配下にお加えください」
辺境伯は興味深そうに眉を上げた。
カイン子爵は続ける。
「先日の王都での式典を見て決意いたしました」
「民が飢え苦しむ中、あのような豪奢な催しを開くとは」
「我らはもはや耐えられません」
辺境伯はしばらく黙っていた。
やがて頷く。
「よかろう」
「臣従を認める」
カイン子爵は即座に跪いた。
「ここに忠誠を誓います」
辺境伯は満足そうに笑う。
「良い」
「働きを期待しているぞ」
その時だった。
ヨシュアが思い出したように口を開く。
「ところで」
「あの巫女の娘はどうなさいますか?」
辺境伯は鼻で笑った。
「あんな小娘に興味はない」
そして少し考える。
「だが、あの斥候の女は惜しかったな」
「我が城に置いてやっても良かった」
シルビアが少しだけ頬を膨らませる。
「少し妬けますね」
辺境伯は笑った。
「馬鹿を言うな」
「一番はお前だ」
そう言ってシルビアの腰を抱き寄せる。
シルビアは微笑んだまま答えた。
「後ほど、お伺いしますわ」
やがて会議は終わる。
辺境伯。
タリス子爵。
カイン子爵。
三人は部屋を後にした。
残されたのはシルビアとヨシュアだけ。
静寂が落ちる。
ヨシュアは深く息を吐いた。
「演技だと分かっていても面白くないな」
「毎回あれを見せられると」
シルビアはくすりと笑う。
そしてヨシュアの隣へ移動した。
「すべては貴方のためです」
その声音は先ほどまでの大司教のものではない。
一人の女の声だった。
ヨシュアはシルビアの頬に触れる。
「分かっている」
「もう少しだ」
「もう少しで全てが手に入る」
シルビアは嬉しそうに目を細めた。
「はい」
「その日をずっと待っています」
そう言ってヨシュアへ寄り添う。
その瞳には狂気にも似た光が宿っていた。




