112 領都ギルセニアの様子
俺たちは、それから三日かけてパールの街の近くまでたどり着いた。
今いるのは、街を見下ろせる小高い丘の上だ。
パールの街までは歩いてすぐの距離にある。
まずはここに《ゲート》を設置する。
茉奈が慎重に位置を調整し、《ゲート》を展開した。
その上から《ヴェール》をかける。
これで外部から発見される可能性はほとんどない。
準備を終えた俺たちは、そのままパールの街へ向かった。
街へ入った瞬間、違和感を覚える。
以前訪れたことのある漣と真紀も同じだったようだ。
「……なんか暗いな」
漣が眉をひそめる。
俺も同意だった。
同じ街なのに、ゼストとはまるで違う。
人はいる。
だが活気がない。
通りを歩く人々は痩せており、顔色も悪い。
誰もが俯き加減で歩いている。
目が合うこともない。
だが、視線だけは感じる。
遠くから。
建物の陰から。
俺たちを観察するような視線だ。
「警戒されています」
雪乃さんが小声で言う。
「ですが敵意ではありません」
「どちらかというと……怯えています」
言われてみればそうだった。
こちらを見る人々の目には警戒と同時に諦めのような色がある。
何かを期待するような。
だが期待して裏切られることに慣れてしまったような。
そんな目だった。
街の一角では数人が固まってこちらを見ている。
だが俺たちが視線を向けると、慌てて目を逸らした。
なんとも居心地が悪い。
「前に来た時も暗かったけどな」
漣が呟く。
「でも今はもっと酷い気がする」
真紀も頷いた。
「そうね」
「前はまだ街として機能してた」
「今は……生きてるだけって感じ」
俺は茉奈へ視線を向ける。
茉奈は雪乃さんと手を繋ぎながら歩いていた。
視線を避けるように俯いている。
最近は随分明るくなった。
笑顔も増えた。
だがそれは俺たちに対してだけだ。
知らない人に対する警戒心は、まだ根深く残っている。
無理もない。
異世界に来てすぐ、あんな扱いを受けたのだ。
時間をかけて癒していくしかない。
俺はそう思った。
結局、パールの街で目ぼしい情報は得られなかった。
商品も少ない。
住民も余裕がない。
長居する理由はなかった。
俺たちはその日のうちに街を離れ、さらに北を目指した。
すると不思議なことに、北へ進むほど魔物の数が減っていく。
「騎士の巡回があるんじゃねぇか?」
漣がそう言う。
俺も同感だった。
ということは領都が近い。
それだけ重要な地域ということだろう。
さらに二日。
ようやく巨大な城壁が見えてきた。
「あれだな」
漣が指差す。
「あれが領都ギルセニアだ」
高い城壁。
巨大な門。
遠目にも分かる圧迫感だった。
俺たちはまず街へ近付く前に《ゲート》を設置する。
《ヴェール》で隠蔽も完了した。
これで設置済みのゲートは四か所になった。
ゼストの家。
廃村の広間。
パール近郊。
そしてギルセニア近郊。
移動手段としては十分すぎる。
門の近くまで進んだところで、異変に気付いた。
門が閉じている。
それだけではない。
城壁の前には深い堀が掘られていた。
跳ね橋は上がっている。
完全に閉鎖状態だった。
真紀が呆れたように言う。
「これじゃ入れないわね」
全員が頷いた。
周囲を見渡しても人影はない。
商人もいない。
旅人もいない。
普通なら街の門周辺には人が集まるはずだ。
だが誰もいない。
不気味なほど静かだった。
「怪しいな……」
俺は城壁を見上げる。
「少しでも中の様子が分かればいいんだけど」
そう呟いた瞬間だった。
雪乃さんが立ち上がる。
「見てきます」
「皆さんは《ゲート》の近くで待機してください」
「いや、危ない――」
言い終わる前に雪乃さんの姿が消えた。
《気配遮断》だ。
次の瞬間には堀を飛び越えている。
さらに壁を駆け上がる。
文字通り駆け上がった。
壁の頂上へ到達したかと思うと、そのまま姿が消える。
俺は呆然と見送った。
「……忍者か?」
漣が呟く。
「壁って走れるもんなの?」
真紀も呆れている。
俺も同じ気持ちだった。
雪乃さん、絶対に人間離れしてるよな。
そう思いながらも、別の感情が湧いてくる。
心配だった。
今の雪乃さんならそう簡単に負けない。
それは分かっている。
だが、だからといって心配しない理由にはならない。
俺は何度も城壁の方へ視線を向けていた。
しばらくして。
本当に音もなく雪乃さんが戻ってきた。
「お帰り」
思わずそう声を掛ける。
雪乃さんは小さく微笑んでから報告を始めた。
「中はパール以上に活気がありません」
「市場もありましたが、商品がほとんど並んでいませんでした」
「配給制になっているようです」
「アルステア教会の前で生活物資が配られていました」
「ですが量は非常に少なく、とても十分とは思えません」
俺たちの表情が険しくなる。
雪乃さんは続けた。
「城の前には大量の騎士がいました」
「警備にしては多すぎます」
「それから門の近くで住民と兵士が揉めていました」
「住民を外へ出さないために門を閉鎖しているようです」
全員が沈黙した。
真紀がぽつりと呟く。
「そんなことになってるの……?」
漣も信じられないという顔だった。
「俺たちがいた頃は、まだ自由だったぞ」
「ここまで酷くなかった」
俺は決断する。
「雪乃さん、ありがとう」
「もう十分だ」
「ギルセニアへ入るのはやめよう」
「無理をする必要はない」
「このままエドワードへ向かう」
誰も反対しなかった。
そして俺たちは再び歩き始めた。
しばらくして。
俺は雪乃さんの隣へ移動する。
「助かったよ」
「でも、あんまり無茶しないでくれ」
小声で言う。
「本気で心配したんだから」
雪乃さんは少し目を丸くした。
それから柔らかく笑う。
「私は佐伯さんを助けられるなら無理をしますよ」
小さな声だった。
だが迷いはなかった。
俺は思わず言葉に詰まる。
「それでも……」
「心配するんだよ」
雪乃さんは少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんなさい」
「でも……」
「心配してくれてありがとうございます」
そう言って、そっと俺の手を握った。
温かい。
その瞬間。
さっきまでの不安も心配も全部吹き飛んでしまった。
本当にずるい。
こういうところだ。
そう思っていると――。
後ろからわざとらしい咳払いが聞こえた。
振り返る。
真紀が呆れ顔をしていた。
その隣では茉奈がニヤニヤしている。
俺は慌てて手を離そうとしたが、雪乃さんは離してくれなかった。
そして茉奈の笑みはさらに深くなった。
……しばらくからかわれるな。
そんな予感しかしなかった。




