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109 旅立つ前

私たちは佐伯さんに呼ばれ、居間へ集まった。


部屋へ入ると、重い空気が漂っていた。


佐伯さんは椅子に座り、眉間に皺を寄せたまま天井を見上げている。


まるで何かを必死に考えているようだった。


その隣では、茉奈が小さくなって座っている。


時折ちらりと佐伯さんを見ては、すぐに視線を落としていた。


いつもの二人からは想像もできない雰囲気だった。


私も静かに椅子へ腰を下ろす。


少し遅れて漣と真紀もやって来た。


全員が揃ったところで、佐伯さんがゆっくり目を開く。


そして口を開いた。


「レストランの方は上手くいきそうだ」


「予定どおり開店できると思う」


私たちは頷く。


佐伯さんは続けた。


「明日から廃村で旅の準備を始める」


「そして旅には、俺と漣で行く」


その言葉に胸がざわついた。


だが佐伯さんは構わず話を続ける。


「他のみんなには、この街の防衛とレストラン経営、それから店の運営を頼みたい」


「詳しい依頼内容は追々説明する」


「以上だ」


それだけ言うと、佐伯さんは立ち上がろうとした。


私は反射的にテーブルを叩いて立ち上がる。


大きな音が居間に響いた。


「納得いきません!」


思わず声が大きくなる。


「私も旅に行きます!」


佐伯さんは驚いたようにこちらを見る。


だが、すぐに座り直した。


「駄目だ」


「危険なんだ」


「君を連れて行くわけにはいかない」


その言葉に胸が痛んだ。


今朝。


ようやく想いが通じたと思った。


なのに今は、まるで突き放されているように感じる。


私は唇を噛み締めた。


「私が弱いからですか?」


「私は要らないってことですか?」


自分でも分かる。


八つ当たりに近い言葉だった。


それでも止められなかった。


佐伯さんは悲しそうな顔をする。


「俺が雪乃さんを必要としないことなんて、ありえない」


その声は震えていた。


「俺は……」


「できることなら、すべての時間を雪乃さんと共有したい」


「雪乃さんは俺にとって大切な人なんだ」


一瞬、胸が熱くなる。


だが次の言葉が続いた。


「だから……分かってくれないか……?」


私は首を横に振った。


「分かりません」


涙が滲む。


「大切だから置いていく?」


「そんな理屈、分かりたくもありません」


声が震えた。


それでも止まらない。


「私は常にあなたの隣にいたいんです!」


「あなたを支えたいんです!」


「危険だから置いていくなんて納得できません!」


「何と言われても私は行きます!」


佐伯さんは苦しそうな顔をした。


「頼むよ……雪乃さん……」


「分かってくれよ……」


泣きそうな顔だった。


その顔を見て、私も苦しくなる。


この人も苦しんでいる。


それは分かる。


でも私も譲れない。


やっと。


本当にやっと。


長い間胸の奥に秘めていた想いが届いたのだ。


異世界に来てからの想いじゃない。


ずっと前から。


会社にいた頃から。


何年も抱き続けていた想いだった。


だから離れたくない。


離されたくない。


私は佐伯さんを真っ直ぐ見つめ続けた。


すると――。


「私も行くよ」


真紀が口を開いた。


漣が慌てて振り向く。


「ダメだ!」


「真紀、今回の旅だけはダメだ!」


「危険すぎる!」


だが真紀は負けていない。


「ダメじゃない!」


「仲間のピンチなんだよ!」


「仲間と一緒に、ピンチの仲間を助けに行くのをなんで止めるのよ!」


漣と真紀も睨み合いになる。


居間の空気は完全に張り詰めていた。


そんな中――。


おずおずと茉奈が手を挙げた。


「あのー……」


全員の視線が集まる。


茉奈は少し困ったように笑った。


「私は行きますよ?」


「私がいれば《テレポート》が使えますし」


「各地に《ゲート》も設置できますし」


私たちは一瞬言葉を失った。


茉奈は続ける。


「《ゲート》を設置できれば、ここに誰でも、いつでも帰ってこられます」


「危なくなったら撤退できますし」


「それって危険回避になりませんか?」


そして首を傾げる。


「だったら雪乃さんも真紀姉も、一緒に行けるんじゃないですか?」


沈黙。


そして――。


「えっ?」


私たち四人の声が綺麗に重なった。


たぶん全員同じ顔をしていたと思う。


佐伯さんが最初に口を開く。


「確かに……」


「ゲートを設置できれば、自由に往復できるな」


私も頷く。


「ヴェールで隠せば見つかる心配も少ないでしょうし」


すると漣が吹き出した。


「なんだそれ」


真紀も笑う。


「そんな便利なものがあるなら、この言い合い必要なかったじゃない」


その言葉に私も思わず笑ってしまった。


張り詰めていた空気が一気に緩む。


佐伯さんは苦笑しながら私を見た。


「ごめん」


「雪乃さんを大切に思いすぎていた」


「守ることばかり考えていたんだ」


そして少し視線を落とす。


「一緒に歩くっていう、一番大事なことを忘れていた」


その言葉に胸が温かくなる。


私は微笑んだ。


「佐伯さんが私を大切に思ってくれていることは分かりました」


「すごく嬉しいです」


そして少しだけ意地悪く続ける。


「でも、どれだけ大切に思っても、箱の中にしまわれるのは嫌ですよ?」


佐伯さんは観念したように笑った。


「肝に銘じます」


そう言って深々と頭を下げる。


私は思わず吹き出した。


嬉しかった。


本当に嬉しかった。


気付けば涙が零れていた。


でも、その涙はもう悲しい涙ではなかった。


これからも。


きっと私は、この人の隣を歩いていく。


そう思えたからだった。


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